触れた指先が惑う熱

弁望22

ドキドキ、ドキドキ。
自分の鼓動がわかるぐらい騒がしい胸に、望美は身じろぐことも出来ず、ただ早く出て行ってと
願う。

事の始まりは、弁慶の誘い。
戦の後始末もようやく落ち着き、譲が元の世界に戻り、弁慶と二人で暮らすようになって間もなく、熊野へ行こうと誘われたのだ。
あまりにも唐突で、しかもヒノエに知らせず二人きりの秘密の旅と聞いて、正直どうしてだろうと訝しく思ったが、いつものようにはぐらかされてしまい、理由は聞けずじまいだった。

「今日はここで休みましょう」
「はい」

途中で見つけた宿に入ると、互いに旅路の疲れを癒そうと湯に向かう。長い髪を結い上げ、布を手繰り寄せ温泉に足を踏み入れた瞬間、「望美さん?」と名を呼ぶ聞きなれた声に固まった。

お湯を使っていたのだろう、柔らかなくせ毛を濡らし、驚いたようにこちらを見つめる人は、先程温泉の入口で別れた弁慶その人。
男女で分かれていたのは入口だけで中は共通――つまりは混浴だったのである。
行軍の中で温泉に入る機会は幾度かあったが、その時は必ず男女分かれていたため、混浴の可能性を全く考えていなかった。

「すみません、混浴だとは知らなくて……。君はすぐに上がってください」
「は、はい……っ」

せっかくの湯を前に残念ではあったが、まさか
弁慶と一緒に入るわけにもいかず踵を返しかけて、男湯から人の来る気配を感じて青ざめる。

「……仕方ありませんね。望美さん、こちらへ」
「え?」
手を引かれて湯に入ると、温泉の奥の方の一角へ連れていかれる。

「ここなら気づかれないでしょう。少しの間、
静かにしていてください。僕は前を向いていますから」
背を向けた弁慶に、望美は傍らの岩と彼に隠れるように半身を湯に沈めて気配を殺す。
入ってきた客はいずれも男ばかりで、混浴など入ったことのない望美はもしもこちらへ来たらどうしようかと緊張していたが、弁慶が傍にいるからか、彼らが奥まで入ってくることはなかった。

「……大丈夫ですか?」
「っ、は、はい」
小声での問いに身を震わせるが、弁慶の視線は前に向いたまま。
そのことを確認してホッとすると、改めて現状を意識する。

(まさか弁慶さんと一緒にお風呂に入るとは思わなかったな……)

厳島で弁慶にこの世界に残って欲しいと乞われ、彼の傍にいることを選んだ。
けれども望美と弁慶の関係は、傍目には何も変わってはいなかった。
好きだと言われ、求めに応じた。
口づけも、交わした。
けれども、共に暮らすようになってからも弁慶の態度は今までとまるで変わりはなかった。

同じ庵で寝食を共にする。
一見すれば恋人のようだが、共に戦っていた頃と代り映えのない距離感。
弁慶は本当に自分のことが好きなんだろうかと、そう不安になるぐらい、弁慶の態度は変わらなかった。
だからもちろん、今まで二人が肌を合わせたことはなく、こうして身を覆うもののない姿で傍に
あるのは恥ずかしくて仕方がなかった。

(ああ~もう早く出て行って~!)

何度となく願った退出を再び心の中で叫びながら、温泉の奥で息を殺していると、ようやく去った気配にほっと胸を撫で下ろす。

「もう大丈夫のようですね。残念ですが湯を楽しむのはまた日を改めて、今は次が来る前に出ましょう」
「はい」
頷き、湯から立ち上がろうとした瞬間、くらりと景色が揺れて身が傾ぐ。

「望美さん!」
とっさに抱き留められ、湯の中に沈まずに済んだことにほっとするや、目の前にある弁慶の胸に
カッと顔が熱くなる。

「ご、ごめんなさい……っ」

「動かないで。急に動いては危険です。……恐らく湯疲れしたのでしょう。立てますか?」

「は、はい」

「慌てなくて大丈夫ですから、ゆっくり歩いて
下さい」

落ち着いた声音は薬師のもので、けれどもとても落ち着けるはずもなく、半ば混乱しながら弁慶にしがみついていると、「失礼します」と断りを
入れる声と共に身体が浮いて、一瞬の後に抱き上げられたのだと気がついた。

「べ、弁慶さんっ!」

「暴れないでください。湯に足を取られます」

「だったら下ろしてください! もう大丈夫です!」

「湯疲れを安易に考えてはいけませんよ。見ませんから身を預けてください」

視線を前に固定したままの弁慶はすっかり薬師の顔で、望美は諦め強張りを解くと彼の胸に寄りかかった。

「下ろしますね」
弁慶の声に小さく頷くと、俯いたまま床に足をつける。
一分もたっていないだろう時間がやけに長く感じた。

「着替え終わったら声をかけてください。もしも途中で具合が悪くなったらすぐに呼ぶんですよ」

心配に小さく頷くと、逃げるように脱衣所へ
入り、うわあぁと頭を抱える。

(うう……絶対見られた……恥ずかしすぎる……)

極力目を合わせないよう気にかけてくれていたが、全く見ていないなどあるわけない。

(どう思われただろう……)
望美の身体にはいくつかの傷があり、手も剣を
知るもののそれで、とても女らしいとは言えなかった。

(こんなんじゃ弁慶さんも抱きたいなんて思わないのかも……)

弁慶に乞われた意味も、一つ屋根の下に二人で住むことも、わかっていないわけではなかった。
今まで恋愛と呼べるような経験もなく、本や友達の噂程度の知識しか持ち合わせていないが、弁慶に女として求められたのだろうということも、
漠然と理解していた。
けれども今まで、弁慶が望美に触れることはなかった。
優しくて、いつも穏やかで……けれども何を考えているのかわからない。
望美に魅力がないのか、望んでいるのは女としての望美ではないのか。

「――望美さん。着替えは終わりましたか?」
入口からの問いかけに、望美は慌てて着物を身につけると弁慶の元へと歩いて行った。

* *

「体調はどうですか?」
「もう大丈夫です。心配かけてごめんなさい」
「謝らないで。混浴かどうか、確認しなかった
僕が悪いんです」

そんなことないと否定するより、先程の出来事を思い出し顔を赤らめると、首筋に触れた手に鼓動が跳ねあがる。

「……まだ熱が残ってますね」
違います、これは思い出して照れたせいです――とも言えず黙ると、水桶につけた布巾が当てられる。

「すみません」
「弁慶さんこそ謝る必要なんてないですよ」
「いいえ」

たまたま立ち寄った宿の温泉が混浴かなんてわかるはずもなく、湯疲れだって突発的な出来事のせいで、弁慶に非があるわけもないのに、頑として否定する弁慶に首を傾げると、琥珀の瞳に宿る
見たことのない色に気づく。

「あの時、僕は君を……」
「弁慶さん?」
尻すぼみになって消えた言葉の続きを乞うが、
曖昧な笑みに問うことを遮られてしまう。

(まただ……)

自分の胸の内を明かしてくれないのは今に始まったことではない。
けれども、共に暮らすようになってもまだ話してくれないのは、自分が信用されていないからなのかと、ずっと燻っていた不安が溢れだして悲しくなる。

「どうして弁慶さんはいつもそうなんですか」

「望美さん?」

「言いたいことがあるなら言ってください。
一人で抱えないで。私にこの世界に残って欲しいって言ったのは、弁慶さんじゃないですか」

弁慶を救いたいと二度、時空を遡った。
自分が好かれているなんて思いもしなかったから、彼が好きだと言ってくれた時はただ驚いてしまい、喜びはずっと後に来たほどだった。

「私は、本当に弁慶さんの恋人なんですか?」

時には共に市に出かけて、生活品を仕入れて。
弁慶の仕事を手伝えたらと、薬草の種類や効能も頑張って覚えてきた。
けれどもそれらは共に旅していた頃にもあったことで、弁慶の態度は昔とあまり変わりはしなかった。

「……まだ熱いですね」
「弁慶さ……っ、ん……っ」

気遣うように触れた指先に、またはぐらされるのかとカッと言い返そうとして、突然近くなった
距離に驚く間もなく覆いかぶさった弁慶から口移しに水を与えられる。

「――言ってしまっていいんですか? 温泉で君を見た時、このまま君を抱いてしまいたいと……そんな不埒な想いを抱いたのだと」

ゆらりと揺らめく強い光。
それは先程弁慶が隠そうとしたもの。
今まで向けられたことのないその瞳の色に、身体の奥から焦れるような痺れを覚え見つめると、
鎖骨を撫でる指先にびくりと身を震わせた。

「……なんて言ったら君はどうしますか」
「…………え?」
「すみません、体調が優れない君に悪ふざけが
過ぎましたね」

一瞬にして変わった空気に事態が呑み込めずに
目を瞬かせると、弁慶が困ったように微笑む。

「望美さん。僕の態度が君を不安にさせていたんですね。ただ、これだけは誤解しないでください。僕は君が好きです。だからこそ、こうして君を連れてきたのだから」

「え?」

「明日、説明します。だから今日はゆっくり休んでください。僕の箍が外れてしまう前に」

唇を撫でる指先に、弁慶から感じる色気に顔を
赤らめると、優しく視界が塞がれて、額に濡れた布巾が置かれる。

「おやすみなさい」
離れていく衣づれの音に、けれども身を起こすことも、布巾を取り除くことも出来なくて、望美は高鳴る鼓動にきゅっとこぶしを握り締めた。

2017/07/17
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