至福

敦望5

「はぁ~……」
大きなため息が熊野の奥の庵に響く。
ため息の主は、白龍の神子で現在は敦盛の妻となった望美。
いつもは明るく元気な笑みを絶やさない彼女には珍しい、物憂げな表情を浮かべ、再び大きなため息をついた。

「そんなに憂い顔でどうしたんだい?」
突然背後からの声に驚き振り返る。
そこにいたのは、かつて戦を共に戦い抜いた仲間のヒノエ。

「ヒノエくんか。もぅ、気配消してくるからびっくりしちゃったよ」

「ふふ、姫君は何をそんなに悩んでいるんだい?」

当然のように望美の隣に腰かけるヒノエに、望美が再び顔を曇らす。

「敦盛さんの誕生日プレゼント考えてたんだけど、何がいいか思いつかなくって」

「敦盛の誕生日プレゼント?」

「あ……えっと、私の世界では生まれた日を誕生日って言って、ご馳走作ったり贈り物をしてお祝いするの。
もうすぐ敦盛さんの誕生日だから、何か贈り物をあげたいと思ったんだけど、何がいいのか全然浮かばなくって……」

「敦盛への贈り物、ね。あいつなら望美があげるものなら、なんでも喜ぶと思うよ?」

「私もそう思う。だけどやっぱり本当に嬉しいものをあげたいじゃない?」

ヒノエの言う通り、敦盛なら望美が何をあげてもきっととても喜んでくれるだろう。
だけど、それが本当に彼が心から喜ぶものなら、なおさら嬉しいはずなのだ。

「楽器……はもう大切な笛があるし。お揃いの鈴飾りもあるし。あ~本当に何がいいんだろう~!」

候補を挙げては消えていく贈り物に、望美は大きなため息を漏らす。
そんな望美に、ヒノエが悪戯を思いついた子供のように瞳を輝かせて微笑む。

「それだったら神子姫の祝福をあげればいいじゃん」
「私の祝福?」
首を傾げる望美に、ヒノエが口の端をつりあげる。

「姫君の唇、だよ。好きな女からの口づけなんて、男にとっては最高の贈り物だと思うぜ?」

「く、口づけ……!? ほ、本当にそんなものが嬉しいの?」

「もちろん」

真っ赤な顔で動揺する望美に、ヒノエがふふっと微笑み、望美の肩を抱く。

「なんなら俺が口づけのやり方を教えてあげようか? 姫君なら大歓迎だよ?」

「……ヒノエ。堂々と神子を口説くのは止めてもらえないだろうか」

「あ、敦盛さん!?」

外出していた敦盛がいつの間にか二人の後ろに立っていて、望美は慌ててヒノエから離れた。
そんな望美に、ヒノエが大げさにため息をつく。

「後もう少しだったのに、お前も結構目ざといよな?」
「…………」
一見表情は変わらないがそこは幼馴染、敦盛が機嫌を損ねていることに気づき、ヒノエは片手を振って退散していく。
その姿が見えなくなると、敦盛は小さくため息を漏らした。

「敦盛さんおかえりなさい」
「ただいま、神子」
いつもなら敦盛が帰ってくると満面の笑みを浮かべる望美が、物憂げな顔をしていることに敦盛が顔を曇らす。

「ヒノエに何か大事な話があったのだろうか? 私が邪魔をしてしまったか?」
「い、いえ! そんなことないですよ!!」
慌てて否定すると、先ほどの話を思い出して顔を赤らめる。

「顔が赤いな……。熱があるのだろうか?」
「ち、違います! 私は元気ですよ!!」

心配する敦盛に、望美がぶんぶんと首を振る。
いつもと態度の異なる望美に、敦盛が気遣うように彼女を見つめ問う。

「神子……本当に何もないのか? いつもと様子が違うように思うのだが……」
「う……っ」
敦盛の指摘に望美が言葉に詰まる。
元来隠し事が苦手なので、どうしても顔に出てしまうのだ。

「……私には言えないことなのだろうか?」
顔を曇らせる敦盛に、望美は慌てて彼の手を取った。

「ち、違います! 敦盛さんに隠してたんじゃなくて、当日驚かせたくて……あ」
「当日?」
首を傾げる敦盛に、自分から暴露してしまった望美がうなだれる。
本当なら一番喜ぶ贈り物を用意して、ご馳走と共に一週間後の誕生日を祝いたかったのに、夢は藻屑となって消え去った。

「神子?」
「あ~もう……どうして私ってこんなにうっかりなんだろう」
落ち込んでしまった望美に、事情がわからない敦盛はおろおろする。

「神子……本当に大丈夫か?」
「もうこうなったら直接聞いちゃいます! 敦盛さん、何か欲しいものありませんか?」
うなだれていた望美が突然顔をあげたかと思うと問われ、敦盛が瞳をぱちぱち瞬きさせる。

「ほ、欲しいもの?」
「そうです。何か私にして欲しいことでもいいですよ」
じ~っと見つめられ、敦盛は早まる鼓動を感じながら一瞬の間を置いて首を振る。

「……ないな。私は十分満たされている」
「あ~やっぱり……」

再びうなだれた望美に、敦盛が慌てる。
望美がどうしてそんなことを聞いてきたのかはわからないが、どうやら敦盛に何か要望されたかったのだと悟る。
しかしいくら考えても、他に望むものなど何もないほど敦盛は満たされていた。
本当ならば浄化されて五行の流れに戻らねばならなかったこの身。
なのに清盛の引き起こした渦に身を投じた時の望美の泣き顔が胸を締めつけ、再びこの世界に戻ることを願ってしまったのだ。
そうして地に降り立ったとき、迎えてくれたのは愛しいその女性だった。

「やっぱり敦盛さんはそう言いますよね。はぁ~」
遠慮深い敦盛は普段でも何かを求めたことはなく、想像通りの答えに望美はため息をつく。
となれば、やはりヒノエが言った方法しかないのだろうか?
再び顔を赤らめる望美に、敦盛は心配そうに先ほど望美に握られた手を握り返す。

「神子はどうして欲しいのだろうか? 私に出来ることならしようと思うのだが……」

「違うんです。敦盛さんに何かをして欲しいんじゃなくて、私が敦盛さんにしてあげたかったんです」

「神子が私に?」

驚く敦盛に、こくんと頷く。
本当の誕生日は一週間先なのだが、ばれてしまった以上このままうやむやにも出来ず、望美は決心する。

「本当は一週間後の予定だったんですけど……敦盛さん、お誕生日おめでとうございます」

「誕生……日?」

「私の世界では生まれた日を誕生日と言ってお祝いする習慣があるんです。もうすぐ敦盛さんの誕生日でしょう?
そのお祝いを今日、ヒノエくんに相談していたんです」

望美が思い悩んでいたことも、ヒノエと話していた謎も解け、敦盛が顔をほころばす。

「あなたは私のことでそんなにも思い悩んでくれていたのだな……ありがとう」
「でも一週間も前にばれちゃいました。はぁ~」
再び顔を曇らせた望美に、敦盛が首を横に振ると笑顔を浮かべる。

「とても嬉しい……ありがとう、神子」
「…………!!」
めったに見れない敦盛の満面の笑みに、望美が見惚れる。

「……私の方が贈り物もらっちゃいました」
「神子?」
わからず首を傾げる敦盛に、望美が苦笑しながら視線を合わす。

「ちょっと早いけど、贈り物……受け取ってもらえますか?」
「?」

きょとんとした敦盛に、望美は背伸びしてそっと唇を重ねる。
驚き目を見開く敦盛に、望美は逃げ込むように彼の胸に顔をうずめた。
この世界に残り、敦盛と夫婦となった望美であったが、夫婦の営みはおろかキスさえしたことがなかった。
これが二人にとってはファーストキスだったのである。
しかしいざ行動に出てみて、大胆な行動だったと望美は今更ながら動揺していた。

(敦盛さんにふしだらな女の子だと思われちゃったらどうしよう!?)

他に思い浮かばなくて、ついヒノエの提案に乗ってしまったのだが。
敦盛の反応がないことに、望美は段々と不安にかられてきた。

(ど、どうしよう!? 嫌われちゃった?)

不安はどんどん大きくなり、望美はばっと身を起こした。
そうして言い訳しようと敦盛を見た瞬間、望美が動きを止める。
そこには、顔を真っ赤に染めた敦盛の姿。

「あ、敦盛さん?」
望美の声にハッと我に返ると、敦盛は赤らんだ顔を隠すように俯く。

「その……あ、ありがとう神子」
「い、いえ……あの……ふしだらな子だと思いました?」
おずおずと問う望美に、敦盛が驚いたように目を見開く。

「さっき、敦盛さんへの誕生日プレゼントを相談した時、ヒノエくんが口づけが最高の贈り物だって言って……他に思い浮かばなくてついその……」

気まずそうに上目遣いに見ながら話す望美に、敦盛が微笑む。

「ヒノエの言う通り、これ以上ない贈り物だ。ありがとう……望美」
「!!!!」
初めて名前で呼ばれ、望美が驚きに言葉を失う。

「望美?」
「……やっぱり私の方がいっぱい贈り物もらっちゃってます」
「??」

無意識に女を喜ばせるあたり、敦盛にも熊野の血はしっかりと流れてるんだな~と、へんなことに感心してしまう。

「やっぱり他にも贈り物考えます。当日楽しみにしていてくださいね」
にこりと微笑む望美にもう十分贈り物はもらったと告げようとするが、彼女が幸せそうなので敦盛は言葉を飲み込み頷いた。
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