情報局詰めにされて、メディカルチェックと事情聴取を繰り返す日々の中で、ようやく目を覚ました陀宰。彼の回りが静けさを取り戻してきた頃に、凝部は二人きりで話をした。知りたかったこと、あの時には言えなかった思いを、渋る陀宰から聞き出して、自分の予想がほぼ正解だったことを知った。忘れてしまったことにも、忘れてしまった意味があると、そう告げる陀宰に、けれども頷けるはずもない。
「キミは捨てたつもりでいるかもしれないけど、何一つ終わってないし、何一つなくなってなんかいないんだよ」
あの時演じたドラマは不思議と彼と自分の心情を表していて、今では皮肉に思えてしまう。そう、何も終わっていない。彼の記憶をすべて取り戻した今、彼女が求めるのはきっと自分ではないのだから。首を傾げて俺の意図を問う声は、部屋に入ってきたヒヨリに飲み込んで、言葉を交わす姿にそっと部屋を出ていく。あるべき姿がこれならば、後は幕を引くだけだ。
情報局詰めの日々の終わりが決まった日、凝部はヒヨリと待ち合わせた。
メディカルチェックを終えた彼女からの返信に、瞼を閉じると冷たい指先に苦笑する。
「本気になるのってやっぱり厄介だね……」
本気になって何かを失うくらいなら、つまらない人間になろうと思っていた。そんな凝部に本気を教えたのはヒヨリ。一緒にいると楽しくて、つまらないと思っていた学校も、ヒヨリに会えると思うと毎日行く自分が可笑しくて、その変化が愛しかった。
(愛しい、か……これもキミが俺に教えてくれたことだね)
本気になって頑張っても、手に入らなかったら悲しい。誰かに横から取られたら悔しいから。だから、勝算のない勝負には挑まないようにしていた。なのにどうしても欲しくて手を伸ばして。彼から奪ってしまった。
今から言おうとしている内容を知ったら、キミは泣くだろうか?
(怒る……かな?)
優しくて、けれども迷っても自分の意見は貫く。そんなところも彼とそっくりで。誰が見てもお似合いな二人だった。イヤだと、叫びたくなる思いに蓋をする。だって、始まりがフェアではなかったのだから。彼は真実を言えず、記憶をも奪われ、それでも必死にヒヨリに手を伸ばしていたのに。
「凝部くん」
部屋に響いた柔らかな声に、胸がどくりと大きく鳴る。今から彼女に告げるのは終わり。望まなくてもゲームはフェアでなくてはならない。だから――。
「遅いよ、ヒヨリちゃん。待ちくたびれて溶けちゃいそうだったよ☆」
「え? ご、ごめんね? メディカルチェックが終わってすぐに来たつもりだったんだけど、待たせちゃったよね」
もう一度ごめんねと謝る姿に、非なんてないのにと苦笑すると本題を切り出す。
「キミに話があるんだ。大事なね」
僕の声音に真剣であることを察したのだろう、背筋を伸ばすヒヨリに、渇く喉から言葉を紡ぐ。
「あのさ……終わりにしよう」
「え?」
どういうこと?と、意味が分からず戸惑う彼女に笑って背を向ける。
「だから、恋人関係は終わりだよって言ってるの」
「凝部くん?」
「メイちゃんのこと、思い出せたんだよね? だったら代わりはもういらないでしょ?」
「代わりって何? 凝部くんを陀宰くんの代わりにしたことなんて今までないよ」
話の意味が分からないと、そう問う声音に、一度視線を落とすと向き直った。
「メイちゃんとの思い出を取り戻したんでしょ? 本当は僕の手を取ったことを後悔してるんじゃない? キミが手を繋ぎたかったのはメイちゃんなんだから」
「後悔ってどうして? 私が手を繋ぎたいのは陀宰くんじゃない。どうしてそんなこと……」
きゅっと結ばれた口に、胸に浮かぶ言葉。キミが好きだったのはメイちゃんなんだよ。だって二人の絆を信じて、彼は本来のプロデューサーと賭けをしたのだから。そう言おうとして、ヒヨリの瞳からこぼれた涙に言葉を失う。泣くんだ、と外れた予想に内心で苦虫を噛むとバカと、投げられた言葉に苦笑する。
「……バカは酷くない?」
「酷いのは凝部くんの方だよ。言ったよね? 本気になったらしつこいって」
「……なら、本気じゃなかったんじゃない?」
「嘘」
あっさり見抜いて見上げるヒヨリに、けれども抱き寄せることも出来なくて言葉が出ない。
(どうして……なんて決まってる)
だって凝部が口にしているのは真実じゃないから。
終わりになんてしたくない。離れたくない。俺のものでいて欲しい。
言葉に出来ない思いが溢れてどうしようもなくて、話を切り上げその場を立ち去ろうと決めた瞬間、腕を引かれて。伝わるぬくもりに動けなくなった。
「離しなよ……」
「嫌。凝部くんが嘘をやめない限り離さない」
「嘘って僕はそんなこと……」
「嘘ばっかり」
ざっくり切り捨てるヒヨリに笑うことしか出来なくて、振り払わなきゃいけないのに力が入らない。
「私が陀宰くんのことを好きだって、そう凝部くんは思っているんだよね? どうして勝手に決めつけるの? 聞いてくれないの? 私、陀宰くんのことが好きだなんて言ってない」
「勝手じゃないよ。メイちゃんの気持ち、知ってるんでしょ?」
重ねた問いに黙りこむ姿は、凝部が言ったことの何よりの肯定で、衝動が抑えられなくなってくる。
「キミ、応えてあげたんでしょ? キミは僕のものじゃなくて……メイちゃんのものだ」
最後通達を自身に叩きつけると、唇が温かくなって、一瞬後にヒヨリがキスをしたのだと気づいた。
「なんで……」
「どうして勝手に決めつけるの? 私が好きなのは凝部くんだよ? こんなことしたいのは凝部くんだけだもの」
凝部くんのバカと、泣きながら振り下ろされる拳が痛くて顔をしかめると、ぎゅっと抱きしめて動きを封じる。
「キミって本当に俺には容赦ないよね。全然言うこと聞いてくれないし、自分の決めたことは曲げないし、本当に……厄介だよ」
「厄介なのは凝部くんでしょ?」
嘘ばっかり言って、でもそんな凝部くんを好きになったから、と囁かれて白旗をあげた。
「そうだね。本気じゃないは嘘。キミとキスしてドキドキしたのも、もう一度触れたくてたまらなかったのも、今キミを抱きしめてるのも全部キミだから。――俺はキミが好きだよ」
偽れない思いを溢れさせると彼女の眦にたまった涙に唇を寄せて。
「しょっぱい☆」
顔を赤らめて抗議の言葉を紡ぎかけた口をふさいで、胸の奥で陀宰に謝る。
(ごめん、メイちゃん。キミから彼女を奪って、二度も置き去りにして、それでも僕は彼女を離せない)
拭えない罪悪感は彼の思いを知って膨らむばかりなのに、どうしてもこのぬくもりを、ヒヨリを離せなくて、苦しい。
(もうキミは全部俺の中をぐるぐる回って、血と肉になって俺の一部になったから)
ヒヨリという毒が身体を巡って消えることがないと、そのぬくもりを抱きしめて、消せない痛みごと抱え込んだ。
ごめんと、頭を下げる凝部に陀宰は笑うとそれでいいんだと告げる。
「瀬名がお前を選んだんだ。俺がどうこういうことじゃない。……それに言っただろ? お前に譲るって。それも偉そうか」
自分の言葉に眉を寄せる姿はあの世界でよく見かけたもので、相好を崩すとバカだよね~と笑う。
「メイちゃんってホントにバカ。好きなのに恋敵に譲っちゃって、意味不明な自己犠牲も人が良すぎるにもほどがあるよね。だからもの申したくて、絶対思い出してやるって思ったんだ」
「そういう性分なんだよ。仕方ないだろ」
「ホントにバカだよ……」
弱くなった語尾に、けれども陀宰の顔に浮かぶのは笑みだけで、恨みなんか少しもなくて、だからこそ痛む胸にぎゅっと拳を握る。
「もう泣かせるなよ。お前に任せたんだからな。なあ、瀬名」
部屋の入り口を振り返ると、歩いてきたヒヨリが陀宰と向き合う。そして勢いよく下がった頭に、凝部も陀宰も目を丸くする。
「ごめんね、陀宰くん。好きってそう伝えてくれていたのに私、本気だって分からなかった」
「俺が濁したんだ。だから気にしないでくれ。出来ればその……またクラスメイトとして話したいから」
「もちろんだよ。クラス委員一緒だもんね」
「そうだったな……」
笑みを返すヒヨリに、陀宰も頷き、他愛ない話に花を咲かせて二人揃って部屋を後にする。
情報局を出たところで絡められた指先に驚くと、頬を膨らませたヒヨリが見上げる。
「もう離すのはなしだよ。次は絶対許さないから」
「わ~怖い~。でも、怒ったヒヨリちゃんも可愛いよ?☆」
「私、本当に怒ってるんだからね」
「ハイハイ、わかってます。ごめんなさい。僕が悪かったです。許して?」
誠意を感じない謝罪に、唇を尖らせるヒヨリに口づけて。
驚き見開かれた瞳に、自分を映して、離さないよと繋いだ手を強く握る。
(もう離せないよ。絶対)
心の中で呟いて、もう一度柔らかな唇に口づけた。
20181122