「いつか」の始まりを今

景市5

ふわふわと、身体が浮遊しているような感覚。
これは前にも感じたもの。

(また……夢を見てるんだ)

目を開ければ、待っているのは無機質な天井と壁に囲われた檻。
決められた時間に起きて、決められた仕事をこなす、まるであの箱庭の世界のようなこの場所で、唯一許されている微睡みの時間。 ほんのひと時の優しい時間。
だから今だけ……あたたかな夢を見る。
願わくは、彼女の夢を見れるようにと願って。



サア……と走り抜ける風に手を目の前にかざすと、辺りに舞う花を見る。
昔なら何の感慨も抱かなかっただろう景色も、今は鮮やかで心地好いと思えた。

(君と出会った世界はこんなにも色鮮やかだったんだ……)

色としての認識はあった。
けれどもそれに揺れ動く感情がなかった。
そんな白石に『色彩』を与えたのは市香。

組織の望む『色』に染まり、役目が終わればまた新たな『色』に変わる。
自分は白で、何にでも染まる代わりに特定の色を持たない存在。
それを当然だと思いながら、どこかでずっと自由を……自分だけの『色』を持ちたいと渇望していた。
箱庭の外に出て、白石景之という名を得て、それでも得られなかった自分だけの『色』。
その『色』を与え、目の前の現象に感じる心を与え、世界が色鮮やかであることを市香と関わり知った。
だからこんなにもこの世界は美しくこの目に映る。

(前の夢は遊園地だった。今度は草原か……)

夢は願望の表れと言うから、昔からある自由の象徴なのかもしれないと分析しながら、きょろりと辺りを見渡す。
この夢が白石の願望から見ているものなら、きっと彼女もいるはず――そう願いながら探していると、白いスカートと柔らかに風に踊る長い髪があった。

(……市香ちゃん……)

白石が愛した、還りたいと願う存在。
記憶と変わらない彼女に安堵して、やっぱり君には陽だまりが似合うと口元に笑みが浮かぶ。

ゼロに見出され、毒の首輪を嵌められ、同士となることを強要された市香。
もしも彼女がアドニスの一員になっていたら、きっとこの色鮮やかな景色はなかっただろう。
明るい陽の下こそ彼女に似合う。
それを守れたことが何より白石の喜びだった。

「市香ちゃ……、……っ!」

市香の元へ歩み出そうとして足が止まる。
彼女が差し出した手は白石へではなく、彼がよく見知った――唯一親友とも言える存在・柳愛時へだった。
彼がその手を取ると、ふわりと幸せそうに微笑む市香。
その笑みは本当に幸せそうで、白石の心を深くえぐる。

(――――嫌だ……っ!)

君の手を取るのは自分でありたい。
その笑顔を向けられるのも、何より大切だと滲む笑顔は自分だけのものでありたいと、そう心が悲鳴を上げる。

「市香ちゃん……俺は、ここだよ……?」

こぼれた呟きは、けれども拾われることなくその場に落ちて、彼女は柳と光の中を手を取り合って歩いていく。
そんな2人を追うことも出来ず、けれども目をそらすことも出来ずにただ見つめ続けた。





「…………………っ!」

ハッと目を開けると、白い天井が目に入る。
夢から覚めたのだと自覚しても、まだ感情が現実に戻りきらず、ただそこにある存在だとだけ認識していた。
幸せな夢を見られるからこそ、冷たい檻の中でも寂しくなかった。
けれどもあの夢は違う。
白石の心を凍えさせた夢の内容は、どこかでずっと怯えていた……目をそらしていた、起こっても不思議でない可能性の一つだった。

「……っはは、夢だけは幸せでいられると思ってたんだけどな……」

ずっと漂っていたいと思うほど、あたたかくて優しかった空間。
それさえも失ってしまえば、ここにあるのはただ無機質で冷たい檻だけ。
赦されるとも、赦されたいとも思わないが、願いは捨てたくなかった。
彼女に会いたい。
彼女にとって代わりの利かない存在でいたい。
君のそばに、還りたい。
いつか来る終わりではなく、いつか来る始まりを願う存在を失いたくない。

「ん……?」

身体にまとわりつく夢の残滓に縛られていた白石は、くん、と無意識に鼻を鳴らす。
部屋に漂う美味しそうなにおい。
それに付随するようにトントン、と規則正しく刻まれる音。
それらに急速に意識を目覚めさせると、ここが檻ではなく見慣れない部屋の中だと気がついた。

(……ここはどこだ? もしかして……まだ目覚めてない?)

目覚めたら映る檻ではなく、窓には淡いカーテンがかけられ、壁は無機質なコンクリートではなく壁材が張られた一般的な構造。
あまりにも先程の夢が辛く、他の夢へ回避したのだろうかと身を起こすと、音のする方へと歩いていく。

「市香……ちゃん?」

そこにいたのは何より望む存在。
白石が還りたいと望む場所――星野市香が、背を向けて料理していた。

「あ、白石さん目が覚めたんですね。おはようございます。もうすぐご飯が出来ますから、顔を洗って待っててください」

白石の声に気づき、手を止めると微笑み、朝の挨拶を告げてくれる。
それを嬉しいと思った瞬間、彼女へ手を伸ばしていた。

「白石さん? どうかしましたか?」
「市香ちゃん……君だね……」
「はい?」

突然抱き寄せる白石を不思議そうに見つめると、ぽんぽんと宥めるように背を柔らかく撫でる。


「……怖い夢を見たんですか?」
「……そう、だね。こっちの夢の方がずっといい」

甘えるように髪に顔を埋めると、大丈夫だと優しく撫でてくれる手のぬくもりに、ああ、良かったと凍えていた心が温かさを取り戻していく。
いつかは起こる現実だとしても、今はまだこのあたたかい夢の中に微睡んでいたい。
そう願っていると、あ! と腕の中から声がこぼれ、彼女がもぞもぞ身じろぐ。

「白石さん、ちょっと離してください。鍋が噴きこぼれちゃってます……!」
「……嫌だ」
「白石さん! お願いします……!」

拒否するも、腕の中の市香は必死で、渋々拘束を解いた。
白石から解放された市香は、慌てて鍋の火を止めると、今度は彼女から白石に抱き着く。

「市香ちゃん?」
「火は止めたので大丈夫です。今は白石さんの不安を取り除く方が先です」

とんとん、と先程と同じように優しく背を撫でる掌に、還ってきたぬくもりに安堵する。
ああ……市香が、そばにいる――。

「今朝は鮭と、大根と油揚げのお味噌汁と、卵焼きですよ」

「うん」

「ご飯を食べたら、猫たちに会いに行きましょう? 1番がきっとお腹を空かせて待ってますよ」

「あの子は他からももらってるんだろうから大丈夫じゃない? 逆に俺まであげちゃうとさらに重くなって、動けなくなっちゃうんじゃないかな?」

「ふふ、またそんなこと言ったら怒っちゃいますよ?」

「えー? だって本当のことだよ?」

くすくすと笑う市香と他愛のない会話を交わすと、ようやく顔を上げて、改めて家の中を見る。

「ここ、君の家? 弟君もいるの?」
「……白石さん、本当に寝ぼけてるんですね。ここは、私たちの家ですよ」
「私たち……?」
「白石さんと私の家、です」

きょとんと見れば、優しく微笑む市香に、なんて幸せな夢なんだろうと思う。
市香と2人で暮らす家。
それが叶ったらどんなに幸せだろう。

「朝ご飯、急いで作るのでちょっと待ってくださいね」

「……俺も手伝おうか?」

「え? 白石さんが?」

「うん。そのネギ刻むんだよね? それぐらいならたぶん出来るんじゃないかな?」

「……でしたらお願いします。白石さんがネギを切ってくれてる間に、私は卵焼きを焼きますね」

市香が先に刻んでいたネギを見本に包丁を不器用に動かすと、フライパンに卵を流し入れて、軽やかにまとめていく姿に、記憶を失っていた市香との思い出がよみがえる。

「…………ッツ!」
「……白石さん? 大丈夫ですか?」

つい市香を見ていたら包丁の切っ先が指をかすめてしまい、息を小さく飲むと、慌てて彼女が駆け寄ってくる。

「……血が少し滲んでますね。白石さん、こっちへ来てください」
「これぐらい大丈夫だよ」
「ダメです!」

ほんの少しかすめただけなのに、白石の手を引く市香を振り払えず、素直に絆創膏を巻かれる。

「夢でも痛いものなんだ」
「……白石さん、もしかしてまだ寝ぼけてるんですか?」
「うーん。そうなのかな?」

夢だと自覚してる時点で眠っているのだから、寝ぼけてると言われればそうなのかもしれないと、曖昧な返事を返すと、市香が心配そうに眉を下げて見上げる。

「もしまだ眠いのなら、もう少しだけ眠りますか?」
「ううん。君と一緒にいる方がいい」

夢でしかまだ会えないのなら、会える分だけそばにいたい。
そう思って手を伸ばすと、それは振り払われることはなく、ほっと安心すると、ふわりと頬が包まれる。

「白石さん。これは夢じゃないんですよ?」
「夢じゃない……?」
「はい。白石さんはちゃんと罪を償って、私のところへ還ってきてくれたんです」

市香の言葉に改めて彼女を見ると、記憶に刻まれた姿よりもずっと大人びていて、ようやく時の変化を感じ取る。

「……俺は、君の所へ還れた……?」
「……はい。約束してくれたとおり、私のところへ還ってきてくれました。おかえりなさい、白石さん」

市香の言葉に、笑顔に、胸が熱くなってどうしていいかわからない。
つ……と頬を伝ったものに、自分が涙を流していることに気づく。

(君が、俺を『人』にしてくれた……)

14番という『もの』として存在していた時は、こうして涙を流すことなどなかった。市香に会うまでは。
苦しくて、どうしていいかわからなくて、けれども手放したくない想い。
この涙もまた、市香が白石にくれたものだから。

そっと抱き寄せてくれる腕に、伝わるぬくもりに身を委ねて、この時間が夢ではなく願いが叶った始まりなのだと知る。

「……ありがとう、市香ちゃん。俺を、待っててくれて」

溢れる想いをそのまま告げれば、抱き寄せる腕の力が強まって。
私こそありがとうございますと、おかえりなさいとあたたかな声が白石を包み込んだ。

20170524
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