手紙

春芽10

春草さんが探してくれたこの家で、二人だけの暮らしが始まって。今までフミさんと一緒にやっていた家事を一人でこなさなければならなくて、覚えたばかりの竈に火を起こす作業さえももたついて、毎日四苦八苦することばかりだったけどやっぱり幸せで、何より春草さんが嬉しそうに笑ってくれるのが嬉しくて、今日も学校に行く彼を見送った後、一人家事に励んでいた。
自分の分は荷ほどきが終わっていたけど、展覧会を控えた春草さんは毎日遅くまで作業をしていて帰りも遅く、まだ必要最低限しか荷ほどきが出来ていなかった。
絵の道具は高価なものもあるので勝手に触ることはできないけれど、着物などは風を通した方がいいだろうと、当たり障りのない荷物を開けて荷分けしていると、折り畳まれた紙に気がついた。

「なんだろう、これ。……手紙?」

何気なく手に取り広げるとそれは手紙のようで、綺麗な文字をつい目で追ってしまうと、この手紙が自分に宛てられたものだと気がついた。
書かれたのは春草さんに想いを告げられる前のようで、出逢った頃の彼の自分に対する思いの部分には心当たりがあって苦笑がこぼれる。

「やっぱり春草さん、イライラしてたんだ」

騒々しくて厄介な奴、の部分にすみませんと今更ながらに謝りながら読み進めると、理不尽だと綴られた箇所をそっと指でなぞる。

「春草さんばっかりじゃなかったんですよ」

いつの間にかその存在が大きくなって、気づけば帰りたいと思うよりも、彼を好きになってはいけないと、必死に自分に言い聞かせていた。
その時点でもう、私の心の中には春草さんが住み着いていたのだと、今ならわかっているから、彼が同じように感じていてくれたことが嬉しくて愛しさが溢れてくる。
月を見上げて揺れていたことにも気づかれていたんだと、今更ながらに知って、あの頃のことを思い出した。

タイムスリップしたのだと、突然胡散臭い奇術師に言われて信じられるはずもなく、けれども大半の記憶を失った状態でもこの世界が元の世界とは異なることはわかってしまったから、再会したチャーリーさんに一ヶ月後に帰れると聞いてからは、それまでの辛抱だと自分を奮い立たせていた。けれども服や字の読み方だけでなく、常識も何もかもが違うこの世界はやっぱり不安で、あとどれぐらいでチャーリーさんとの約束の日になるのか、いつも月を見上げて気にしていた。
その思いがいつしか変わって、まだ満ちないでと願いさえした。それは彼を――春草さんを好きになってしまったからだった。

「――ただいま。こんなところにいたんだ」
「っ! 春草さん?」
「何をそんなに夢中で見てたの?」

手元を覗きこまれて咄嗟に後ろに隠すと、春草さんの眉が歪められて、途端に不機嫌になってしまう。

「なに? 俺には見せられないものなの?」
「見せられないというか、春草さんのものなので……あ」
「俺のもの?」

うっかり口が滑ったのを見逃してはくれなくて、身を乗り出して私の後ろから手紙を抜き取ると、それを見てじとりと目が細められる。

「これ、俺の手紙だよね。どうして君が持ってるの?」
「ご、ごめんなさい。片付けをしていて偶然見つけて……」
「それで? 勝手に読んだんだ?」
「……すみません」

言い訳さえ出来ない状況に素直に頭を下げると軽くため息をこぼして、「いいよ、君に宛てたものだし」と小さな呟きに顔を上げる。

「結局渡す機会がなくて、しまったままだったんだ。俺も今まで存在を忘れていたし」
「あの、この手紙、もらってもいいですか?」
「いいけど……自分で言うのもなんだけど、ただ思いつきを書き連ねただけだから、文脈もなにもあったもんじゃないだろ?」
「そんなことないです。春草さんが書いてくださったラブレター……恋文ですから」

だから嬉しいですと微笑むと、春草さんは顔をそらして、その耳が赤く染まっていることに気がついた。

「春草さん、もしかして照れてますか?」
「照れてない。――やっぱりそれ、返して」
「え? 嫌ですよ!」

間髪入れずに返ってきた言葉と奪い取ろうと手を伸ばす彼に、慌てて手紙を後ろに隠すと、知らず近くなっていた距離に顔が一気に熱を持つ。
そんな私に気づくと、春草さんの薄い唇がつり上がって、「あ、これは意地悪するときの顔だ」と思うも押し倒されそうな今の体勢では逃げることも叶わず、結局散々やり返されている間にあっという間に時間が過ぎて夕飯を作り損ねてしまい、私は一晩中空腹に鳴り止まぬお腹に眠れぬ夜を過ごしたのだった。

20190603
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