絡めた指先で確かめる

八木かな1

ジルベスタ―コンサートを終えて、想いを交し合った翌日から八木沢は仙台、かなでは横浜と離れ離れの長距離恋愛が始まった。
寂しくなかったと言えば嘘になるが、大学の志望校を仙台から急きょ東京へ変更した八木沢の大変さを思えばわがままを言えるはずもなく、かなではひたすら彼の合格を願い、学校とオーケストラ部の活動にいそしんでいた。

そんな我慢の日々に終わりがやってきた3月。 見事合格を果たし、晴れて春からは東京で一人暮らしを始めることになった八木沢は、しかしその後も忙しなく家探しや新生活の準備に追われ、なかなか会えずにいた。
もう少しのがまん、がまん――そう必死に自分に言い聞かせていると、目聡くニアに見つけられ、からかわれて赤面したり。
忙殺される日々の中で、八木沢が何とか時間を作れたのは、かなでの新学期が始まる直前の4月頭だった。

「おひさしぶりです、小日向さん。こちらにいるというのになかなか会いに来れずにすみませんでした」

「いいえ、八木沢さんが大学と一人暮らしの準備で忙しかったのはわかってます。それなのにこうして時間を作ってくれて……ありがとうございます」

かなでが故郷から横浜へ転校して来た時は、学校の傍の寮だったため家探しの苦労はしないですんだが、それでも荷解きは一苦労だったのだ。
一から揃えなければならない八木沢の大変さは、その比ではないだろう。
だからこそ、わがままを言わないように我慢していたが、本当に寂しくはないかと問われ、その優しい声につい「寂しい」と本音を漏らしてしまった。
八木沢が時間を作ってくれたのは、その後間もなくだった。

「学校が始まってからでは、あなたとゆっくり話すことができないと、わがままを言ったのは僕の方です。あなたに会いたい気持ちを抑えきれなくて我慢ができなかったんです」

「私も……八木沢さんに会いたかったです」

勉強の邪魔になってはいけないと、受験中は極力メールだけにして、上京後も忙しい八木沢を気遣ってかなでからはあまり電話をかけないようにしていた。
今、同じ空の下にいるんだ――そう何度も暗示をかけるように言い聞かせては我慢していたけれど、本当は会えないのが寂しかった。
ほんの少しでも声を聞きたいと携帯を持っては戻してを、何度繰り返したかわからない。
だから、目の前に八木沢がいることが嬉しくて、かなでは無意識に彼の手に指を伸ばした。

あたたかい。
二年参りで繋いだ時に感じたぬくもりが、今確かに彼がここにいるのだと教えてくれて、かなでの心が満ちていく。

「……っ、小日向さん?」

「手を繋ぐと八木沢さんが傍にいるんだって実感できて、すごくほっとします。あの、手を繋いでもいいですか?」

「……寂しい思いをさせてしまってすみませんでした。ええ、もちろんです。僕も、あなたと同じ気持ちですから」

はにかむように微笑むと、八木沢は優しく握り返してくれて、「同じ」という言葉が寂しかった気持ちを埋めていく。


待ち合わせ場所の近くで昼食を取ってから、かなでは八木沢を公園に連れてきた。
本当は映画やショッピングなども考えたが、ずっと忙しかった彼をゆっくりさせてあげたかったし、何よりただ一緒にいる時間を大切に過ごしたいと思ったからだった。

「桜が綺麗ですね。こんな素敵な場所であなたとお花見が出来て嬉しいです」

「ここ、大地先輩に教えてもらったんです。あまり混まないし、結構穴場だそうなんです。
――あ、八木沢さん。こっち、見てください。猫たちが丸くなって眠ってますよ」

「可愛いですね。日中はだいぶ暖かくなったので、陽だまりのここは気持ちがいいのでしょうね」

草の上で眠っている猫たちを優しげに見つめる八木沢に、かなでは芝の上に座ると猫と同じように寝転んだ。

「小日向さん?」

「八木沢さんも寝転んでみてください。草がほんのりあたたかくて、気持ちいいですよ」

「僕もですか? ……そうですね。では、隣りに失礼します」

かなでの行動に目を丸くした八木沢は、促され微笑みながら向かい合って寝転んだ。

「澄んだ青空と薄紅の桜に穏やかな日差し……最高の贅沢ですね」

「小さい頃はよく、響也や律君と遊び疲れるとこうして寝転んで空を眺めていたんです。
それであの雲は綿菓子みたいとか、アイスみたいとか、そんなことを話していたらお腹が空いたって響也が言うから私もお腹が空いて、次からは必ずおやつを持っていくようにしたんです」

だからさっきお菓子を買っていたのかと合点がいった八木沢は、かなでのあたたかな思い出話に穏やかに耳を傾ける。

「可愛い思い出ですね。目の前にその情景が浮かぶようです。あなたは本当に如月君たちと仲がいいんですね」

「はい。あ、でも八木沢さんとももっと仲良しになりたいです」

「仲良しに、ですか?」

「仲良しはへんかな。でも、八木沢さんとも一緒の思い出をいっぱい作りたいなって」

恥ずかしそうに笑うかなでを八木沢はまぶしげに見つめると、傍にあった彼女の手にそっともう一度指を絡めた。

「八木沢さん?」
「横浜に……あなたの傍にいるんだと思ったら、確かめたくなったんです」

かなでが触れられる距離にいること。
こうして触れることのできる……恋人だということ。

仙台に帰って、受験に追われる日々の中で、ふとあの日の出来事は夢だったのではと思うことがあった。
コンクールで競い合ったライバルたちと新しい音を奏でる日々は幸せで、何より彼女と再び出会い、共に音楽を作り上げてきたことは、八木沢にかけがえのない思い出と喜び、そして初めての恋をくれた。
ひとりの演奏家として尊敬し、ひとりの女性として好意を抱く。
かなでを好きだと思う気持ちは、八木沢の中で知らず積もり、満ちていた。

「……私も、確かめていいですか?」

言うや絡めた指先に感じる体温に、満ちる幸せ。 想いを交し合ってすぐに離れ離れの日々に、あの告白は夢だったのではないかと不安になっては、違う違うと否定して、かなでは八木沢と交わした他愛無いメールの遣り取りを目で追っていた。
それでも、不安は寂しさを連れてきて、寂しさは不安を増大させた。

「小日向さん、あなたが好きです」

柔らかい微笑みと共に告げられる想いは、夢なんかじゃないと教えてくれて。
かなでにも笑みをもたらしてくれる。

「私も八木沢さんが好きです。大好きです」

彼がくれた想いと同じだけの想いを返せば、目の前の端正な顔が赤く染まって。
絡まる指先に幸せを感じる。

この先、遠く離れた距離に寂しくなることはもうない。
互いに学校があり、会えない日もあるだろうが、それでも今すぐに駆けつけたい、会いたいという気持ちを叶えられない距離はもうないから。
八木沢が、それを取り除いてくれたから。

不安になったらこうしてぬくもりを感じたい。
あなたが傍にいることを確かめたい。
そんな思いを込めて、かなでは絡まる指先を見つめ、八木沢と共に幸せそうに微笑んだ。
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