君が、いない

理撫3

お前がいない――。

ずっと隣りにいた存在が突然失われたあの日。
理一郎の日常は崩れ去った。
そう遠くない未来に、撫子は理一郎の傍を離れていくだろうと、そういつからか思っていた。
けれどもそれは、このように突然理不尽に失われることを想定していたわけではない。

幼い頃は隣りに住む幼馴染として当たり前のように行動を共にしていたが、いずれは彼女にも想うものが現れるから。
そしてそれは自分ではないだろうと、そう思っていたからだった。
なのに現実はあまりにも突然に、理不尽に撫子を奪っていった。

鷹斗と出かけるという撫子の「理一郎も一緒に行かない?」という誘いを断り、一人待ち合わせ場所へと出かけたはずの彼女はひき逃げに合い、病院に運ばれた。
一人病院の廊下で待つ間、理一郎は震える手を必死に両手で握り、撫子の無事を祈っていた。
そうして手術中のランプが消え、開いたドアに立ち上がった理一郎が見たのは、目覚めることのない眠りについた撫子だった。

「……申し上げにくいことですが、医学、通例的には彼女は【死んで】いると言えます。
この状態からの蘇生率は限りなく低い……現代医療では奇跡でも起きない限り、彼女が目を覚ますことはないでしょう」

医者の告げる内容が、心をすり抜けていく。
撫子が……死んでいる?

「そんな……だって、息をしてますよね……?
手だって温かいし、意識だって麻酔で眠ってるだけで……」

「彼女は事故に合い、脳に重大な損傷を受けました。脳の機能の一部は残っていますので、自発的な呼吸は可能ですが、意識が戻ることはないでしょう」

意識が戻らないから【死んで】いる――そう説明されても、撫子は確かに今理一郎の目の前にいる。
意識だって今、事故に合ったばかりで一時的に失ってるだけで、時間がたてばきっと目を覚ますはず……そう主張しても、医者は悲しげに目を伏せ、ゆるく首を振った。


運び込まれた病室で、ベッドに眠る撫子を見つめ、理一郎は泣いた。
こんなに泣いたのは、撫子がよく思い出として語った幼少の頃以来だった。
心は目の前の現実を否定しているのに、頭の奥はどこかで医者の言葉を肯定していて、涙で歪んだ視界に眠る彼女を捕らえながら、声が枯れるまで泣き続けた。
どれぐらいたった頃だろう……病室に見知った姿が駆け付けた。

「鷹斗……か。遅かった、な」

茫然と佇む友人に、こぼれた声はひどく細く、掠れたものだった。
ひき逃げされたのだと、訥々と経緯を語る。
一人で抱えるにはあまりにも衝撃が大きくて、話さずにはいられなかった。

「こいつが何やったって言うんだよ」
 
胸に渦巻く嘆きと怒り。
自分と同じく周りに馴染めず、友人は互いという程のものだったが、こんな目に合うような……合わなきゃいけない理由なんてなかった。認めたくない。
けれども、どうすれば撫子が目覚めてくれるのか、またいつものように理一郎、と微笑みかけてくれるのかわからない。

そんな時、理一郎の話に感情のこもらない声で答えていた鷹斗が言った。
自分なら撫子を助けられるかもしれないと。
理一郎と同じ子どもの彼に何ができるというのかとか、医者でさえ無理だというこの状態からどう救えるというのかとか、普段ならば当然思っただろう疑問を……けれども、この時の理一郎には暗闇に差し込む一筋の光明のように思えた。
撫子を助けたい。理一郎の願いと重なる鷹斗の想い。
二人きりにして欲しいという彼の要求を飲み、病室を出たことを……後に理一郎は死ぬほど悔やんだ。


いない。
どこを探しても、どこに行っても。
いつも当たり前に隣りにいた撫子がいない。


撫子が病院から失踪してすぐ鷹斗に会いに行っても会うことが出来ず、悩み刑事に鷹斗との事のあらましを話しても、父に縋っても撫子に会うことはできなかった。
焦燥と喪失感に悩まされるそんな中で、次第に理一郎は撫子はどこかで怯えて彷徨っているのだと思うようになった。

きっと訳が分からず怯えて、家に帰ることもできずに一人彷徨っているのだ。
それなら自分が見つけないとだめなのだ。
父は当てにならない。
警察も当てにならない。
自分が、探すしかないのだから。
雨に打たれ、身体が冷え切っていく中で、理一郎はそう決意した。
自分が必ず撫子を見つけ、助けるのだと。


――この五年後、世界は突然壊れた。
神々の黄昏と呼ばれる世界改変が起き、周りの景色は一変した。
それでも、理一郎の成すべきことは変わらなかった。
撫子を見つけ出す……それが彼の何より叶えたい願いだったから。
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