お兄様と呼んで

弁望25

「よく来たな!」
両腕を広げての歓迎に、望美は瞳を丸くする。
熊野に行こうと弁慶に誘われた時に、ヒノエへ
連絡することを止められていたからだ。

「え? え? 弁慶さん??」
――どうして私達が来ることを知ってるの?
思いっきり疑問を浮かべている望美に、弁慶は
微笑み答えを返す。

「君に話した後、烏に伝達を頼んでおいたんです」
「そうだったんですか」
歓迎の理由が分かり、望美は改めてヒノエ・湛快親子に向き直った。

「久しぶりだね、ヒノエくん。湛快さん、以前
訪れて以来ご無沙汰してしまってごめんなさい」
「姫君は相変わらず可愛いね」
「俺も嬢ちゃんに会いたかったぞ!」

そのまま望美を抱擁しようとした二人に、弁慶はさっと引き寄せ自分の後ろに隠してしまう。
そんな弁慶にヒノエはムッとすると、意地悪い
笑みを口元に浮かべた。

「墓前で告白なんて、さすがに抜け目ないね」

「君と一緒にしないで下さい。僕は純粋に両親に望美さんを紹介したかっただけです」

「純粋? あんたが?」

ばちばちっと火花を散らして応酬する二人に、
湛快はにやにやと笑いながら顎をこする。

「ついにお前も年貢を納める気になったんだな」
「全くヒノエといい、あなたといい……望美さんに失礼でしょう? 呆れた親子ですね」

予測していたとはいえ、昨日の出来事がすっかり筒抜けであることに、弁慶は嘆息した。

「まあ、こんなところでなんだ。入ってくれ」
「どうぞ姫君」
促されて門をくぐった望美は、その広さに改めて驚愕した。

「前に来たときも思ったけど、ヒノエくんって
本当に熊野別当なんだね」
以前、源氏にいた頃に協力を得ようと訪れた際、その立派さに呆然としてしまったことを思い出す。
そんな望美に、ヒノエは手をとり甲に口づけながら、ぱちんと片目を瞑った。

「そうだよ。俺に替える? 薬師の妻より贅沢できるよ?」
「ヒノエ……悪い冗談はおよしなさい」
また火花が散り始めた二人に、望美は慌てて首を振った。

* *

「では弁慶と望美ちゃんの結婚を祝して乾杯!」

杯を目の前に上げて言祝ぎを贈る湛快に、望美は照れくさそうに頬を染めた。
この世界に残り、弁慶と暮らすようになっても
部屋は別だったりと、おおよそ新婚らしからぬ実態に、望美は弁慶の本心が分からず、ずっと不安を抱えていた。
そんな折に連れて行かれた今回の墓参り。
そこで弁慶の想いを改めて聞いたばかりだったので、『結婚』の言葉は妙に照れくさかった。

「望美さん」
「は、はいっ!?」
弁慶の声に慌てた望美は、声を裏返らせながら
振り返る。

「君はお酒はダメでしたよね? 祝いだからといって無理しなくていいですからね」
「は、はい。ありがとうございます」

優しく気遣う弁慶に、望美は紅く染まった頬を
隠すように両手を添えながら頷いた。

「なんだ? 望美ちゃんは酒が苦手なのか?」

「苦手というか……私の世界では20歳まではお酒を飲んじゃいけなかったので、ほとんど飲んだことないんです」

「“ほとんど”ってことは、飲んだことはあるんだ?」

ヒノエの突っ込みに、望美が困ったように微笑む。

「戦の時にちょっとね。でも苦くて全然美味しいと思えなかったんだよね。どうしてヒノエくんは平気なの?」

同い年なのに、との言外の含みに、にやりと口の端をつりあげたヒノエだが、それを遮り弁慶が
口を挟む。

「性根の違いですよね? ヒノエ」
「……あんたに言われたくないね」
棘のある言葉に再びバチバチと火花が飛ぶ。

「お嬢ちゃんは俺と弁慶が兄弟だっていうのは
知ってるんだよな?」
「はい」
湛快の問いに頷くと、湛快はにやりと口の端を
つりあげた。

「じゃあ、これから俺のことは『お兄様』と呼んでくれ」
湛快の思わぬ発言に、ヒノエと弁慶が酒にむせる。

「お、親父……なに馬鹿なことぬかしてんだよっ」

「……兄さん。あまり馬鹿なことを、望美さんに言わないで下さい。望美さん、『湛快さん』で
十分ですからね?」

「な~に言ってんだ? 本当のことだろ?」

悪態をつく息子と睨む弟をさらっといなして、
驚き目を瞬いている望美に向き直る。

「さあ、嬢ちゃん!」
「あ、はい。『お兄様』」
勢いに押され口にすると、湛快は嬉しそうに顎をしゃくった。

「ん~いいな~! やっぱり妹は可愛いもんだ」
「嬉しいんですか?」
「おうよ。こんな可愛らしい嬢ちゃんに『お兄様』なんて呼ばれるなんざ、兄冥利に尽きるぜ」

なんだかよく分からない言い分だが、素直に喜んでくれているらしい湛快に、望美はにっこりと
微笑んだ。

「そんなに喜んでもらえるんだったら、これからは『お兄様』って呼ばせてもらいますね」

「おう!」

「望美さん……」

「望美、親父の戯言なんざ聞き流していいんだぜ?」

呆れる弁慶とヒノエに、望美は嬉しそうに首を
振る。

「本当に弁慶さんのお兄さんなんだからおかしくないでしょ? それに……『家族』って認めてもらえたんだってすごく嬉しいから」

笑顔でそう言われては、やめろと言えるはずもない。

「……覚えておいてくださいよ」
「嬢ちゃんに言いつけるぞ?」
睨む弟を、湛快は絶対威力で封じ込める。

「今日は祝いだ! 思う存分飲むぞ!!」
すっかり上機嫌の湛快に、ヒノエと弁慶はため息をついた。

* *

「『お兄様』! ヒノエくん! 元気でね~!!」
手を振り別当家に別れを告げると、弁慶と手を
繋ぎながら帰路を歩いていた。
と、隣りを歩く弁慶が漏らしたため息に、望美は心配そうに覗き込んだ。

「弁慶さん? もしかして具合悪いんですか?」

昨日は上機嫌の湛快に促されて散々飲んでいたので、普段家では酒を飲まない弁慶を気遣う。
そんな望美に、弁慶は苦笑を浮かべた。

「具合が悪いわけではありませんよ」
「それじゃどうしたんですか?」
「兄さんの戯れなんですから、相手にしないでいいんですよ?」

弁慶の言葉に、彼が湛快の呼び名の件を気にしているのだと気づき、望美は首を振った。

「そのことなら昨日も言いましたけど、全然嫌じゃありませんよ? むしろ嬉しいんです」
にこにこ微笑む望美に、弁慶は小さくため息をつく。
弁慶と望美が帰ったその日、湛快が謎の腹痛に
襲われ、一日床に臥したことは言うまでもない。
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