そして時は動き出す

弁望83

「……ん? 姫君、香を変えたのかい?」
「え? 香?」

傍らに座ったヒノエの反応に、望美は不思議そうに首を傾げた。

「いえ……この香は確か、将臣くんが身につけていたものですね」
「将臣の?」

望美を挟んで反対側に腰を下ろす弁慶の言葉に、ヒノエは柳尾を寄せた。
将臣とは、ヒノエと弁慶が取り合うこの少女の幼馴染で、同じ八葉の一人だった。

「あ、そういえば寒くてさっきまで上着借りてたから、コロンの香りが移ったのかも」

望美の言葉に、二人はいっそう眉をしかめた。
幼い頃から共に過ごしてきた望美と将臣の間には、二人にない幼馴染ゆえのうちとけた気安さが存在していた。
そう――簡単に香を移せるほどの親しさが。

「ねえ、姫君。この香はどう思う?」
「え? 香水? ヒノエくん、どうしたのこれ」
「姫君に似合うと思ったら、つい手に入れたくなってね」
「爽やかで甘い……確かにいい香りだよね」
「望美さん、こちらはご存知ですか?」
「口紅……じゃなくてリップクリーム?」
「ええ。書物に載っていたのですが、落ちにくくて潤いを与えると、女性に人気があるようですね」
「そうなんです!ちょっと高めなんだけど、すごくいいって友達が言ってました!」

右手にヒノエの香水、左手に弁慶のリップクリームを受け取って、望美は交互にそれらを見つめた。

「姫君にあげるよ」
「えぇ!? こんな高いものもらえないよ!」
「姫君のために選んだものなんだから、お前に受け取ってもらえないと行き場がなくなってしまうんだけど」
「僕のも受け取ってもらえますか? これは女性ものですし、せっかくですから君に使ってもらいたいんです」
「え? でも……」

香水にリップクリームと、突然の贈り物に望美が戸惑い二人を見る。
今日は望美の誕生日というわけでもなく、素直に受け取るには少々値が張るそれらを受け取るのに望美が躊躇うのは当然だった。

「前に姫君自ら作ってくれた菓子の礼だよ」
「望美さんの心のこもったあのお菓子にはかないませんが、受け取ってはもらえませんか?」

そう言われては、受け取らないわけにもいかず。
「ありがとう!ヒノエくん、弁慶さん」
ようやく笑顔を見せた望美に、二人が笑みを返す。

「よかったら早速使ってみない?」
「え? ここで?」
「ええ」

 二人に促されて、改めて手の中の香水とリップクリームを覗きこむと、じゃあと洗面所へと足を向ける。

「ああ、望美。つけるならどちらか片方、だよ」
「え?」
「香が重なってしまいますからね」

言われてみれば、どちらも香りを放つもので。
しかしどちらかと言われてしまうと、即座に選べるはずもない。
そんな望美を、二人は黙って見守っていた。
異性から贈られた香を身に纏うのは、所有の証。
つまり、どちらが望美の心を得ているのかがわかるのだ。
他者への牽制は勿論だったが、好意を寄せる少女が他の男の香を纏っているのも許せなかった。
自分の贈った香で上書きたい。
その想いが、望美に決断を促す。
静かな闘志を燃やす二人の視線を受け、手の中の品物に迷っていた望美は顔をあげるとじゃあ、とリップを手に取った。

「ヒノエくんの香水は、どうせならもっとおしゃれした時の方がいいかなぁと思うから、今日は弁慶さんのリップクリームをつけてみますね」
「ふふ、楽しみにしていますね」

いそいそと洗面所へと駆けていく望美に、ヒノエが肩をすくめてソファから身を起こす。

「君ともあろう者が女性への贈り物を見誤るとは、珍しいですね」
「姫君が思慮深いってことを忘れてたよ」

自らの敗因を認め、次の策を素早く練る甥に、弁慶も同様に少女の心を得る策を考える。
自分達の思惑などまるでわかっていない望美は、簡単に香を上書いてしまうから。

「勝負は最後まで分からないぜ?」
「心得てますよ。負けるつもりはありませんけどね」

ヒノエの宣戦布告を真っ向から受けて立つと、少しでも彼女との時間を得るためにと台所へ足を向ける。 幸いにも、普段は一手に家事を引き受ける譲は不在だった。

「望美さんの好きな紅茶はこれですね」

棚から茶葉を出して、ティーカップを2つ用意する。
他の男の香を纏った望美など見たくないとばかりに、さっさと姿を消した甥の分はもちろん除外していた。

「これから先も、僕が選んだ香が君を包むように……ふふ、楽しみが増えましたね」

軍略とは違う、楽しい策略に口の端がつりあがる。
自分の変化に僅かばかりの驚きを感じながら、それさえも心地よく、弁慶は自らが贈った香を纏って望美が現れるのを待った。

リクエスト:朱雀で望美の取り合い
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