Trick or treat

百ほた7

「Trick or treat」
生徒指導室へやってきたほたるに、何用だと尋ねた瞬間かけられた言葉に、百地は一瞬驚くと、すぐに眉間にしわを寄せた。

「……なんの真似だ」
「師匠、今日はハロウィンです」
「だからどうした」
「なので『Trick or treat』です」

にこにこと、楽し気に百地を見つめるほたるにため息をつくと、この部屋に甘いものなどあるわけないだろうと、視線を手元の書類に戻す。

「では、悪戯で構いませんか?」
「……したいなら勝手にしろ」
「はい。勝手にします」

すんなり悪戯を宣言するほたるに内心動揺するが、前言撤回をするわけにもいかず、仕方なしに彼女の悪戯とやらを受けるために向き直る。

「何をするつもりだ?」

「そうですね……では、私が何を言っても『はい』と仰ってください」

「なんだ、それは」

「言葉遊びです。勝手にして構わないのですよね?」

「……わかった」

何を言っても――というところに少々不安を覚えるが、人に対して悪意を向けることのないほたるの性格だ。
さほど酷い様にはならないだろうと腹をくくると、促すように顎をしゃくる。

「あなたは体育教師ですか?」
「何を今さら……」
「質問には『はい』でお願いします」
「……はい」
「あなたは生徒指導の担当ですか?」
「はい」

わかりきった質問に『はい』と答えながら、この悪戯の意味を考える。
ただ単に、普段は指導される側のほたるに従う様を見たいだけなのか?
いや、それならばこのような表情をしてはいないだろう。
頬を染め、窺うような上目遣い……時折こうして女の顔を覗かせるほたるに、知らず胸の奥が疼くのに見ないふりをして、百地は小さく息を吐く。

「師匠?」
「なんでもない。質問は終わりか?」
「まだです」
「だったら続けろ」
「はい。――あなたに触れてもいいですか?」
「な……っ」
「また、足を挫いた時は背負ってくれますか?」
「おい」
「私は、師匠に触れたいです」
「!」

質問を外れた要望に、百地が言葉を失うと、ほたるがじっと彼を見る。

「ほたる……自分の師を練習台にするなといったはずだ。いくら試しても、お前ごときに俺が落ちることはないぞ」

「練習ではありません。私は自分の願いを口にしてるだけです」

「なお悪い。この学校では俺とお前は、教師と生徒の身。そのような戯言を交わす関係ではない」

「師匠は、私が好きですか?」

「ほたる」

「私は、師匠が好きです」

「お前はもう子どもじゃない。大人が口にする好きと、子どもが口にする好きは違うものだと教えたはずだ」

「わかってます。私は師匠が……百地殿が好きだと言ってます」
「……っ」

まっすぐに向けられた瞳が、偽りではないと訴えて、百地はとっさに拒絶の言葉を失う。
ほたるにとって自分は忍術の師。
慕う想いは師へのそれのはずだと、頭ではわかっているのに、自分を好きだと告げる潤んだ瞳が、どうしようもなく心を揺らす。

「お前は……男と密室で2人になることの危険をわかっていない。ましてやこの状況でそのようなことを告げればどうなるか…わかったんじゃなかったのか」
「わかってます」
「わかってない!」

腕を引いて膝に乗せると、顎に手をかけ上向かせる。
驚いた表情にやはりわかっていないのかと、わずかに落胆した瞬間、ほたるの腕が伸びて――ふわりと、柔らかな感触が唇に重なった。

「……!?」
「こ、これは悪戯でも、【誘惑】の練習でもありません。失礼します!」

ほたるの思いがけない行動に、虚を突かれた百地の膝から素早く立ち上がると、真っ赤な顔で生徒指導室を去っていった彼女に、百地は茫然と閉められたドアを見る。
唇に残る感触は……ほたるのもの。
突然すぎるほたるの告白に、百地はどうしようもなく心乱されている自分を感じた。
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