君がその意味を知るまでは

冥かな3

「冥加と付き合うことになった?」
「うん」

かなでの部屋でお菓子を食べながらの雑談で、冥加の話を振られたかなでは、素直に彼との交際を打ち明けた。
しかし目聡いニアはかなでの変化にとうに気づいていたらしく、だからこそ話を振ったので、言質を取れたことににやりと満足げに笑んだ。

「あの男がそこまで言うとはね……。そして君はその慰めに陥落したというわけか」

「違うよ。慰めてくれたから好きになったわけじゃなくて、冥加さんは優しいし、カッコいいし、ヴァイオリンを愛してるし、枝織ちゃんを大切にしてるし……とにかく素敵なところがいっぱいあって、そういう冥加さんを見ていたら好きになってたの」

ニアの言葉に必死に冥加を好きになった理由を考えるかなでの説明は単なる惚気だということを本人は全く気づいておらず、ニアはふふ、と口角を上げた。

「君にそこまで想われているんだ。奴も本望だろう」

「そうだといいけど……」

「なんだ? 何か気になることでもあるのか?」

「気になるというか、冥加さんはどんな思いなのかなって……」

他を向いていたかなでが、自分に想いを向けてくれていた冥加の想いに応える形で始まった二人の関係。
もちろん先程ニアに言った通り、好きだと言われたから好きになったわけではなく、今まで以上に冥加という人柄に触れて、彼の良さを知り、かなでが彼を好きになり、その想いを冥加が受け入れてくれたからこそ始まった恋だが、時々思い出してしまうのだ。

まだかなでが冥加へ恋を抱く前の彼の音色を。
包み込むようなあたたかさと別に感じた、切ない痛み。
それはかなで自身が知る感情で、だからこそそんな想いを冥加にさせてしまっていたことを悔やんでしまうのだ。

「君は慰めに陥落したわけではなく、奴に惚れたからこそ、その想いを受け入れたのだろう?
だったら奴の思いなど聞くまでもないと思うが?」

「どういうこと?」

ニアはあまり直接的な言葉は使わないから、その意味を解そうとかなでが首を傾げると、ふふっと楽し気に微笑まれる。

「想像するより本人に聞いてみるんだな。勝手に決めつけるよりはずっといいと思うがね」

「聞いてもきっと答えてくれないよ」

冥加がかなでに対し、愛を囁いてくれたのは、失恋に打ちひしがれていたあの夜と、かなでの告白を受け入れてくれた時だけ。
あとは以前と変わらず、表面だけで言うならとてもそっけない態度で接せられるから、かなではふと自分は慰めの延長で想いを受け入れられたのではないかと不安になるのだ。
冥加が変わらず自分を好いていてくれたのならいいが、もしまた自分がふることでかなでが傷つくと考えたのなら?
そんな悪い想像まで頭をめぐって、ぶんぶんとかぶりを振った。

「違うよね……」

かなでが今と同じ不安を抱き、思わず確かめた時、冥加は柔らかな笑みを浮かべ、目を合わせて伝えなければ信じられないかと微笑んだ。
その後に改めて愛してると言ってくれたけど、それでもそれまでの自分の行動が行動なだけに、どうしても自信がなくなってしまうのだ。

そんな時、タイミングよく流れたメロディに携帯を取りだし、メールを開ければ、そこには今話していたかなでの恋人の名前。
今、会いに行ってもいいですか?――思いのままに文章を綴り送れば、迎えに行くと簡潔な返信に、かなではこれから冥加に会うことをニアに告げ、お茶会を終了した。


迎えに来た冥加と連れ立ち、近くの公園へやってきたかなでは、しかしどう切りだしたらいいかわからず困っていた。

(私のこと、好きですか? って聞くのも変だよね……。慰めですか? なんて失礼な気もするし……)

ぐるんぐるんと忙しなく思考を巡らしていると、一向に話し出すことのないかなでに、冥加がしびれをきらせた。

「何か急ぎの用件があるんじゃなかったのか?」

「ええと、急ぎといえばそんな気もするんですがどうなんでしょう……」

「なんだ、その意味不明な返答は」

眉間に寄ったしわに慌てるも、切り出しの言葉が見つけられずにいると、ふうとため息をつかれ、長身が身をひるがえす。

「用がないのなら帰るぞ。まだ仕事が残っているからな」
「あ……冥加さん!」

立ち去りかけた姿に、慌てたかなでが取った行動は、その背にしがみつくこと。
後ろから手を伸ばしてぎゅっと抱きしめると、足を止めた冥加が訝し気にかなでを見下ろした。

「小日向?」

「あの、冥加さんは私のこと、好きですか?」

「何を……」

「えっと、好きだと思ってくれているのは知っているんですけど、そうじゃなくて私が好きだって言ったから好きになってくれたのかなって…」

たどたどしい言葉に返る沈黙。
どうしたら思っていることが伝わるかと、かなでがぐるぐると働かない頭に混乱していると、腰に回していた手に大きな掌が重ねられた。

「貴様はまだそのようなことを言っているのか……」
「すみません……」
「あの時、重ねた音で伝わったはずだ」

冥加が好きだと伝えたかなでの音に重なった、かなでを愛しく思う音。
確かにあの時、かなでに冥加の想いは伝わっていた。

「……でも、不安になるんです。私は冥加さんに与えるものが何もないから……」

以前御影から、冥加からかなでが得るものは大きいが、彼がかなでから得るものはないと言われ、反論できなかった。
確かにコンクール優勝者という以外に無名と言っていいかなでが主宰する週末合奏団は一からのスタートで、東金や冥加がそれに加わったことで注目を浴びたといっても過言でもなく、だがその活動に彼らが参加するメリットは何もなかった。

「俺に与えるものが何もないだと? ここまで人を捕らえておきながら貴様はまだそんなことを言うんだな」

「え?」

冥加の言葉に背中越しに見上げれば、ぐいっと手を引かれて。
指先に感じたのは、以前知った彼の唇の感触。
それを認識した瞬間、かなでの顔は火が噴き出したかのように真っ赤に染まった。

「お前の音なくして今の俺はない。今の俺が在るのはお前という存在があるからだ」

幼き日の出会い。
あの日の出会いがなければ今の冥加はなく、この先もまた彼女の存在を求めていくのだから。
どれほど自分に影響を与えているのか、全く理解していない少女の指先に唇で触れると、手の甲、掌と口づけ、最後は手首にキスをする。

「み、冥加さん……っ」

オーストリアの劇作家フランツ・グリルパルツァーのキスの格言など知らないかなでは、冥加が口づけた場所の意味を解さず、ただその唇が触れたことに恥じらい、顔を染める。
だがもとよりその意を教えるつもりなどなく、冥加は手を離すとすっかり真っ赤に茹で上がったかなでを振り返り、フッと微笑んだ。

「俺は慰めの言葉など持ち合わせていないと言ったはずだ。だがそれでは伝わらぬというのなら、何度でも言おう」

愛してる――そう囁いて腕を取ると口づけ、続いて首筋に唇を寄せる。
指先は賞賛、手の甲は敬愛、掌は懇願、手首は欲望。
腕は恋慕、そして首筋は――執着。

「お前が俺の行動の意を解した時、その先を乞おう。フッ……楽しみにしている」

所有のキス……それをかなでに刻んだ時、どれほど己の心が震えるか、想像することさえかなわぬほど囚われている冥加の想いをかなでが真に知るのはいつの日か。
ぴしりと固まってしまったかなでに、先程メールした件はまた今度日時を知らせると言い置くと、冥加はその場を後にした。
一人残されたかなでは、あ~だのう~だの意味不明なうなり声をあげながら、真っ赤に染まった頬を両手で覆った。
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