欠けたるもの

ソウヒヨ5

薄暗い部屋でスクリーンキーボードをタップしながら、後ろの気配に視線を送る。
ヒヨリはテーブルで宿題をやっており、こうした光景もすっかり日常的になっていた。

「ねえ、ヒヨリちゃん」
「ん? なに?」
「ん」

顔をあげた彼女に両手を広げると、目を瞬いたヒヨリはくすりと笑って素直に腕の中に身を預けてくれる。

「今日は忘れてなかったね」
「忘れるわけないでしょ? こーんなに可愛い彼女をさ」
「可愛いいただきました☆」

凝部の口調を真似する様に笑うと頬を撫でて、ちゅっと軽く口づける。
以前ヒヨリに、夢中なのは凝部の方だと指摘された時、どくりと高鳴った鼓動をポーカーフェイスで隠した。
そんなの見当違いだと言えないのは、今もなお消えた記憶を探すのに躍起になっているからだ。

可愛い彼女に触れるともっとと求める熱は膨れ上がるのに、いざキス以上のことをしようと思うとどうしてもその先に踏み込めなかった。
微笑みかけてくれることが嬉しくて、けれどもそれは本当に俺が受けていいのかと、絶えず内側から投げかけられる声。
どうしてかわからなくて、それが苛ただしくてもどかしくて、記憶を探らずにはいられなくなるから。
いつの間にか深くなっていたキスに唇を離すと、とろりとした表情で凝部を見つめるヒヨリの目を手のひらで覆う。

「君には本当に俺が映ってる?」

彼女が見ているのは……求めているのは本当に自分なのか?

「……それは私の方が聞きたいよ。凝部くんは私をちゃんと見てくれてる?」
「もちろん。こうして目の前にいるんだから当たり前じゃん」
「ウソ」

ザックリ切り捨てられて口をつぐむと、覆った手のひらを退けて怒りを含んだ眼差しが凝部に向けられる。

「忘れた人を思い出さないと、凝部くんは私を見てくれないもの」
「…………」

それは以前にもヒヨリに言われたこと。
そんなことないと否定しても、頑なに譲らない彼女は相変わらずそんなところは鋭くて、白旗を上げるしかない。
ヒヨリが忘れた存在を思うと妬けるのに、こだわりたくなんかないのに、どうしたって急き立てられて、突き止めなくては気がすまない。
だからずっと、凝部は『彼』の存在を探り続けていた。

「……本当になんなんだよ、クソッ!」

苛ただしげに浮かんだディスプレイを消していくと後ろから抱きしめられて、その温もりに泣きたくなる。
好きだと、思いのままに抱きしめて自分のものにしてしまいたい。
それなのにその欲求に抗ってしまうのは、ヒヨリの言うとおり凝部の方だった。

「私は凝部くんの側にいるよ」

ぎゅっと抱きしめる腕に手を添えて、お願いだから離れないでと、心の中で呟いた。
欠けてる僕は踏み出せない。
だから記憶を取り戻して、その後もヒヨリの側にいられるようにと願った。

20190207
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