愛してる…その囁きに縛られて

家ほた3


この小説は、罪の華END後設定の家康×ほたるです。 罪の華のネタバレを含みますので、未PLAYの方はご注意ください。
また、設定上ほの暗さと切なさがつきまといます。



いつものように、家康と森の中を散策する日々。
それはとても幸せで、けれども桔梗を苦しめるものでもあった。
突然襲ってくる頭痛によろめくと、すぐさま家康に支えられ、何も思い出さないでと繰り返し告げられる。
それは子守唄のように桔梗を包んで……甘いゆりかごに捕らわれる。
全ては幻。
桔梗はただ、家康が望むままに彼と共にいればいいのだと。

 * *

「家康ど……」
いつものように呼びかけようとして、ハッと口をつぐんだ桔梗に、家康は一瞬驚くと真意を見抜くように彼女を見た。

「……桔梗殿? 今、僕のことを家康【殿】と……そう、仰いましたか?」

「………っ」

「……もしかして……記憶が戻られたのですか?」

「……い、いえ……」

偽りを見抜くようなまっすぐな瞳に宿る悲しみの色。
それはこの日々の終わりを彼が悟った証で、ほたるは自分の浅はかさを悔やむ。

以前からおぼろげに思い出されていた記憶の断片。
ふとした折に思いがけず呼び起こされるそれらに、けれども桔梗が記憶を取り戻すことをなぜか家康は望んでいないように思えたので彼に話すことはなかった。
だが、世界は彼女をこのまま幸福の中に留めることを許さなかった。
痛みと共に呼び起こされた自らの罪。
操られ、安土に害をなし……心優しい家康に毒を作らせてしまった。

「記憶が……戻られたのですね」
「………はい」
「そう……ですか」

事実を認めれば、沈んだ声に胸が痛む。
昨日記憶を取り戻した時、その事実をほたるは家康に告げるつもりはなかった。
告げた瞬間に、この幸せな夢は終わりを告げるのだとわかっていたから。
それでも、ほたるに偽ることなど許されるはずもなかった。

「……どうして、私は生きているのですか?」

家康に毒を飲まされ、息絶えたはずだった。
なのになぜ自分はこうして生き、彼の傍で過ごしていたのか?
記憶が戻ってもなお、その理由がわからなかった。

「あの時、僕はあなたを……【忍び】であるあなたを殺しました。それはあなたが生きてきた全てを消してしまうこと……あなたを【殺す】ことに他なりません」

「忍びである……私?」

『僕が今武士であることと同じように忍びとしてずっと生きてこられた。心を殺し、任務をこなすことが当然である世界しか知らないのだとしたら……闇雲にそれを責めることが正しいことなんでしょうか?』

あの時、ほたるの苦しみを知ろうと慮って心を痛めていた家康。
確かに、ほたるにとって忍びとは任務のためには心を殺すものだと、そう教わってきた。
だからといって、ほたるの犯した罪は許されるべきものではない――そう、家康も認めていたはずだった。

「任務ならば嫌なことでもなさると、あの時あなたは仰いました。それでも、僕にはどうしてもそれがあなたの本心だとは思えなかった」
「…………」

「それでも、たとえ本心でなくともそれを真とするしかない……あの時、あなたはそう定めたように思えました。――だからこそ、僕の手であなたを殺そうと、そう思ったのです」

優しい家康にこのような決断をさせてしまった事実が、再度心を苛む。
やはり自害するべきだったと、ほたるはどこまでも続く自分の罪の深さに絶望した。

「記憶を失おうと、私の罪は許されるものではありません。この命で償えるのであれば、今すぐにでも差し出しましょう。
けれども、私はあなたに癒えることのない傷を負わせてしまった……私にはもう、何を持っても償えるすべがありません」

死ぬことで彼の傷が癒えるのなら今すぐにでも自害しよう。
けれども死んだとてもう、彼の心は癒えないのだと、あの時にわかってしまった。
ここで死を選ぶのは、自分が楽になる道でしかないのだ。

「もう決して信長様を傷つけることはしないと、そう誓っても信じてもらうことはできないでしょう」

罪に手を染めた自分の言葉に、家康を納得させる力などあるわけもない。
自分が存在していた……その事実すべてが家康を傷つけるのだ。

「……っ。桔梗殿……やはりあなたは僕が思っていた通りの方です。だからこそ、僕は……」

苦しげな声に目をつむった瞬間、身を包んだぬくもり。
何が起こったのかわからず、ほたるは茫然と目を見開いた。

「……家康……殿?」

「忘れてください。あなたの記憶が戻ればまたあの日をやり直すことになる――たとえ虚構の幸せだとしても、僕は手放したくないのです……っ」

いつか、同じ言葉を聞いたことがあった。
あの時も家康は、苦しそうに思い出さないでと、そう告げた。
それでも、たとえ記憶は戻っていないと事実を撤回しても、もう何もわからなかったときに戻ることなどできるはずもない。
それは家康もわかっているはずだった。

「……っ、申し訳ありません。気づかなかったふりなどできるはずもないのに……僕は……」

「……いいえ。あなたに苦しみを負わせているのは私です。家康殿が謝る必要などありません」

ほたるの存在は信長の身を脅かすもの。
信長から身を預けられたという家康にも害をなす存在。
ならばほたるに出来ることは……彼の選択を逆らうことなく受け入れること。
たとえ再び毒を盛られ、偽りの日々を過ごすことになっても、今度こそこの命を絶たれたとしても、すべてを受け入れる。
それがせめてもの償い。

「僕はまだ、あなたについて多くを知らない。あなたの本当の名さえ、僕は知らないんです……!」

光秀の妹として出会った家康。
主である光秀以外、真実の名を知る者はいなかった。

「私の本当の名は、ほたるといいます」

「ほたる、殿……?」

「はい。里の事を語ることはできませんが、私に関することならば隠し立てするつもりはありません。……あなたにこれ以上、偽りは述べたくありません」

操られていたとはいえ、里に危機をもたらせた自分が里を気遣うなど今更だろう。
それでも、これ以上の迷惑はかけられなかった。

「ほたる殿。忍びではなく、僕が慕うただ一人の女性として……どうか傍にいてくださいませんか?」
「―――……」
「僕はあなたを失いたくない。もう、あなたに毒を飲ませることなど、したくはないんです」

ほたるを抱き寄せる腕。
そのぬくもりは家康が自分を愛しているのだと、そう誤解してしまいそうで、ほたるはきつく目をつむる。
彼の愛を得る資格などあるはずもない。
彼が傍にいることを望むのならそれをかなえる……それがほたるの罰。

「……はい。あなたのお傍に、います」

どこまでも幸せで、残酷な罰を、しかしほたるはその身に受け続けることを選んだ。
交わり、溶けることのない恋情を胸に抱いて。
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