誰よりも君を大切に思う

景市7

柔らかく触れて離れていく。
そんないつものキスを交わして幸せそうに微笑む白石さんの胸に寄り添って、どうしようと悩む。

我を忘れて、息を吸う暇もない深いキスをされたあの日から、白石さんに会うたびにどうしようもなく鼓動が早まって、キスをせがみたくなる衝動に駆られるようになった。
白石さんは子どものように純粋なところがあって、触れ合うだけで幸せを感じてくれるから、そういうことにあまり興味がないと思っていたけど、この前のキスで違うとわかってから、私の中で「もっと」と求める思いが生まれていた。
あの日のキスは苦しくて、頭が真っ白になってどうしていいかわからず、ゆっくりとお願いしてしまったけど、今はあの日のようなキスを……と求める自分がいる。

「市香ちゃん? どうしたの?」

「あの……お願いがあるんです」

「君からお願いなんて珍しいね。なに? 教えて」

軽く問う白石さんに躊躇うが後には引けなくて、惑う思いを定めると思いきって伝える。

「あの……キス、したいです」
「え?」
驚いた声におずおず見上げると、ああ、と照れくさそうに頬を染めながら頷く白石さん。

「前に教えてくれたものね。 ……うん。俺もしたい」

あの時の会話を思い出したのだろう、白石さんの反応に恥ずかしさが募るが懸命に我慢して待っているとゆっくり近づいて。
微かに触れた唇が離れるのを、とっさにその胸元を手繰り寄せて引き留める。

「あの、違うんです。 今日は……もっとしたいんです」

「もっとって……もしかして性行為のこと?」

「えっ!?」

白石さんの言葉に一瞬頭が真っ白になって、慌ててぶんぶんと首を横に振る。


「ち、違います! そうじゃなくて、あの時みたいなキスをしたいんです」

「あの時って……でも市香ちゃん、ゆっくりがいいって言わなかった?」

「う……あの時は初めてで驚いて、うまく息が出来なくて苦しかったからで、今日は大丈夫、ですから」

疑問をそのままに出来ない白石さんの追求に困りながらも一生懸命伝えると間が出来て。
その間に、はしたなかったかと急に不安になった。

「あ、あの、やっぱりいいです」
「え? いいの?」
「……はい」
振り絞った勇気はすっかり萎んで、恥ずかしさに走り去りたい衝動を感じていると、白石さんがこちらを見て。

「その、してもいいかな?」
「え?」
「俺も、もっとキスしたい」
「……‼」
恥ずかしそうに私の様子を窺う白石さんに、反則です~と心の中で叫んだ。

「市香ちゃん?」
「……」
「ダメ?」
「ダメじゃないです……」
「本当に?」
「はい」

胸の鼓動が聞こえてしまうんじゃないかというぐらい早く刻んでいて、でも言い出したのは市香だとぎゅっと目をつむると、近づく気配に肩が震える。

「……怖い?」

「怖くはないです。ただ緊張して……」

「うん、俺もだよ」

「白石さんも?」

「うん。だってまた理性を失って、欲求を制御出来なくなったら、市香ちゃんを苦しませちゃうから」

「……っ、いいんです。 白石さんに求められるのは嬉しい、ですから」

「……っ、そう」

優しさと温もりを分け合ういつものキスも幸せで嬉しいけれど、今望んでいるのは理性を失って欲求を制御出来なくなる衝動だから。
そっと重なった唇がいつものように離れようとした瞬間、無意識に追うと驚いた気配が伝わる。
自分を奮い立たせて重ねあわせ続けると、ぐっと深く食まれて息を吸う隙間を埋められる。

「……ん……っ、……ふ」

無意識に逃げそうになる私を捕らえて、深く強く重なる唇。
苦しくて、どうしていいかわからなくなるけど離れたくなくて……白石さんの胸にすがる。
わずかに離れた気配に目を開けると、熱を帯びた瞳が見えて、じわりと体の奥から何かがせりあがってくる。
熱くて、苦しくて……でももっと、触れたい。

「白石さん……」
「……っ、」

こぼれた声はかすれて、普段とはまるでちがくて。
白石さんの目尻が赤く染まるのを見た瞬間、再び深く貪られる。
優しさを分け合うんじゃない、自分で制御出来ない感情に煽られたキス。
苦しいのに離れたくなくて、もっと白石さんと触れ合いたい。

「……は…っ…市香ちゃん」

「んっ…は……、はい……っ」

「あの……これ以上はちょっと……心の準備が必要だから」

「?」

「たぶん、君が感じているのは俺と同じ性的欲求なんだと思う。 でもその、今日は準備も足りないし、俺も制御出来なくておかしくなりそうだから」

恥ずかしそうに視線を反らした白石さんの言葉を反芻してーーその意味を理解した途端、顔が真っ赤に染まった。
性的欲求。
つまりは穏やかな心の触れ合いではなく、肉体的な欲求。

「……っ、」
自分の感じていた衝動の正体を教えられて、恥ずかしさに消えたくなる。
それは今まで市香が知らなかったもので、初めて感じたものだった。

「す……すみません……っ、私……」

恥ずかしさと動揺でぐるぐる回る思考に俯くと、奇妙な沈黙が支配する。
何か話さなければと思うけど、何を話せばいいか思い浮かばず、ぐるぐると空回る。

「えっと、1つ確認したいんだけど……」
「は、はい」
「俺と君は家族になる約束をしたよね?」
「はい」

それはまだ彼が起訴されないまま保護室にいた頃で、外出許可を得て児童養護施設に行った時の約束。

「俺は君と家族になりたいし、絶対離れるつもりもないけど……君は俺と家族になって本当にいいの? ああ、聞きたいのは君の気持ちじゃなくて、君の家族は俺でいいのかな、って」

彼の心配が市香の想いではなく、家族に対してだと分かると複雑な想いが浮かんでくる。
市香は家族……とりわけ両親とは昔から折り合いが悪く、ここ最近では香月のこと以外の話題を話したことがなかった。

「……大丈夫です。香月は白石さんとのことを認めてくれていますし、両親は私に関心がありませんから」

ずっと前から分かっていたことだが、改めて口にすると悲しくて、自然と俯いてしまう。
市香ちゃん、と名前を呼ばれて顔を上げると、白石さんの指が柔らかく頬を撫でる。

「なら、俺が市香ちゃんの家族になるよ。 君を一番大切に思うから」

「…………っ」

彼の言葉に涙が溢れて、その指先を濡らす。
誰よりも市香のことを心配してくれる優しさがあたたかく包み込んで、幼い頃からの心の空虚を埋めてくれる。

仕方がないと、そう諦めながらもずっと悲しかった。
香月も自分も同じ彼等の子どものはずなのに、存在を認識しようとしない両親の態度にずっと傷ついていた。
香月のことは市香も大切だ。
けれども、自分だって本当は愛されたかった。
必要とされたかった。
そんな思いがいつも胸の奥にあった市香を包み込んでくれた彼の愛情。
いつも自分は市香に相応しくないと、背負った罪の意識からそう気にしていたが、誰よりも市香自身が彼を必要としていた。

「私も白石さんの一番大切な家族になりたい。ならせてください。あなたが大好きだから」

涙で滲んだ視界で彼を見つめると、泣きそうな顔で頷いてくれて、ぎゅっとその身体を抱きしめる。
好きという言葉じゃ足りなくて、ああ、だからこそ家族になりたいと思うのだと、すとんと心が理解する。
肉体的欲求もただの性的な欲求ではなく、彼の特別でありたい表れ。
大好きで、誰よりも傍にいたいから。

「……うん。ありがとう、市香ちゃん」

泣き笑いのような表情でお礼を言う白石さんにふるりと首を振ると身を乗り出して。
言葉じゃ足りない想いを伝えるように、そっと唇を重ね合わせた。

2018/10/08
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