これも愛ゆえ

春芽2

春草と初めて身体を重ね合わせた翌日。日をまたいでからも結構な時間求められ続けた結果、芽衣は朝布団から起き上がることが出来なくなった。全身にまとわりつく気だるさと力の入らない腰では、身を起こすのも難しかったのだ。
そんな芽衣に春草は申し訳なさそうに目を伏せ謝り、そのまま看病を申し出てくれたが彼には学校があり、芽衣は一日大人しく寝ているからと、何とか学校へ送り出したのだったが。

「うう……夜のってこんなに大変なんだ……」

よもや起き上がれないなんてことがあるとは思わず、思い通りにならない身体に横になっているしかない。同じ時間を共有したはずなのに春草が何ともないのが不思議で仕方なかったが、そこは男女の体力の差なのだろうと結論づけると天井を見上げた。
昨日までとは違う部屋。それが本当に春草と二人きりで暮らすんだと、新しい環境を実感させて照れくささと喜びが交互に浮かぶ。
帰ることより春草の側にいることを選んだ時に、こうした未来に繋がることは決まっていたのだろう。ずっと鴎外の屋敷に世話になり続けるわけにはいかないのだから、遠からず選ぶ選択だった。
それでも、あとわずかでアメリカに行くことが決まっていたので、まさかこんなに早くに二人での生活を始めるとは思っていなくて、フミに家事を教わっておいて本当に良かったとしみじみ思う。
この明治の世に来た頃はかまども使えず、掃除と買い物ぐらいしか手伝うことが出来なかった。なぜなら平成の世とは違って、まずは炭を起こすことから始めなければならず、そのやり方もわからなかったからだ。
けれども今ではお米を一人で炊けるまでになったし、料理だってフミのように手際よくはできないがそれなりに作ることは出来る。

「あ! そういえば食材が何もないって言ってたよね」

昨夜の春草の言葉を思い出して身を起こそうとするもそれは叶わず、どうしたものかと困り出す。昨夜は饅頭で飢えを凌いだが、朝も昼も抜きではほぼ一日絶食していることになる。その事実にお腹が高らかに抗議を鳴らし始めると、ガタガタと玄関の開く音が聞こえてきた。

(春草さん? もしかして何か忘れ物をしたのかな?)

昨日は引っ越しで慌ただしかったはずだし、夜遅くまで睦み合っていたのだ。そういえば春草は昨夜も今朝も何も食べていなかったと考えていると、廊下を歩く音がして、襖越しに聞き慣れた声が聞こえてきた。

「芽衣さん? 起きてますか?」
「フミさん? は、はい。起きてます!」

どうしてフミが?と疑問が浮かぶが、まずは起き上がらなければと腰に力を入れるが入らず、そうしている間にゆっくりと襖が開いてフミが顔を出す。

「ああ、無理して起きなくて大丈夫ですよ。春草さんからお話は聞きました。引っ越して早々体調を崩されたんですってね。朝御飯を持ってきたので、少し台所をお借りしますね」

そう言って微笑むと、フミは台所へと姿を消す。鍋などを探す音や水を扱う音などが聞こえてしばらくしてから、芽衣の元へとお盆を抱えて戻ってきた。
自力で身を起こすことも難しくフミの手を借りると、温かなご飯とおかずたちに涙腺が緩む。

「買い出しを忘れて昨夜も食べていなかったそうですね。さぞかしお腹が空いたことでしょう? さあ、どうぞ」

掛け布団を避けて膝上に布巾を敷き、その上にのせてくれたお盆から箸を取ると、フミに礼を言ってご飯を掻き込む。半日ぶりのご飯は幸せすぎて、昨夜の疲れなどあっという間に消し飛んでしまった。
そんな芽衣にフミは微笑むと、お昼と夜の分も作っていきますねと、空になったお盆を抱えて再び台所へと消えていった。ようやくお腹が満たされたことで身体の怠さはなくなり、腰もまだ重くはあるが力を込めることはできるようになったので手伝いを申し出るが、大丈夫ですから今日は一日養生していてくださいと諭され、大人しく布団の住人に戻った。
料理を終えたフミに改めて礼を伝えると、今度春草と遊びにくるように言われて大きく頷き、その姿を見送った。突然の引っ越しだったので、鴎外やフミに今まで世話になったことの礼も何も出来ていなかった。

「春草さんはちゃんとご飯食べたかな……」

学校前に鴎外の屋敷に寄っていたのなら、きっと朝は食べれなかっただろう。せめて芽衣がこんな状態でなければと悔やむが後の祭り。明日からはちゃんとしようと、とりあえずフミが持参してくれた食材で明朝は用意して、日中買い出しをしようと決意して、再び一人きりになった家の静けさに眠りに誘われる。

(こんなに寝てばかりでいいのかなぁ……)

食って寝てでは牛になる。牛は好きだが自身がなりたいわけではないし……などと、とりとめないことをうつらうつらしながら考えていると、いつの間にか西日が差し込む時間になっていた。暗くなった室内に起き上がって居間の灯りをつけると玄関を見る。

「春草さん、そろそろ帰ってくるかな?」

だったらご飯を炊いた方がいいかと立ち上がりかけた瞬間、錠を開ける音がして、学生帽をかぶった春草が帰って来た。

「君……っ、なんで起きてるの!?」
「お帰りなさい、春草さん。今、ご飯を炊きますね」
「そんなことはいいから寝ていなよ」
「あの、もう大丈夫ですよ?」

芽衣の姿を見るなり駆け寄ってきた春草はひどく心配していて、その様子に恥ずかしくなる。

「今日一日横になっていたら大丈夫になりました。それにフミさんが来てくれましたから、ご飯も食べれましたし。ありがとうございます、春草さん」
「それは、元々は俺のせいだから。……本当に大丈夫なの?」
「はい。春草さん、お腹空いてるんじゃないですか? フミさんが夕飯も作っていってくれたんです。そういえば昼御飯はちゃんと食べましたか?」
「食べたよ。学校の側に蕎麦屋があるんだ」
「蕎麦屋? いいなぁ……」
「今度君も連れていってあげる。安くて美味しいからよく行くんだ」
「楽しみです!」

ウキウキと蕎麦屋に胸踊らせていると、ようやく安心したのか、春草が表情を綻ばせる。

「火を起こすのは俺がやるから、君は米をお願い出来る?」
「分かりました」

頷き立ち上がると台所へ歩き出して、ふともつれた足に春草が腕を支える。

「……本当に大丈夫なの?」
「だ、大丈夫です。ちょっとよろけちゃっただけなので」
「……ごめん。今度から加減するから」
「…………っ、」

春草の申し訳なさそうに呟かれた言葉に、瞬時に昨夜のことが思い出されて顔が赤らむ。そんな芽衣に目を見開くと、フッと目が細められる。

(あ……この顔、春草さんが意地悪するときの顔だ)

そう思うと同時に耳元に顔が寄せられて、とろりと甘く囁かれる。

「……昨夜のこと、思い出した?」
「…………っ」
「そんなに可愛い顔を見せると我慢がきかなくなるんだけど」
「む、無理ですよ今日は! 明日絶対買い出しに行かなきゃダメですし、本当に無理ですから!」

慌てて拒否するとくすくすと笑われて、冗談だよと離れていく。それにホッとするもやはり春草は春草で。

「なら明日ならいいの?今日がダメ、なんだよね?」
「……春草さん、私に意地悪するの好きですよね?」
「うん。君限定で好きだってわかった」
「うう……」

それは喜ぶべきなのか、いや怒るべきか?
密かに悩んでいると、台所へ行くよと手を引かれ。

「明日は牛肉買ってきていいよ」
「え? 本当ですか!?」
「うん。君には滋養がつくものを食べてもらわないと俺が困るし」
「…………」

返された言葉に含まれる意味に素直に喜べなくて、顔を赤らめ眉を下げながら、本当に加減する気はあるんですかと内心で叫んだ。

20190408
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