撫子が店に着いた時から絶えず繰り返されるやり取りに、小さくため息を漏らす。
今日はハロウィン。
菓子店にとっては書き入れ時ということもあり、店はいつも以上に混雑していて、彼女の恋人である央も忙しそうに厨房と店内を行き来していた。
そんな彼にかけられるハロウィンの決め言葉。
一度限り、店員に声をかけるとお菓子をもらえるイベントが行われていて、央が出てくるたびにあちこちから声をかけられていた。
客に愛想良く振る舞うのは、店員としては当たり前のこと。
けれどもやはり彼女としては複雑で、されども気になって店を出ることもできず、撫子はケーキを食べ終わった後も、殊更ゆっくりと紅茶を飲んでいた。
「おかわりをお持ちしましょうか?」
「央。いいわ、もうお腹もいっぱいだし」
「今日は全然相手できなくてごめんね」
「いいのよ。忙しいのはわかっているし、ハロウィンに来た私が悪かったわ」
「君ならいつでも歓迎です」
「ありがとう」
世辞ではなく、央が心からそう思ってくれていることを知っているから、撫子は心が少し軽くなるのを感じて席を立った。
ただでさえ英系列の店は人気で、特に央が働くこの店は連日繁盛しており、長居するのは申し訳ないのだ。
「撫子ちゃんはこの後どうするの?」
「少し探したいものがあるから、買い物をしようと思ってるわ」
「そっか。じゃあ、また後でね」
「ええ」
明日は央が休みだと聞いていたので、今日は仕事の後彼の家にお邪魔することになっていた。
見送る央に微笑んで、待ち合わせ時刻まで買い物をして過ごす。
約束した時刻通りにやってきた央に、撫子は乱れた前髪を手櫛で直してやりながら労う。
「お疲れさま。央のお店はいつでも盛況だけれど、今日はイベントも行っていたから忙しかったでしょう。疲れているなら無理しないで」
「大丈夫だよ。イベントって言っても僕は裏方の方がメインだし、昨日までは仕込みで忙しかったけど、お休みもちゃんともらったからね」
デートは嬉しいけれど、疲れている央に無理はさせたくないと気遣うも全然元気だと笑う姿に、少しでも早く休ませてあげたいと共に彼の家へ向かう。
「あら? 円はいないの?」
「今日は新作アクセサリーの仕上げで、事務所の方に行くって」
「そうなの。残念ね」
「なので今日は僕のお相手だけお願いします」
おどけたふうにウィンクする央に微笑んで、ふうと安堵の吐息をこぼす。
「撫子ちゃん?」
「ごめんなさい。今日、沢山のお客さんに決め言葉を告げられていたでしょ? 仕事だとはわかっているけど、少しだけ寂しかったの。だから、央を独占できて嬉しいわ」
偽らない本音を口にすれば、きょとんと目を瞬いた央が、ほんのり頬を染める。
「僕はいつだって撫子ちゃんひとすじだよ」
「ありがとう。……馬鹿なことを言ってごめんなさい」
「そんなことないよ。撫子ちゃんが嫉妬してくれるなんて、君には申し訳ないけど得した気分でした」
「もう……」
「そういえば、撫子ちゃんは言わなかったね?」
英特製菓子が無料で貰えるとあって、訪れていた客は必ず口にしていた決まり文句を、撫子だけは口にしなかった。
そのことを問えば、恥ずかしそうに視線をそらした彼女が上目遣いに央を見る。
「……他の人と同じようには嫌だと思ったのよ。ごめんなさい、我ながら子どもじみた嫉妬よね」
「もうダメ……可愛過ぎます」
「可愛くなんてないわよ」
嫉妬していた事実を本人に言うのが気恥ずかしくて撫子は眉を下げるも、央は嬉しそうに撫子を抱き寄せる。
「2人きりの時ならいくらでもねだっていいんだよ? Trickでもtreatでも、君の望むままに」
「そうね……央の作るものならいくらでもtreatとねだりたいけど……」
Trickでと希望したら、央はどんな悪戯をするのだろう?
子どもの頃の彼ならば、撫子が驚くような、一緒に笑ってしまう悪戯をきっと考えただろう。
「Trickを希望する? いいけど……高いよ?」
にこっと浮かべた笑顔は魅惑的で、この悪戯はきっとtreatよりも甘いのだろうと、撫子の胸を高鳴らせた。