春の訪れ

弁望110

ふと望美を見つめて、そういえばそろそろだったかと顔をほころばせる。
少し前あたりから、望美が落ち着かない様子で彼を見つめては悩んでいる様子に気づいたのだが、この日を迎えるのも三度目ともなると彼女が何に悩んでいるのかわかっていたので、弁慶は素知らぬ振りをしていた。
当日の楽しみに贈り物は秘密にするものだと、始めの年に知らず暴いて彼女の頬を膨らませてしまった記憶から、気づかぬ振りをすることにしたのだ。
個々が生まれた日を祝う習慣はこの世界にはないものだが、望美が大切に思っているのを尊重し、あえてこちらに合わせることを強いはしなかった。
それに何よりも彼女から言祝れることが幸せだと知ってしまったから、どこか待ち望む心地さえしていた。
陽の神子。その通りに先を切り開き光を導いたその存在は、天上に帰ることなく弁慶の側に残ってくれた。
穢れた身で望むことなどあってはならないと戒め、いつも一歩引いて接していたのに、その距離を軽々と詰めてこの手を掴んだのは彼女。
何を犠牲にしても、新たな罪を背負っても必ず為さねばならないと自身に課した思いを叶えこの地に平穏をもたらし、清盛と共に滅びるはずだった弁慶に違う道を指し示し、共に生きることを望んでくれた。
そのことに始めは戸惑ったが、今は彼女のために生きたいと願うことをおこがましいと考えるのはやめた。

「もう僕はこれ以上ないものをもらったのですが、それでも君はもっとと与えてくれるのでしょうね」

積年の願いだった応龍の復活。
清らかな神子である望美自身。
穏やかであたたかな時間。
そして――家族。

「臨月まではもう少しあるといっても、無理はさせないように気をつけないといけませんね」

陽の気質を持つ白龍の神子故か、じっとしていることが苦手な望美はおとなしくしてはくれないので、常とは異なる身なのだと口をすっぱくしながら諭す対の神子の言に同意しながら、さりげなくその行動を安全なものへと誘導してきた。
高いところや重いものを持つことを避け、子どもたちにも彼女へ飛びついたりすることのないように教えたり。
過保護だと患者に笑われもしたが、子を産むことは命の危険を伴うものだと知っているから、ことさら気になるのは仕方ないだろう。
なぜなら彼女はただ一人、弁慶が切にと望んだ存在なのだから。
信頼のおける産婆も見つかり、お産当日は弁慶ももちろん付き添うことにしている。
薬師と言ってもお産は専門外のために手伝い程度になってしまうが、それでも自身の手で我が子を、そして彼女の無事を確認したかった。

立ち上がろうとして、ふわりと馨ったのは梅の花。
春の訪れを知らせる鶯もじきに見かけるようになるのだろう。
その頃は新たな命が傍にあると思うとなんとも言えない心地がして、自身が幸せを感じることに不馴れであることを改めて知って苦笑した。
それでも、それが自身には過ぎたものだと卑下はしない。
手を伸ばしたのは自分であり、その手を掴み、惜しみなく幸せを与え続けてくれる望美を否定するものだから。

「弁慶さん」

呼びかける声に振り返ると、差し出された贈り物を受け取って。
あたたかな言祝ぎが自身を満たしていくのを感じた。

20200211
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