特別

景市9

『結婚したら君も白石になるんだよね? 奥さんを名字で呼ぶ風習とかないなら、逆もそうだよね?』

そう白石さんに言われて、確かにそうだと頷いた。
けれどもそれなら名前で呼ぶ? なんて言われてもすぐに対応できるわけなくて。
香月くんのことは名前で呼ぶのに……なんて拗ねられても、それは生まれた時からそうだったのでと言っても納得してくれるはずもなく、眉を八の字に下げたまま白石さんを見上げた。
景之さん――彼の名前はもちろん知っているけど、男性を名前で呼んだことなど今までないから、どうしたって戸惑ってしまう。
確かに白石さんは私を『市香ちゃん』と名前で呼んでくれるのだから、私もと求められるのは当然だし、家族になるのに名字呼びはおかしいだろう。でも……。

(名前で呼ぶのってこんなに緊張することだったんだ……!)

名字でなら簡単に呼びかけられるのに、名前に変わるだけでこんなにも言いづらくなるなんて思わなくて躊躇していると、深い溜息が聞こえて。もういいよ、と白石さんがこちらを見る。

「そんなに君が呼びづらいなら別にいいよ。でもいずれは変えてほしいな。……君の特別になりたいから」
「…………っ!」

白石さんの言葉に跳ねるように顔を上げると驚かれるが、唇をきゅっと結ぶと覚悟を決めて口を開いた。

「……か、景之さん」
「…………!」
なんとか彼の名前を告げると息を飲む音がして、驚き見開かれた目が私を写す。

「市香ちゃん……今、俺の名前を呼んだ、よね?」
「は、はい」
「…………」
「白石さん?」
「もう一度……」
「はい?」
「もう一度呼んで欲しい。名前で」
「……っ、景之さん」
「…………っ」
要望に応えると目をつむって黙りこんでしまった白石さんを覗きこむと、掠れた声がして。

「……君に名前で呼んでもらうのがこんなに嬉しいなんて思わなかった。君の……特別な存在になれたんだって、そう思ったらすごく嬉しくて……どうしよう。俺、今すごく幸せだよ」

声に表情に溢れた思いが、白石さんの言葉が本当なのだと教えてくれるから、私の胸もいっぱいになってしまって、一人で抱えきれずにその胸に飛び込んだ。

「白石さんはずっと私の特別な存在です。これからもずっと……」

「……うん、ありがとう市香ちゃん。俺を君の家族にしてくれて。俺を君の特別な存在にしてくれて」

互いを抱き締め合って鼓動を重ね合わせることがこんなにも幸せで、自然と涙が溢れてくる。
辛いことも、悲しいこともあったけれど、今こうして白石さんが側にいてくれることが幸せで、だからこそ今を大切に生きなければいけないと強く思う。

「幸せになりましょう、景之さん」

幸せにしてもらうのでも、幸せにするのでもなく、二人で幸せになる。
そう心で誓うと、眦を優しく拭ってくれる彼を見つめて唇を重ね合わせた。

2018.12.24
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