約束

央撫14

央が留学する。そう彼から聞いた時、頑張ってと応援するより離れることへの不安や寂しさ、切なさの方が勝ってしまい、すぐには言葉を発せられなかった。だからごめんと、そう申し訳なさそうにこちらを見る彼の視線と声にハッと我に返ると、頑張ってねとようやく応援の言葉を口にできた。
央が幼い頃からずっと料理人を志して励んでいたことは知っていたし、その夢を叶えるのにこの留学が必要であることも理解していた。撫子自身、医者になるという夢を叶えようと努力している最中で、それを彼は応援してくれていた。だから撫子も央の夢を応援したいと思っていたし、そのつもりでいた。
けれどもいざ留学と聞いて、それが年単位で彼と会えないのだと理解してしまうとこんなにも寂しい。会いたい時にいつだって会えていた今までとどうしたって変わることに不安を感じずにはいられず、堪えるように知らず胸元できゅっと手を握りしめてしまう。

「本当にごめん。本当は……」
「私は大丈夫よ」

央の言葉を遮って告げると、ツラツラと流暢に言葉を紡ぐ。

「央がずっと頑張っていたこと、知ってるもの。そんなあなたを誰よりも応援したいと思ってるわ。だから私のことは気にしないで。円もCZの皆もいてくれるし、私よりも央の方が心配だわ。円から聞いたけど央、朝がかなり弱いのよね? 今でも円が毎朝起こすのに苦労してるって言ってたわよ」
「え? 円ってばそんな恥ずかしいこと撫子ちゃんに教えてるの? いや、僕だって一人になれば出来ます! ……出来ると思う、うん」
「頼りない宣言ね。向こうでは一人暮らしになるのよね? 本当に大丈夫?」
「修行させてもらう職場の近くに借りて住むつもりだよ。もう、心配しすぎです。僕だって子どもじゃないんです」
「ふふ、そうよね」

むくれた央に微笑むと、寂しいと痛む胸から目をそらす。
夢に向かって羽ばたこうとしている央の足枷になりたくない。笑顔で頑張ってと送り出したい。
その思いが寂しいと央にすがりつくことを許さず、だから撫子は笑顔を浮かべた。
そんな彼女を見て、央が辛そうに顔を歪めていたことには気づけなかった。

**

明日、いよいよ央が留学する。そのことがずっと頭から離れず、撫子は手にしていたペンを置くと小さくため息をこぼした。
幼い頃からの習慣である勉強も今日はまったくはかどらず、そっと視線を窓の外に向ける。
留学の荷物の最終チェックもあるだろうし、家族ともしばらく会えなくなる。だから撫子は明日空港で見送る約束をして、央には今日は家族と水入らずの時間を過ごしてもらっていた。

(明日には央が行ってしまう――)

何度となく浮かぶその事実は苦しくて、寂しくて、どうしようもなく胸が痛くて視界が揺らぐと、傍らの携帯がブルブルと震えた。
サッと目元を指で拭って画面を見ると、そこには央の名前が表示されていて、慌てて応答を押す。

「央? どうしたの?」
「撫子ちゃん、今家にいるよね?」
「ええ」
「これから行くね」

それがとうしたの?と聞く前に切れた電話に、こうした唐突さは昔から変わらないわねと苦笑すると、軽く身支度を整えて央を待つ。
思っていたよりもずっと早くやって来た央を自室に招き入れると、お茶を用意してくるわとドアへ向かおうとしたところで、ギュッと抱きしめられた。

「央?」
「……寂しい思いをさせてごめん。でも君にお願いがあるんだ。僕を待っていて欲しい」

央の表情は見えないが、背中から聞こえるその声は彼も同じように不安でいることを教えてくれたから、撫子は彼女を掻き抱く腕に手を添えると勿論よと頷く。

「待ってるわ。だからどんなに綺麗な女の人がいても浮気なんてしないでね」
「浮気なんて絶対しません。むしろ君の方こそ心配だよ。円にはしっかり守ってくれるようにお願いしたけどやっぱり心配だな」
「円にそんなことをお願いしたの? もう……」

呆れたように微笑めば腕が緩んで、振り返って彼を見る。

「央が帰ってくるのを待ってるわ。だから絶対私のところに帰ってきてね」

央を安心させるように笑おうとするのに、視界はどんどん揺らいできて、ああ泣きたくなんかないのにと俯く前に目元に口づけられて、優しく指で拭われる。

「君が好きだよ。我儘だってわかってるけど、でも絶対帰ってくるから。だから待っていて」

央の懇願に頷くと、唇に重ねられたあたたかなぬくもりにぽろりと涙がこぼれ落ちたが、もうそれを堪えようとは思わなかった。
待ってる。だから私のところに帰ってきて。
何よりも強いその思いを、確かに彼が受け止めてくれたことを感じて、撫子はその背を抱きしめて、このぬくもりを忘れないと心に刻みつけた。

20190722
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