潮騒の相聞歌

弁望24

『弁慶さんと一緒にいると、とっても幸せだから。だから傍にいてくれて……生きていてくれてありがとう、弁慶さん』

両親の墓参りを終え、宿へ着いた弁慶は、先程の望美の言葉を思い出していた。
今まで自分が生きることを喜ぶものなどいなかった。
金とも見まごうその髪の色彩は、この世界で忌み嫌われている鬼の一族を彷彿させるものだった。
そのために、別当藤原家に生まれながら比叡に
預けられたのだった。

「そんな僕と一緒にいたいと……君はそういってくれるんですね」

胸を満たす暖かい言葉。
拭えない憤りを抱え、徒党を組んで暴れまわった日々。
比叡で得た知識に驕り、龍神の加護を己が一族だけにもたらさんとした清盛を倒すために応龍を
滅したその日から、ずっと重く暗い贖罪の道をただひたすらに歩き続けてきた。
そんな道の先に、明るい未来を指し示してくれたのは望美だった。

「気持ち良かった~! すっごくいいお湯でしたよ!」
戸が開き、にこにこと微笑みながら戻った望美に、弁慶がにこりと微笑を返す。

「熊野は温泉が豊富ですからね。その中でもここは、とりわけ女性にいいお湯なんですよ」

「そうだったんですか? 女性にいいって肌が綺麗になるとかですか?」

上気した頬に手をあて、嬉しそうに微笑む望美。

「もとより美しい君には必要ないかもしれませんが、喜んでもらえて嬉しいな」

「も、もぅ……弁慶さんはすぐにそういうことを……」

温泉による火照りとは違う、頬を赤らめた望美にくすりと笑む。

「濡れ髪の君はいつもよりも艶めいていて……
不埒な想いを抱いてしまいそうですね」

耳元でたっぷりと甘さをのせて囁くと、望美が
大きく肩を震わせ飛びづさる。
その初心な反応が可愛くて、肩を揺らして笑ってしまう。

「べ、弁慶さんっ! からかうのはやめてくださいっ!!」

「僕は本気なんですが……これ以上君の機嫌を
損ねたら、ヒノエに隙を与えることになってしまうかな。じゃあ、僕も入ってきますね」

笑いながら部屋を出て行った弁慶に、望美は
はぁ~っと大きく息を吐いた。
胸に手を当てると、どくんどくんと大きく早鐘を打っている。

「どこまで本気なんだか……」

京に残り、同じ家で共に過ごすようになったの
だが、弁慶と望美の寝室は別と、新婚夫婦とはとても思えない状態だった。
弁慶いわく、遅くまで薬草を煎じていたり書物を読むので、望美に迷惑がかからないようにとの
配慮らしいが。

「……私ってそんなに魅力ないのかな?」

手を置いていた胸に視線を落とす。
豊満とは言いがたいが、そこそこには膨らんでいる……と思う。
ついで腕を見てため息。
そこは女性にしては筋肉がいささかつきすぎていた。
つい先頃まで毎日のように剣を振るっていたのだから、仕方ないといえば仕方ないのだが。

「でも、それで弁慶さんが生きていてくれるんだから」
納得するように呟き、めくっていた袖を元に
戻す。
もしも望美が京に来る以前のように、剣を知らないままだったら、きっと弁慶とこのように未来を紡ぐことは出来なかっただろう。
ごろんと床に寝転び、今日の出来事を思い出す。
目的も告げられず、熊野に連れてこられた望美。
山道の先にあったのは、海の傍に佇む弁慶の両親のお墓だった。
潮騒が響く中で、弁慶が両親の墓標に向かって
大切な人と紹介してくれたことが、望美はとても嬉しかった。
ずっと不安だったから。
もとより人に胸の内を見せるような人ではなかったけれど、共に暮らすようになってからも弁慶の本心が見えず、何も言わずにいなくなってしまう彼に、置いていかれたのではと絶えず不安だった。

『僕は彼女と一緒に生きていこうと思います。
これからずっと……』
脳裏に甦る弁慶の言葉に、望美の胸が温かくなる。
罪の意識から今までずっと終わりに向かって歩いていた弁慶が、『生きる』と言ってくれたことが、望美にはとても嬉しかった。

「私もあなたと一緒に……あなたの傍で生きていきたい。ずっと一緒に……」

瞳を閉じて呟いた瞬間、ふわっと身体が浮いて。
気づくと弁慶に抱き寄せられていた。

「弁慶……さん? いつ戻って……」
驚く望美に弁慶は抱きしめる腕の力を強める。

「君はどうしてそんなに優しいのですか?」

――僕は君を裏切ったのに。
声にせずに唇で止め、胸の中で呟く。
なぜ時空を超えてまで、望美は自分を求めたのか。
自分にその価値を見出せない弁慶は、それが恋という感情によるものだとは分かっていても、そこまでの感情を自分に持つ望美が分からなかった。
軍師としての弁慶。
薬師としての弁慶。
それらを求めるものはいるであろうが、ただの
自分を欲するものなどいないはずだった。

「優しいんじゃなくて、私はあなたが……弁慶さんが好きだから。だからあなたと一緒にいたいんです」
弁慶の背に回された細い腕に力がこもる。

「生きて……ずっとずっと一緒にいましょうね」
「ええ。僕は君の傍に……君は僕の傍に。生涯を共に――」

耳に残る潮騒に、弁慶は腕の中のぬくもりを決して離さないと、心で誓った。
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