未経験区域

弁望28

「ねえ、朔?」
春うららかなとある日。
遊びにやってきた望美を快く招き入れ、日向ぼっこを兼ねて、縁側で並んでお茶を飲んでいた朔は、今は弁慶の妻となった彼女の対の呼びかけに、優しく振り返った。

「なあに?」
「私……弁慶さんに信用されてないのかなぁ?」
しゅんとうなだれる望美に、朔が驚き彼女を見る。

「どうしてそんなことを思ったの?」
「あのね……」

ある日、連れ立って弁慶と買い物に出かけた望美。
その時、突然足を止めたかと思うと、弁慶はおもむろに先に帰るようにと言い残し、望美をその場に置いて何処かへと出かけてしまったのである。

「まぁ……」
「それだけじゃなくてね? その……部屋も別々で……」
「え?」
もごもごと恥ずかしそうに告げる望美に、朔が瞳を丸くした。

「あなたたちは夫婦の契りを交わしたのよね?」
「夫婦の契り……ああ、結婚のことだね。うん、そうだよ」

こくんと頷く望美に、朔が眉を潜める。
考えが読めぬ男ではあったが、弁慶が望美に惚れていることは確かなはずだった。

「どうしてそんなこと……」
ブツブツと独り呟く朔に、すっかり望美はしょげかえってしまう。

「この世界の人は、結婚してからも別々の部屋に住む習慣があるとか、そんなことないよね?」
「……ええ」
「……はぁ~」

明るい笑顔が似合う彼女らしからぬ姿に、朔はそっと手を取った。

「――きっと弁慶殿はあなたをとても大切に思っているのね」
「え?」
朔の言葉に、知らず俯いていた望美が顔を起こす。

「あなたのことが本当に大切で、愛しく思っているからだと思うの」
「だったら、どうして何も話してくれないの?」

元々秘密主義で、一人で動く性格の弁慶。
それは、望美と共に暮らすようになってからも
変わらないようで、朔は内心でため息をついた。

(心配かけたくないからでしょうが、逆効果です……弁慶殿……)

望美がまだ神子として源氏の軍と行動を共にしていた頃、散々辛い思いをさせたからか、彼女に
降りかかる憂いを全て遠ざけようとしているかのようだった。
しかし、その想いが逆に望美に不安を与えているのである。

「ヒノエくんなんか、手が早いから気をつけろなんて言ってたのに……私、魅力ないのかなぁ?」

「そんなことないわ。あんなにも蕩けそうな笑顔を向けるのなんて、あなたぐらいだもの」

散々仲間から胡散臭いと言われていた弁慶の笑顔は、望美と共に暮らすようになってからは、すっかり穏やかで心からの慈しみに溢れるものになっていた。

「はぁ……」

犬のように耳や尻尾があったならば、すっかり
しょげて垂れ下がっているだろう、望美の消沈ぶりに、朔は励まそうと必死に頭を回転させ、ふとあることに気がついた。

「ねえ? 望美?」
「ん~?」
虚ろな瞳を向ける望美に、朔がわずかに頬を染め切り出す。

「あなたは弁慶殿と……夫婦の契りを結びたいと思っているの?」

「だから、結婚はして……」

「そうではないの。夫婦の契りはつまり……肌を合わせる、そういうことよ」

朔の言葉に、望美の顔が真っ赤に染まる。

「は、肌をあわせるって……エッチのことっ!?」
「『エッチ』?」
時々対は、この世界にない言語を用いるので、意味の分からない朔は首を傾げた。

「あ~……えっと……その……ようは『夫婦の契り』って夜のこと……だよね?」
「ええ」
朔の肯定に、望美が所在無さげにそわそわと指を動かす。

「そ、そのっ、いずれはそういうこともあるのかな~って、そうは思うけど……っ」

あからさまに動揺している望美に、朔は弁慶の
心情がようやく分かった。
つまり、望美があまりにも幼い為に、彼女の心が定まるまで手を出せずにいるのだろう……と。

「――望美。弁慶殿はとてもあなたを愛していらっしゃるから、心配しなくても大丈夫よ」
「そ、そうかな?」

なおも疑う視線に、朔は力強く頷く。
望美に話さず、一人で片付けてしまおうとする
悪癖は、後ほど注意しておけばいいとして。
『共寝』は望美次第なのだ。

「もしも、具体的に困ったことがあったら、いつでも相談してね?」
『具体的』の部分をことさら強調して言うと、
無垢な望美は分からないながらも素直に頷く。

(あなたが思いのほか、誠意のある方だとわかって安心しました。弁慶殿)
この件で、知らず朔の中の弁慶の株が上がったのはいうまでもない。
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