The night is long because…

円撫3

『九楼撫子というお嬢さんを知ってる?』

ある日かかってきた一本の電話が、円の人生を狂わせた。
家族の身の安全と引き換えに要求されたことは、少女を指定された場所へ呼び出すこと。
英家のパーティで知り合った撫子は、それほど親しい関係ではなかった。
それでも円の呼び出しに彼女は応じ――事故にあった。

ひき逃げされた彼女は重傷を負い病院に運ばれ……忽然と姿を消した。
とても一人で動ける状態ではなく、何者かに拉致された可能性が高い。
そうテレビで報じられているのを、円はただ恐怖を抱いて聴いていた。

「円、撫子ちゃんと顔見知りだったもんね……心配だね」

両親を窘め、円を気遣う央の声に、いつものように返せなかった返事。
彼女の事故と失踪。
それらを引き起こした者が誰か、円だけは知っていた。
しかしこの時感じたのは撫子への罪悪感ではなく、家族に嫌われることへの恐怖。
央の信頼を裏切り、自ら彼の弟であることの資格を壊してしまった。

円の世界が一変したのだとしたら、それは神々の黄昏が起きた時ではなく――この時。
本物の家族として受け入れられるために、ただ兄を妄信し続けることでその資格を得ていたことさえ失って。
彼らの……家族でいられる術を失ったのだから。


それから神々の黄昏によって世界が突然改変され……円は組織に拉致された。
いつか償うことになるのだろうと思っていた罪を目の当たりにして、家族を探してくれるという叶えられるかわからない約束に縋り生きる日々。
家族の資格を失ってなお、それでも家族を求める浅ましさを嫌悪しながら、あの日円が未来を奪った少女の元で、彼女の目覚めを願う鷹斗の研究を手伝い続けた。
そして、贖罪行為が成果をあげたその日……円は新たな罪を負った。
九楼撫子の未来を再び奪う、理不尽で傲慢な行為によって。


「……ねえ、円」
「――なんですか」
「いい加減、離してくれない?」

偵察を終えて帰ってきた円が突然撫子を抱き寄せたのはつい先刻。
円のこうした行為は日常風景でもあるが故、最初に少し抵抗した後は彼のするがままにしていた。 それでも、片付け途中の作業が気になってそわそわしていても、円は一向に手を離す気配はなく、ついに撫子の方が声をあげたのだった。

「あなたは僕の恋人ですよね? それなら、僕があなたを抱きしめても何の問題もないはずです」

「問題ならあるわよ。片付けをしている最中だったの」

ほら、と部屋を見る撫子に、その視線を追う様は見せたものの、円は腕を緩めない。

「部屋なら十分片付いてます。だから、あなたが僕から離れる必要はありません」

「中途半端は嫌なの。もう少しで終わるから離して」

「嫌です」

几帳面な撫子らしい言い分に、それでも円は首を縦には振らなかった。

「――何かあったの?」

円のこうした振る舞いは珍しくないとはいえ、外出から帰ってすぐの出来事なのだ。
きっと外で何かあったのだろう。
怪我がないか首を傾げて確認すると、「怪我なんてしてませんよ」と即座に返され、ようやく腕が緩んだ。

「そう。だったら……」
どうしたの?
再度問われて、円が重い口を開く。

「……レイン先輩と話しました」
「レインと? 会ったの?」
「いえ……警備隊と遭遇した時に通信機を通して話したんです」

円の話に改めて彼を見る。
警備隊と遭遇したのならきっと争ったはずだと、もう一度彼の身体を見直すが、彼の言う通り怪我はしていないようだった。

「どんな話をしたの?」
「……………」

問いかけに返ってきたのは無言。
撫子には聞かせたくない内容なのか、それはどんな話なのか気になったが、それより円が気になって、撫子は自分から抱きしめた。

「撫子さん?」

「レインからどんなことを言われたのかはわからないけど、円が話したくないなら聞かないわ」

「……それでどうして抱きしめるんですか?」

「ただ、円を抱きしめたくなったの」

円がレインに何を言われたのかはわからない。
けれどもそれが彼をひどく傷つけたように思えて、抱きしめたくなった。

「……僕は決してあなたを手放しません。どんなに浅ましいと思われても、罵られても、僕にはあなたが必要なんです」

「私にも円が必要だわ。この想いが浅ましいというのならそれでも構わない。私も、あなたを手放せないもの」

しぼりだされた呟きはきっとレインの投げかけた言葉に対するものなのだろう。
だったら自分だって同じなのだからと、言葉を重ねれば、再び抱きしめられる。

円が抱く撫子や鷹斗……この世界に対する罪悪感は、きっと撫子が考えるよりもずっと強く、彼を苦しめているのだろう。
それでも、自分が共にいることで少しでも支えられるのならば、悲しみも苦しみも共に抱えていきたい。
共に歩んでいくと決めたから。

the night is long that never finds the day
明けぬ夜は長い夜だ
けれども夜明けは来る
明けぬ夜はないのだから――
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