「あれ? 月子はまだ起きてないの?」
リビングに姿のない彼女に、羊は両親を見つめると、珍しいわよねと頷く母。
料理は苦手な月子だけど、手伝いぐらいはと必ずキッチンに立っていただけに、もしかして具合が悪いんじゃないかと、羊は慌てて彼女の部屋へと向かった。
月子は頑張り屋の性格からつい無理をしてしまうことが多く、風邪を引きやすいから注意してほしいと彼女の幼馴染からも頼まれていた。
毎日顔を合わせているというのに、彼女の機微に気づけなかったのかと、昨夜の彼女の様子を思い出しながら急いでいた羊は、
扉を叩こうとして、もし眠っていたら驚かせてしまうかと、急く気持ちを抑え、軽くノックしようとした……瞬間。
「きゃ……っ」
開いた扉にノックしようと固めた手を解いた。
「bonjour。今日は珍しくお寝坊さんだけど、もしかして具合が悪い?」
心配そうに問えば、ふるふると髪が揺れ、「ごめんなさい、電話がかかってきたの」と月子が謝る。
「電話?」
「うん。錫也と哉太から、お誕生日おめでとうって」
錫也と哉太は彼女の幼馴染で羊の友達でもあり、彼女を大切に思っている存在。
留学してもなお、彼女を気遣う彼らに懐かしさと先を越された悔しさを感じながら、羊は月子の手を取った。
「Bon anniversaire 月子。錫也と哉太に先を越されちゃったのが悔しいな」
「ありがとう、羊くん」
心を込めて祝福を伝えると、月子の顔に笑みが広がって、彼女の嬉しそうな様子に羊も嬉しくなる。
「今日は父さんも母さんも早く帰ってくるって。だから昼間は僕にエスコートさせて?」
「ありがとう。羊くんのお父さんお母さんにもお礼を言わなきゃ」
「月子は家族の一員なんだ。家族の誕生日をお祝いするのは当たり前だよ」
結婚を視野に入れて羊が交際していることは両親も知っており、また月子の留学に際して彼女の両親にも話はしてあった。
「まずは朝ご飯を食べよう? お腹ペコペコだよ」
口にするや、ぐう~となったお腹に月子が笑う。
朝食後、仕事の両親を見送り、出かける支度をするために自室へ戻った羊は、チャイムの音に玄関先に向かった。
届けられた月子宛の手紙と荷物を受け取ると、ちょうど準備を終えた彼女がリビングへやってきた。
「月子。君に届け物だよ」
「私に?」
受け取った月子は、差出人を見て嬉しそうに顔をほころばせた。
「誰からの手紙? 何か嬉しそうだね」
「翼くんと颯斗くんからだよ」
彼女の口にした名前は、星月学園の元生徒会のメンバー。
大切そうに封を開ける彼女を見守っていると、小さな喜びの声が彼女の口から洩れた。
「羊くん、見て。すごく綺麗」
「本当だ」
お祝いのメッセージが書かれたバースデーカードは綺麗な星空が描かれており、月子は大切そうにメッセージを追う。
もう1つの荷物は、弓道部の先輩だった金久保かららしく、日本茶が入っていた。
「金久保先輩の点ててくれたお茶が飲みたくなっちゃうな」
「日本茶は僕は苦手だな。苦くて、チョコレートと食べても苦みが消えないだもん」
「ふふ、羊くんは甘いものが好きだものね」
「錫也のおにぎりが食べたいな」
日本食を思い出したら食べたくなった友達の手料理に再び鳴るお腹。
始めは変わり種としてチョコレートをいれたらしかったが、すっかり羊が気に入ってしまい、以降チョコレートおにぎりは羊の好物の1つになっていた。
「みんな元気かな……」
届けられた想いに、懐かしい人たちを思い出す月子。
そんな彼女に、羊は寂しさを感じ抱きしめた。
「羊くん?」
「他の男からもらったプレゼントに幸せそうな君を見てたら、何か寂しくなった。……すごい嬉しそうだったから、何か悔しくて」
本当は誰よりも早く彼女の誕生日を祝いたくて、日が変わった瞬間にお祝いをすることも考えたが、留学してまだ日が浅い彼女を遅くまで起こしているのも申し訳なくて、朝一番でと思っていたのがすっかり出遅れてしまったのだ。
「誰よりも早く、君の誕生日をお祝いしたかった」
寂しさと悔しさの混じった本音を告げれば、ごめんなさいと謝られて。けれども嬉しそうなその表情に、羊は不思議そうに彼女を見た。
「なんでにやにやしてるの?」
「嬉しいの。羊くんがヤキモチやいてくれてるから」
「僕がヤキモチやいてるのが嬉しいの?」
うんと頷かれて、不貞腐れていた気持ちが消えていく。
「だって羊くん、前にヤキモチはやかないって言ってたでしょ?」
「だって君に好かれてる自信はあるし、他の男に取られない自信もあるからね」
だけど、と腕の中の彼女を抱き寄せて、その首元に顔を埋めて胸の内を告げる。
「その目に映る男は僕だけじゃないから。一緒にいる時ぐらいは僕に君を独占させてほしい」
ヤキモチをやいてないと言ったけど、この胸の思いはヤキモチなんだろう。
だけどヤキモチをやいているというのはカッコ悪くて彼女に言えるはずもなく、想いはお願いという形で伝える。
「今日を羊くんと過ごせるのがすごく嬉しい。ありがとう、羊くん」
そんな羊の想いをくみ取って、それ以上の想いを返してくれる月子に愛しさが溢れて、ああ、やっぱり彼女が好きだと強く思う。
「僕も、君の誕生日を君の隣でお祝い出来て嬉しい。だから、これからの時間は僕と君だけで過ごさせて?」
溢れる想いをそのままに伝えれば、嬉しそうな微笑みが返されて。
羊はその手を取ると、彼女をエスコートするべく外へ歩き出した。