もしもこの日常が壊れたら

ソウヒヨ6

「ねえねえ、今日は何の日でしょう~?」

「確かテレビで『ニットの日』って言ってたよ」

「えーそれ、ただの語呂合わせでしょ? ヒヨリちゃんにはもっと大切な日じゃない?」

「テスト前日?」

「そうだけど、そうじゃなくて! ……ヒヨリちゃん、分かってやってるよね?」

「ふふ、ごめんね。ちゃんと分かってるよ。2月10日は凝部くんの誕生日だよね?」

散々はぐらかしたのに、満面の笑顔を向けられたら文句なんて言えないじゃん、と内心呟きながらそーそーと頷くと、カバンから取り出されたラベンダー色のマフラーが首にまかれ。

「ニットの日だからじゃないからね?」
「……これ、もしかしてヒヨリちゃんの手作り?」
「うん。あ、もしかして目が粗かった?」
「そんなことないよ。……ありがとう」

柔らかであたたかな感触は彼女と同じで、どうしようもなく胸が温かくなる。

「……僕、プレゼントもらってこんなに嬉しかったの初めてかも」

「大げさだよ。でも、そんなに喜んでもらえたなら良かった。弟たちにもせがまれちゃって、セーターは編めなくて」

「だから最近眠そうだったの?」

「……うん、この前は寝ちゃってごめんね」

「可愛い寝顔を見れたから大歓迎☆」

「もう……」

茶化すと苦笑をこぼすヒヨリに、さりげなくマフラーに顔を埋めて、溢れだす感情を隠してしまう。
物に不便したことはなく、望むものはたいてい得ることが出来たし、好きなように過ごしてきた。
その環境を与えられていることは十分幸せで不満なんかないのに、どこか空虚な思いを常に抱いていた凝部をヒヨリは満たしてくれた。
その思いが溢れても、惜しみなく注がれる温かで優しいヒヨリの愛情が嬉しくて……苦しい。

(どうして……なんて理由は分かってる)

希薄な関係性を恨むことはない。
だってそれは凝部だって築かなかったのだから。
だからこの痛みは違うもの。
ずっと、あの場所から戻ってから急き立て続けるもの。
ヒヨリと一緒にいることで常に感じる喜びと苦しみ。
表裏一体の感情はもどかしくて苛立って、どうしようもなく凝部を急き立てるから。

(嬉しい)

それは俺が与えられるものじゃないのに。

(好きだ)

本当にヒヨリが好きなのは俺?

浮かぶ思いに重なる声。
それは凝部がこの幸せを感じることを否定し続けるもので、だからこそヒヨリとの距離をこれ以上縮めることに迷いが生じていた。
可愛くて、あたたかくて、大好きで。
なのに踏み込めないのは、凝部の胸の奥に知らないうちに刻まれた謎の存在ゆえ。
『いつから』かは分かっている。
何か心残りがある――それは異世界配信から戻ってずっと抱いている思いだから。
そして、その心残りはたぶん――男。
ノイズに邪魔されながらも浮かぶシルエットは男のもので、それが分かってから凝部を縛る鎖は彼なのではと思い至った。
ヒヨリも自分を思ってくれていて、自分も彼女が好きで、両思いであることは確かで何も障害などありもしないのに、それでも常にこの位置にあるのは自分ではないと、その思いが拭えなかった。

(その理由が……アイツなのか?)

失われた記憶。それはヒヨリにもあって、きっと俺達は同じ存在を忘れさせられたのだろう。
そして、その存在はきっと――ヒヨリに深く関わる男。
ヒヨリ自身、忘れた存在は自分の大切な人だったと漠然と思い出していた。
いつか――。
やってくる終わりの日。
その時、彼女は変わらず自分を選んでくれるだろうか?
『大切な人』に勝ることは出来るのだろうか?

『忘れてしまったその人を思い出さない限りは、きっと凝部くんも私をちゃんと見てくれない気がしたし』

だから思い出したいんだと、そう言ってくれたヒヨリの言葉を疑うわけじゃないけど。
『欠けてる』自分達はどうしたって複雑な前提を覆せないと、認めたくないけど分かるから。

「触れたいのに触れられないなんて、本当に生殺しだよ……」
「凝部くん? 何か言った?」
「あったかくて嬉しいなぁって☆ ねえ、ヒヨリ」

なに?と問う声を塞いで唇を重ねて、溢れる思いが少しでも伝えられたらと、息苦しさにヒヨリがギブアップするまで執拗に舌を絡め続けた。

20190210
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