求婚

弁望29

「お姉ちゃん!また天上の世界のお話聞かせて!」
「え?」
「ずっと前に、初めて弁慶先生と来てくれた時にお話してくれたでしょ? 不思議なお話。
ばばさまがお姉ちゃんは天上の人だって、そう言ってた。だから天上の世界のお話を聞かせて!」

無邪気に乞う子どもに、しかし望美は戸惑いを
浮かべた。

「ごめんね、お話はあれしか知らないの」
「えー」
「ごめんね」
落胆を浮かべる子どもたちに囲まれ、困ったように微笑む望美。

(望美さん……?)

「弁慶先生?」
「……ああ、すみません。薬をお渡ししますがくれぐれも安静にしてくださいね」
「はい。ありがとうございます」

頭を下げる老人に微笑んで、もう一度望美を見るがその表情はいつもの朗らかなもので、弁慶は
わずかな惑いを胸に宿した。

 * *

「お疲れ様です」

「あ、すみません」

「いいえ。僕こそ片付けを君一人に任せてしまい、すみませんでした」

「弁慶さんは調薬してたんですから、気にしないでください。お茶、いただきますね」

繕い物の手を止め針をしまうと、茶を嬉しそうに飲む姿を見守りながら、弁慶は戯言を口にする。

「今日は子ども達が多かったですね」

「そうですね。おじいちゃん、おばあちゃんに
付き添ってきてたみたいです」

「君が目当ての子も多いようですよ。
以前は親に手を引かれてでないと来なかったものですけどね」

「ふふ、薬師が苦手なのはどこでもいっしょなんですね」

「君の世界でも子どもは薬師が苦手なんですか?」
「あ……。……はい」

一瞬詰まるも、そのまま言葉を続ける望美に、
弁慶はそっとその手をとる。

「……君のいた世界のことを語ることをやめる
必要はないんですよ」
「私は別に……」
「本当にそうですか?」
「……………」

俯き視線を合わせない望美に、弁慶は握った手に力をこめる。

「君が何を不安に思っているのか、僕にはわかりません。でも、君があの世界のことを口にしたからと言ってここから消えてしまうことはありません」
「私は弁慶さんの傍にいます」
「望美さん?」
「傍に、いたいんです」

すがるように握り返された手に、望美が何を不安に思っているのかを悟り、弁慶は柔らかく微笑んだ。

「僕は君を帰すつもりはありません」

「……………」

「信用、出来ませんか? ふふ、僕も存外信用がないらしい」

「そういう、わけじゃ……」

「僕には望美さん、あなたが必要なんです。
だからもう、君に帰りたいと言われても放すことなんて出来ないんです」

まっすぐに向けられた言葉。
それは、弁慶の本心。

「私は……私が弁慶さんの奥さんでいいんですか?」

残って欲しいと、そう言われ、共に住み始めた二人。
けれども弁慶の態度は皆と旅をしていた頃と何ら変わることはなくて、望美は不安だった。
【好き】はどの好き?
男女の?
仲間の?
人間として?

「すみません。きちんと君に告げなかった僕が悪いんですね」
苦笑すると居住いを正す弁慶につられて望美も
正すと、琥珀の瞳がまっすぐに向けられる。

「望美さん、僕は君が好きです。この世界で君と共に歩いていきたい。だから……僕の奥方になってもらえますか?」
「…………っ」

こみ上げてくる喜びがイエスの言葉を奪って、
望美はただただこくこくと頷く。
この日、弁慶と望美は二人だけで略式の婚儀を
行い、名実ともに夫婦となったのだった。
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