平家の神子

48、頭領の正体

翌朝本宮を後にした望美たちは、頭領を見かけたという熊野川河口にある速玉大社を訪れた。 ヒノエが事前に根回ししてくれたおかげで、頭領との面会予定はすぐに取り付けることができた。しかし…。

「くる……し……っ」

幾重にも衣を重ね着せられ、帯を締められ。ぐいぐいと髪をいじられ結わえられと、望美は半泣き状態に陥っていた。

『本当に私も同席するの?』
『女っ気がある方が話もスムーズにいったりするもんだよ』

そうヒノエに促され、正装に着替えることになった望美は、しかし着慣れない窮屈な装いに疲弊しきっていた。

「これじゃ剣をふるえないよ……」
「まあ、何を仰ってるんですか! 令嬢が剣を持つなどありえませんわ。それより、せっかくですから皆さんにお見せしてきては?」

店の者の勧めに頷き、皆が待つ宿へと戻ろうと店を出た望美。 しかし少し歩いたところで、突然後ろから伸びてきた図太い腕に囚われ、首筋へ衝撃を受け。遠のく意識の中、望美はどこかに運ばれて行くのを感じた。

 * *

ザザ……ン……。
波の音と潮の香りに、望美は目を覚ました。

「ここは……?」
「へへっ、お目覚めかい? お姫様」
「なに? ツ……ッ!」

身を起こすと、風体の悪い男たちが三人、望美を見下ろしていた。

「いったいどこのお姫サンだ?ん?」
「私はお姫さまなんかじゃないよっ」
「じゃあ、なんでそんなイイおべべ着て、しゃなりしゃなりしてんだよ?」
「この着物はみんな借りものなんだから」
「なんだと! ちきしょう、とんだ無駄足かよ!」
(どうしよう……剣は手元にないし……)

いまさらながらこんな格好しなければよかったと悔やむが、時すでに遅し。
どうにか戦う手段を考えていると、ぐはっと呻き声が耳に届いた。

「お待たせ、姫君。怖かったかい?」
「ヒノエくん!」
「な、何者だぁ、てめえ?」
「俺を知らない? それでも海の男かよ」
「小僧、言わせておけば!」

突然現れたヒノエに気色ばむ男達に、しかしヒノエは悠々と望美を抱きかかえると不敵に微笑んだ。

「お前らみたいな三下には、名乗ってやらなきゃわかんねぇかな? ――俺は熊野別当・藤原堪増。俺の姫君に汚ねぇ手で触ったんだ。覚悟はできてんだろう?」
「げえっ! 熊野の頭領!」
「補陀洛渡海としゃれこませてやるよ。ゆっくり後悔するんだね」

現れた水軍衆に、海賊たちが青ざめる。そうして手際よく水軍衆にひっ立てられるのを見つめながら、望美は茫然と呟いた。

「せっかくの装いが乱れてしまったね」
「ヒノエくんが頭領だったの……?」
「……いろんなことがあって疲れてるだろ? 話は後でゆっくり聞くから、今は休めよ」
「…………」

優しく髪を梳く指に、しかしただ呆然と見つめるしかできない。 まさかヒノエが探していた頭領自身だとは、以前の時空でも知らなかった。

「俺はこれからあいつらの処遇を決めなきゃならないんでね。速玉大社で改めて熊野水軍の頭領として話を聞くよ」

そう言い残して立ち去ったヒノエを、望美は呆然と見送った。

 * *

「ヒノエが熊野の別当だって?」
「本当ですか?」
「……ヒノエが藤原家の者なのは本当だ」
「なんだよ、敦盛はヒノエの正体知ってたのか?」
「いや、別当に就いていたことは知らなかった」

静かに目を伏せる敦盛に、将臣はがしがしと頭をかく。

「ちょっと歩いてきていいかな。気分転換したい」

立ち上がると、心配して供を申し出る譲を断り、望美は一人で勝浦へと出かけた。
珍しい品物が立ち並ぶ市場。
きらきらと瞳を輝かせて将来の夢を語る少女。
町には活気があふれており、改めて熊野の豊かさを感じた。

「どうしてヒノエくんは黙ってたのかな……」

素性を隠して、同行していたヒノエ。彼は何を考えていたのか?
と、不意に参拝客の話が耳に入ってきた。

「熊野の水軍は、源平どちらにつくのかの?」
「それは平家でしょう。熊野は平家と縁が深うございますもの。確か先代頭領の妹御は、平家に嫁がれたはずですわ」
「だが、今の頭領の母御は源氏の姫君。頭領は源氏の縁者だろう」
「ええっ!?」
「――あら、あなた。大きな声を出したりして、知らなかったのですか?」
「よもや知らぬ者がおるとは思わなかったの。最近の若い娘は……」

呆れたように望美を見ると、参拝客は立ち去って行った。

「そうか……ヒノエくん、源氏とも平家とも親戚なんだ」

初めて知ったヒノエの置かれた環境。
望美たちに正体を隠していた理由が垣間見えた気がした。

「やあ、望美」
「ヒノエくん」
「着替えたのかい? 残念だね」
「着崩れちゃったから。それにもう、必要ないでしょ?」

別当の為の正装なのだからと言外に告げると、ヒノエがわずかに眉を歪めた。

「いろいろと……その、悪かったね」
「いいよ。熊野を守るため、なんでしょ」

助力を求めやって来たが、それは熊野を戦に巻き込むことに他ならなかった。 そんな望美たちにヒノエが簡単に正体を明かすことができるわけもない。 熊野別当であるヒノエの判断が、この地の人々の生活に大きくかかわるのだから。
望美が平家を守りたいように、ヒノエもまた、この熊野を守る責任がある……そのことに理解を示すと、ヒノエが困ったように微笑んだ。

「参ったな。そう言われるとかえって居心地悪いね」
「改めて熊野の別当にお願いするよ。――平家に力を貸して」
「この戦、平家は勝てると思うのかい?」

それは以前の時空でも問われたこと。

「三草山では勝利を収めた。けれども、平家は京を追われた身だ。風向きは西向きとは言い難い」
「私は源氏に勝つつもりはないよ」
「へえ? だったら剣を取る両者をどう収めるつもりだい?」

以仁王の令旨により平家討伐の名目を得た頼朝と、京で再び栄華を求める清盛。 両者が互いの主張を引くとは考えられず、その決着は勝ち負けでしかつかないものだった。

「どちらかが滅びるのではなく、ともに並び立つ未来を……和議を結ばせる」

それはヒノエが同行した当初、望美が口にしていた望み。 到底実現できないであろうそれを、今も彼女は諦めていなかった。

「頼朝も清盛も首を縦に振るとは思えないね」
「振らざるえない状況にすれば?」

問いかけによどみなく返る様が面白く、ヒノエはつ、と唇をつり上げた。
先日、ヒノエは別当として闘鶏で源平の行方を占った。
結果は赤。平家を表す鶏が勝った。
この戦は平家が勝つ――そう神意を得て、ヒノエは平家への助力を決めていた。

「ヒノエくんに力を貸してほしいの」

まっすぐに見遣る翡翠の瞳は強い意思を宿していて、抗いがたい魅力にヒノエは苦笑する。

「神子姫様は大した策士のようだね。……熊野別当・藤原湛増に何を望む?」
「後白河院に和議の働きかけをしてもらえる?」

後白河院への働きかけは、春にも将臣がしていた。それでも依然として和議の動きは見られなかった。

「この俺を使い走りさせるんだ。対価は当然貰えるんだろうね?」
「対価?」

にやりと笑むと、女人の手に似合わぬ豆の出来た手を取って。その甲に唇を落とす。

「ヒノエくん!?」
「本当ならば唇にと言いたいところだけど、それはまた今度にとっておくよ」

パチンと音が聞こえそうなウィンクに、望美はバクバクと暴れる鼓動を持て余すのだった。

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