乞い、乞われ、花開く

弁望18

「僕はもう一つ、違う戦いをしなければいけないかもしれません」

すべてが終わり、安堵の息を吐いた瞬間告げられた言葉に驚き見上げれば、そこには真剣な眼差しで見つめる弁慶の姿。

「君を元の世界に返したくないんです。望美さん、どうかこの世界に残ってくれませんか」
「……え?」

告げられた言葉が頭の中でうまく処理できなくて、呆然と目の前の人を見た。
望美のそんな反応に誤解したのだろうその人は、それでも乞うように望美の手を取った。

「――僕は、君が好きです」
「!!」
心の琴線を震わす、言葉。
望めない、叶わない。
そう思って望むことすらしなかった共にある未来を促す弁慶に、気づけばその手を取っていた。

* *

「朔……、朔!」
戦の片付けで慌ただしい場を走って駆け寄る望美に、朔は微笑むと祝福を口にした。

「おめでとう、望美」
「朔……私、起きてるよね?」
「え?」
対の少女の言葉が一瞬理解できず首を傾げると、不安そうに翡翠の瞳が揺れていた。

「だって、弁慶さんが私を好きだなんて……そんなこと、あるはずないって思ってたから……」

ずっと、ずっと、その後ろ姿を追いかけてきた。
追いかけても追いかけても、その心の中は覗けなくて、一人罪を背負い消えてしまった弁慶を逆鱗の力で再び追いかけて切り開いた未来。
けれども望美は、弁慶が生き残ったその先のことを考えてはいなかった。
ただ生きていてほしい、その強い思いだけで今まで駆け抜けていたのだから。

「私、起きてるよね? 夢じゃないよね?」

もし弁慶が生き残ったこの世界が夢だったら……そう思うと足元が崩れ落ちるような錯覚を覚え、望美はギュッと自分を抱きしめた。

「今までずっと戦い続きだったから信じられないのね。……大丈夫よ、望美。夢じゃないわ。戦はもう終わったの。あなたはこれから弁慶殿と共に歩くと決めたのでしょう?」

「朔……」

力強い対の肯定に、望美はようやく現実である
確信を持ち始めた。

「どうしよう……私、変なこと言わなかったかな……」
あまりにも信じられなくて、弁慶に思いを告げられた前後の記憶があやふやで不安になる。

「だって弁慶さんは、私のこと、神子としか見てないって……」

それでもいい。
それでも生きていてさえくれればいい。
そう思い、時空を遡って違う運命を探し求めていた。

「望美。その答えは弁慶殿本人にお聞きなさい」
「え?」
朔の言葉に振り返れば、そこにいたのは困ったように微笑む弁慶。

「朔殿、少し望美さんをお借りしてもよろしいですか」
「ええ。よろしくお願いします」
笑顔で送り出す朔に、望美は促されるまま、喧騒から少し離れた場へ移動した。

* *

「……君を驚かせてしまったようですね」
苦笑を浮かべる弁慶に、望美は慌てて首を振る。

「いえ、その、驚いたのは驚いたんです……
けど、嫌だったわけじゃないんです」
「はい」
「ただ、信じられなくて……」
朔にも告げた言葉を繰り返すと気配が近くなって。
顔をあげるとすぐ目の前に端正な顔があった。

「僕が君を乞うのは信じられませんか?」
「だって、弁慶さんは私を……神子として必要だったんですよね」

源氏に龍神の神子がいる。
それは源氏が龍神の加護を受けているのだと思わせるよい口実だった。
実際応龍の片割れである白龍はずっと望美の傍にいたし、平家の怨霊に対抗するにも望美の持つ
封印の力は都合の良いものだった。

「……そうですね。そのことは否定はできません」
「やっぱりそうなんですね……」

では、共にこの世界を見守りたい、というのは変わらず源氏の神子としていてほしい、という意味だったのだろうか?
落胆が頭を掠めた瞬間、頬に指が触れた。

「ですが、僕が君を乞うたのは源氏の軍師としてではありません。武蔵坊弁慶として……一人の男として、春日望美という一人の女性を乞うたんです」

「私を、ですか?」

「ええ」

おうむ返しに聞き返すと、はっきりと肯定が返される。
それでもまだ信じられない望美に、弁慶は言葉を重ねた。

「僕はずっと、君に向かう想いを胸の内にしまい、閉じ込めていました。
京を己の過信で廃れさせた罪人が、龍神に選ばれた清らかな君を思うなど、許されないことでしたから」

眩くて、常に陰を歩く弁慶には眩しすぎたひと。
それでも焦がれ、手を伸ばさずにはいられなかった。

「望美さん。君が信じられないというのなら、
僕は何度でも君に伝えます。……僕は君が好きです。君が、好きです」

耳から聞こえるよりも深く、心に響くその声に、望美はぎゅっとその胸に縋る。

「……私も、弁慶さんが好きです。
ずっと、ずっと、好きでした」

求めて、追って、向けられた背をまた追って。
誰より求めてきたひと。
揺らぐ視界に、強く抱き寄せる腕。
頤を上げる指先に、触れたのは、少しかさついた唇。

「僕の想いを受け入れてくれますか」
わずかに開いた唇の隙間からの乞いに頷くと、
もう一度、先程よりも深く唇が重なった。
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