大人気なくても

弁望14

■夢浮橋のお話です

天界を散策していた弁慶の耳に、話し声が届く。
「お待ちください!」
「え?」
「失礼いたします」

1つは彼の大切な神子である少女のもの、そしてもう1つは――?
気配を殺して近寄ると、弁慶の予想通り望美がいた。
その傍らには彼女の足を取り、気遣う男。

「あれは確か……先々代の天の青龍でしたか?」

手を口元に寄せ、眉を寄せる。
望美と共にいる男はこの天界で出会った、200年前の神子に仕えている八葉の一人、九郎の先祖に当たるらしい源氏の武士だと言っていた、紺の長い髪を一括りにした頼久だった。

「――やはり足に。ご無礼を働いたことお許しください。足に傷を負っていらっしゃるとお見受けしましたので」

「傷? 本当だ。かすり傷が……いつの間に擦りむいたんだろう?」

(傷? いつの間に……)

どうやら望美が足に怪我を負ったのに気づき、
頼久が手当てしようとしているようだった。

「洗い流した方がいいですね。水を汲んでまいります。しばらくお待ちください」

「え? そんないいですよ。これくらいた大した傷じゃ……」

「いえ、私にとっては大切な御身。どのような傷も見過ごすわけには参りません」

頭をたれて尽くそうとする頼久に、望美が慌てている様が伝わってくる。
神子と言う立場にありながら、自ら剣を取り、
仲間として共に戦う彼女らしい反応に、つい笑みが口元に浮かぶ。

(……面白くないですね)

頼久が望美を大切だと思うのは、己が神子を救うのに不可欠な存在であるからだろう。
しかし、彼女の真の八葉であり、薬師たる自分よりも望美の傷に気づいたというのが不満だった。
状況を読み解くと、弁慶は即座に行動に移った。

「僕が診ましょう。薬を持っていますから」
「えっ、弁慶さん?」
二人の前に姿を現し、驚いている望美からさりげなく頼久を引き離す。

「かわいそうにずいぶん歩いて疲れてもいるんでしょう」
「ええと……」
治療するという口実で足を取り、頼久が触れたであろう箇所を、己がぬくもりで上書いていく。

「はい。これで大丈夫ですよ」
「あ……ありがとうございます」
頬を赤く染めた初心な望美に、ふふっと微笑む。
頼久はというと、根が実直な男らしく、彼女の
八葉で薬師でもある自分を全く疑っていないようで、弁慶が治療する様も一言も発さず見守っていた。

「心配かけちゃってごめんなさい」
頼久や弁慶に心配をかけたとうなだれる望美に、それまで黙していた頼久がいち早く口を開いた。

「御身を気にかけるのは八葉ならば当然のことです。私のこの命も私の神子……あかね殿をお守りするためにあると、ずっとそう心に決めてお仕えして参りました」

「ええと……頼久さんって恥ずかしい台詞を平気で口にするって言われません?」

弁慶でさえ一瞬瞠目してしまったのだ。
自分よりも年上の男にかしずかれた望美は、耳まで真っ赤に染めて照れくさそうに頼久を見つめていた。

「そうでしょうか?」
当然のことを口にしたまで、とばかりにきょとんとしている頼久に、弁慶は内心苦笑を漏らした。

(生真面目……というのも侮れないものですね。しかし……)

「彼の言うとおりですよ。君の身はどうか僕たちに守らせてくださいね」
“僕たち”と言うところに力を込め、一度言葉を切る。そして――。

「可愛いお嬢さんの身に傷がついては、僕も悲しいですから」

「……弁慶さん。もう……お世辞を言っても何も出ませんよ」

憂い顔で切なげに見つめれば、いつも弁慶の言葉に頬を染める望美が一層顔を赤らめ、上目遣いに見つめて呟く。

(そうですよ。君が頬を染めるのは、僕だけでいいんですから……)

たとえ大人気ないと言われてもこの役だけは譲れないと、弁慶は笑顔で報復するのだった。
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