平家の神子

ヒノエ5、風の示す先

「風向きが変わったのに気づかれましたか? 後白河院」
「熊野別当……そなたが動くとはな」
「船は帆に春風をはらめば動くもの。熊野はいつもそうですよ」

京の鳥羽殿を訪れたヒノエは、驚く後白河院に微笑む。
平家への助力を決めたヒノエは、望美の望む通りに後白河院に向き合っていた。

「して、そなたは何を望む?」
「両家に和議の院宣を」
「あの者らが素直に受けるとは思えぬが……」
「それはこちらにお任せください」
「ほお……そなたがそこまで言うとは、よほど自信があるのだろう。あいわかった」

確かなる約条を得ることに成功し、ヒノエはにやりと口の端をつりあげた。 清盛と頼朝が意を挟めぬ者のとりなしが必須……それには後白河院の協力が不可欠だった。

「あとは姫君の腕次第だね」

場は整った。だが、このまま無事和議が成るかは未定。
紫苑の髪の神子姫を思い浮かべ、ヒノエはふふっと微笑んだ。

* *

「明日は福原で和議か……」

後白河院から届いた和議の院宣。
それを受け、両家は福原で和議を行うことになった。
ようやく願った和議が成る――なのに胸に巣くう不安が拭えず、望美は俯いた。

「どうしたんだい、姫君? こんな夜遅く起きだしてさ」
「うん……なんだか眠れなくて。ヒノエくんは?」
「さてね、そんなに知りたい?」

妖しげに微笑むヒノエに、望美は顔を赤らめる。

「ふふ、恥じらう姿をもう少し見ていたい気もするけど……ちょっと明日の話をしようか」

真剣みを帯びた空気に、望美も顔を引き締める。

「流れはもう平家に傾いている。問題があるとしたら、その後かな」
「熊野に何か心配事があるの?」
「まあね」

頷きながらも、それ以上ヒノエは語ろうとしない。

「俺から一つお願いがあるんだけど、聞いてくれるかい?」
「何?」
「明日は俺の傍にいてくれるかい?」
「いきなりそんなこと言い出すなんて――何があるの?」
「ああ、お前には小手先のごまかしはきかなかったね」

苦笑すると、不敵な笑みを浮かべる。

「ま、要するに――だ。源氏も素直に和議を結びはしないだろうってことさ」
「何か仕掛けてくる可能性があるの?」
「まあね」

和議の使者に奥方を立たせることから、将臣もその懸念は抱いていた。

「だから守りやすいところにいろってこと?」
「ご名答。姫君はほんと賢いね。俺専属の軍師として三顧の礼で迎えたいぐらいだよ」

誰にも囚われた事のない自分の心をつかんだ女。
少女のようで、時折見せる表情は憂いに満ちた顔。
他の女にはない望美の魅力を見つけるたび、惹きつけられていった。

「関関たる雎鳩は河の洲にあり、窈窕たる淑女は君子の好逑。俺はお前を選ぶ。……ね、望美。俺の女になりなよ」

漢詩にのせた想いは真実のもの。
望美は熊野別当の奥方として並び立つことのできる女だった。

「……私、ヒノエくんよりも年上だよ? 惟盛には年増扱いされてるし」
「それはあいつに見る眼がないんだね」
「……頼朝に目をつけられちゃうよ?」
「熊野は誰にも脅かされないさ」

揺るぎない自信に輝く紅玉。
熊野でも告げられたヒノエの想いに、望美は一瞬悩んだ後頷く。

「わかった。考えておくね」
「ふうん……それなら決まりかな」
「え?」
「この戦いが終わるまでに、お前をその気にさせてみせるよ」

戦が終わった後――それは今まで考えたことのなかったこと。
和議を結んで平家に平穏を……その先にヒノエとの未来がある?
考え俯いた望美に、そっと頤を掴むと上向かせる。

「俺を選びなよ。……後悔させないぜ」

囁きと共に唇が重なった。

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