more sweet

ケント1

「………………」
「………………」

いつものようにケントさんの家に来た私は、どことなく漂う緊張感に戸惑っていた。
かつての私たちにはよく見られたものだけれど、互いの真意を汲み取れずに誤解を積み重ねていたあの頃と今は違うはず。
では、ケントさんはどうして怒っているのだろう?
今日、家を訪れてからの自分の行動を思い返してみるが、思い当たる節はなくつい途方に暮れてしまった。

「……君は私に用事があって今日きたわけではないのだな?」
「え? あ……は、い……」
突然の問いに曖昧な返事を返すと深いため息が吐き出され、再び沈黙が支配する。

(ケントさん、どうしてそんなことを聞くんだろう? もしかして今日は研究が忙しかった?)

バイトが休みの日は、研究に励むケントさんの傍らで本を読んで過ごすのが私の日課。
それをケントさんも望んでくれていたから、だからいつものように来たのだけれど、もしかしたら今日は重要な研究の最中だったのかもしれない。
そのことに気づきもせずに過ごしていたことが申し訳なくて、私は慌てて本を閉じると立ち上がった。

「すみません、今日は大切な研究をしていたんですね。気づかず邪魔をしてしまってすみませんでした。すぐ帰ります」

「……っ待ちたまえ! 私はそんなことは一言も言ってはいない」

少し慌てたように引き留めるケントさんに、帰り支度を始めていた私は手を止め、彼を見上げた。 私の視線に、ケントさんは目尻を朱に染め言葉を紡ぐ。

「……すまない。言葉が足らず、君にいらぬ気遣いをさせてしまった。謝罪しよう」
「そんな……」
ふるりと首を振ると、ケントさんは軽く咳払いをしながら、言いにくそうに言葉を続けた。

「……その、今日2月14日は女性が男性にチョコを贈る習慣があるのだろう。もちろんそれはこの国だけの習慣で、海外では男性から親しい女性に贈るというのが通例だな。
だが私たちが生まれ、今いる場所が日本である以上、この国の習慣に沿うのが一番だと思うのだが…… ああ、私は別に君からチョコを贈られないことに拗ねているわけではなく、ただ世間一般では想いを交わし合った恋人たちが楽しみにしているイベントだと聞いてだな……」
「ケントさん」
「……なんだ?」

いつものように早口でまくしたてるケントさんの言葉を遮って。
カバンの中に大切にしまっていた箱を取り出す。

「いつ渡そうかタイミングに悩んでました。……受け取ってもらえますか?」
「そ、そうか……すまない」
両手を添えてチョコを差し出すと、頬を染めたケントさんが微笑みながら大事そうに受け取ってくれた。

「……すまない。もしかしたら君にとって私はチョコを贈りたいと思うような相手でないのではと、そのような焦燥に駆られ、結果君を戸惑わせる態度をとってしまった。本当に君には情けない姿ばかり晒しているな……」

「私がチョコを贈るのも、贈りたいと思うのもケントさんだけです。だから受け取ってもらえて嬉しかったです」

「私も君からチョコを貰えて嬉しい。……今までバレンタインなど気にしたこともないというのにな」

「え?」

驚き彼を見上げると、どうして驚くのだと逆に驚かれてしまった。

「だってケントさん、かっこいいから……だからチョコもいっぱいもらっていたと思ったんです」

「君からそのような評価をされていたことは非常に喜ばしいが、残念ながら事実は君の想像とは異なる。
そもそも私は他の者にとって近寄りがたい存在であり、言葉を交わすことで相手を不快にさせるところも多々あるらしい。
そんな人間にチョコを渡そうなどと奇特な女性はいないだろう」

「そう、でしょうか?」

確かに私も出逢った当初は口論ばかりを交わしていたし、上から見下ろすような発言に頭にくることも多かったが、それでも彼が見目麗しく、過去に交際していた女性がいたことも聞いている。
もてない、というのはきっとケントさんの勘違いだろう。それでも。

「だったらケントさんにチョコを贈った女の人は私が初めて、ですね」
「!」

その事実が嬉しくてつい微笑むと、息を飲む気配がして。
気づくとケントさんの腕の中に抱き寄せられていた。

「ケントさん?」

「……君はどうしてそう、私を煽るのが上手いのだ。ああ、もちろん君がわかっていてやっているのではないということは重々承知している。だがそれでも私は……」

言い淀むのと同時に唇にぬくもりが触れて……ああ、キスをされたんだと理解が追いついた瞬間、頬が熱をはらんだ。

「あまりそう可愛いことを言わないでくれ。君にキスをしたい衝動を止められなくなる……」
「止めなくていい、です」

だってケントさんにキスをされるのは嫌じゃない……むしろ嬉しいから。
そんな思いを込めて呟くと、一瞬固まった後もう一度優しいキスが降り落ちた。
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