秘めた想い

弁望17

■夢浮橋のお話です

天界に召喚された時、弁慶は己の隠れた願望を
知り驚いた。
自分のことを誰かに知って欲しいと思ったことはなかったし、他人に見透かされるほど底の浅い
人間ではないと自負もしていた。
それなのに弁慶の不安や願望だという小箱の中には、彼の過去が詰められていた。
それは望美に自分を知ってもらいたいという願いの現れ。
自らの行いによって荒廃してしまった京に龍神の加護を取り戻す――あの日からずっと、ただ一つの目的を叶えるために生きてきた弁慶の中に、
新たに宿った想いがあることを知らしめるものだった。

「君は不思議な人ですね。僕にあんな夢を見させるなんて……」

恋などするつもりはなかったし、ましてや駒として利用すると決めた望美に八葉以上の想いを抱くことはないと思っていた。
だからこそ現への帰路の供に選ばれた時も、喜びより戸惑いの方が勝った。
自身の隠れた想いを知った今、望美から向けられる想いは判断を鈍らせる材料にしかならないからだ。
それでも他の誰かにその役目を譲ることは選ばず、夢浮橋を共に渡り戻ってきた。
夢から覚めればきっと天界での出来事は忘れているのだろう。
望美も、自分も。

しかし弁慶の希望的観測に反し、夢から目覚めた後も天界での出来事は記憶に残っていた。
せめてもの救いは、望美には記憶が残らなかったこと。
応龍の加護を取り戻す以外、望むことがあってはならない。自分にはその資格などないのだから。
だから「目が覚める時は幸せな気分でした」という望美の言葉に揺れる心から目を背け、己を戒めるように五条大橋へ赴いた。
目の前の現状こそが弁慶の罪の証。
知識に驕り、力を過信し、応龍の加護を失わせた結果、この世界は荒廃してしまった。

すべての人に薬を渡せるわけでもなく、またずっと見守ることさえできない自己満足な行為であっても、それでも何か行えることがあるのならせずにはいられず、弁慶は時間を取れる時は必ず五条大橋の粗末な小屋で時間の許す限り薬師として
過ごしていた。
そんな彼の後を、いつかのように追ってきた
望美。
理由を問えば気になるからだと臆面もなく答える少女は、自分の行動がどれだけ弁慶を揺さぶるのかなど気づいていないのだろう。

そっと遠ざけようとしても逆に追いかけてくる
望美を、けれども悲願を叶えるためにその存在が不可欠である以上無碍にも出来ず受け入れる。
そんな言い訳めいた想いを抱く理由をあえて追求せずに、共に在ることを許可すれば、勝手な行動に眉をつり上げていた少女はあっという間に相好を崩した。
そのあどけなさに苦笑をこぼしつつ、小屋へと
足を向けると、後をついてきていた望美が道の小石に足を取られ、バランスを崩したのをとっさに抱きとめる。
何気なく触れたそのぬくもりが離し難く、腕の中へと囲ってしまった。

「すみません! ありがとうございます」

「……君はいけない人ですね。あとけなく、容易く僕の心を揺らす」

「弁慶さん?」

「君はかけがえのない存在なんです。こんなところで怪我など負わせるわけにはいきません。
足元には十分注意してくださいね」

溢れかけた想いを笑顔で隠して話を反らすと、
はいと素直に頷く望美から身を離して普段通りに振る舞う。

今の弁慶には望美に想いを伝えることなど許されない。
けれども、もしも贖罪の先に残された時間があるのなら。
暗く危うい道を進んだ弁慶を彼女が許し、話す時間が与えられたのなら。
その時にはこの秘めた想いを明かし、伝えたい。――君が好きだと。


* *

嵐のように激しい時間が過ぎ去って、だるさの
残る身体にぐったりと褥に横たわりながら、ふと望美は覚えた既視感に目の前の弁慶を見つめた。

「望美さん? どうかしましたか?」
「今の弁慶さん、どこかで見た気がして……
どこだろう……」
記憶を探るように遠い目をする彼女を見守っていると、ふとその瞳に光が宿る。

「私、いつだったか、今の弁慶さんを見たことがある気がするんです」
「今の僕、ですか?」
「はい」

今の……というのは、白龍の力によって時を戻された17歳のこの姿のことだろうが、当然のごとくその時分に望美に会ったことなどあるはずもない。
どういうことだろうかと思いを巡らせていると、ああ……と弁慶はとあることに思い至った。

「それは夢の中で、ではありませんか?」
「夢ですか?」
「ええ」

弁慶が言う夢は、天界に呼ばれた時のもの。
あの時、望美は夢の小箱という形で弁慶の過去に触れていた。
そう、この時分の彼に。

目覚めた時に失ったはずの、あの世界での記憶がわずかなりとも彼女の中に残っていたことに、
驚きと共に抱いた喜び。
あの時は自分の隠れた願いに戸惑ったが、こうして望美と寄り添う未来を得た今となっては、彼女に隠す必要もない。

「君に知ってもらいたいんです。僕がどんな人間なのか……君だけにはこの胸の内を明かしたいと、そう願うから」

自分を知ってほしい――そう願ったのは彼女が
初めてであり、きっとこの先そう思うことはないだろう。
君だけなのだと、天界で悟った想いをありのままに伝えれば、その顔が嬉しそうにほころんで。
教えてください、知りたいです。そう笑顔で告げてくれる望美を腕の中に抱き寄せた。

2017/02/11
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