喜びマリッジブルー

央撫13

央と結婚する。
そのことがどこか夢のようで現実味を持てず、撫子は左手に飾られた指輪を見つめた。
大学生になった頃に贈られたものと、婚約が決まった時に贈られたもの。
二つの指輪は共に央から贈られたもので、式の具体的な日取りも決まり、招待状も発送した。
夢どころか現在進行形で進んでいるというのにこうも現実味がわかないのは、あまりにも離れている時間が長かったからだろうか?
高校を卒業してすぐに央はパティシエの夢のために留学し、一年に何度会えるかわからない日々を先頃まで過ごしていた。
今は日本に戻ってきて、英系列の店で働いているのに、その店にも何度と足を運んでいるのにどうしてなのか。

「まさかマリッジブルーなんてことはないわよね……」

結婚を目前にして不安に思うことなど何もない。
ライフスタイルが変わることだって、央と一緒に暮らすのはどんなふうなのだろうと想像はつかないけれど嬉しい……と考えて、ああそういうことかと一人納得する。
そう、想像がつかないのだ。央と共に暮らす姿が。
今までお互い実家に身を置いていたので、泊まることはあっても二人きりで生活するということはなかった。
だからいざ結婚となって、その姿を想像した時に浮かばず、現実味を持てなかったのだろう。

「そういえば家具もそろそろ見繕わないとダメよね」

結婚式と並行して進めていたので家は決まっていたが、細かなことはまだだった。
真新しい家に真新しい家具が揃って行くのを見れば実感も沸いていくのかもしれない。
そう結論づけるとティーカップを持ち上げて、ふと動きを止めた。
央も撫子もコーヒーや紅茶が好きで毎日飲んでいる。
来客用のティーセットは別として、二人だけのものを用意するのもいいのではないか。
そんなふうに考えると、途端に頬が熱を帯びる。

『お揃いのマグカップってなんだか恋人らしいというか……』

夫婦茶碗と同じように揃いのものというのは特別なことのように思えて、急激に結婚することに現実味を与える。
つい先程までとは真逆の心持ちに一人落ち着かずにいるとドアが開いて、お待たせと央がスイーツをお盆にのせて入ってきた。

「遅くなってごめん。急にアイデアが閃いちゃって」
「確かにこの部分は試作品にはなかったわよね?」

テーブルに置かれたケーキの相違に気づくと央が嬉しそうに微笑んで、撫子の花の傍らに添えられた白いチョコの輪を見つめる。

「これ、何かに似てない?」
「そういえば……もしかしてこれ?」
「うん! 正解です」

撫子が自分の左手を見せると微笑み肯定する央に、胸の奥が熱くなる。
央がイメージしたのは、撫子の薬指に飾られたリング。
彼女の名と同じ花に添えられたそれは、まるで自分を表しているようだった。

「そうだよ。このケーキは撫子ちゃん……君。だからこれは君だけのオリジナルです」
「央……」
「いつか君だけのオリジナルを贈りたいって思ってたんだ。受け取ってくれる?」
「もちろんよ。ありがとう、央」

嬉しくて幸せで、眦に浮かんだ涙は優しくすくわれて。
どうぞご賞味くださいとかしこまって促されて、けれどもフォークを刺すのを躊躇ってしまう。
それほど綺麗で、崩してしまうのがもったいないと思ってしまうほど大切だけれど、せっかく作ってくれたものを食べないのは何より失礼なことだから。
胸の高鳴りを飲み込むと、そっとフォークを差し込み一口運ぶ。

「……!」
「お気に召したようで良かったよ」

微笑む央にこくこくと頷くと、改めてケーキを見つめる。
自分だけのオリジナルケーキ。
そこに込められた彼の想いが口いっぱいに広がって幸せで、私はこの人と結婚するのだと改めて喜びが溢れてくる。

「ねえ、央。今度マグカップを見に行かない?」
「マグカップ? いいね、新居で君とお揃いを使うのが楽しみだよ」
「お揃い?」
「え? 違うの?」
「う、ううん。そのつもりだったけど……」
「やっぱり新婚だもの。お揃いがいいよね」
「……っ、そうね」

物怖じせずに言うところが央らしく、けれども同じことを撫子も思っていたから、赤らむ頬に手を添えながらも同意を示す。
揃いのマグカップを手に微笑みあう自分たちの姿が容易に想像できて、先頃まで感じていたマリッジブルーもどきがおかしくてつい笑みをこぼすと不思議そうに問われて。
この想いをどう伝えようかと思案しながら、もう一口ケーキをすくった。

10周年企画
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