着替えを済ませた私は、一人椅子に座りながら落ち着かない思いを持て余していた。
(うう、本当に似合ってるのかな……)
置屋にいた頃、音二郎さんに習って化粧もしていたが、そもそも花街の化粧とウェディングの化粧が同じであるはずもなく、現代でも高校生だったので化粧などしたことがなかったため不安で仕方なかった。
(この時代にウェディングドレスなんて珍しいとは思っていたけど、まさかまだ一人しか着たことがなかったなんて!)
文明開化が謳われているといってもまだまだ洋服は珍しく高価なもので、けれども私にとっては慣れ親しんだものである洋装を花嫁衣装として桃介さんは選んでくれた。
けれども和装と違って呉服屋で仕立てるのではなく取り寄せると知った時には激しく拒否した。
どうも桃介さんは私に対しての金遣いが荒く、あっさり高価なものを与えることが多く、庶民の私は如何に彼にお金を使わせないか苦心してばかりだった。
しかしこの件に関しては全く折れてくれず、私が選ばないのであれば複数取り寄せると言い始めたため、結果として折れざる得なかったのである。
(そこまでしてもらって衣装負けしてたら申し訳なさすぎる……)
着付けてくれた洋品店の人は綺麗だと誉めてくれたが、それは上客へのかなりのリップサービスが含まれているはずで鵜呑みに出来るわけもない。
(でも、なんか嬉しいな……)
まさか明治の世でウェディングドレスを着れるなど思ってもいなかったので、ベール越しに鏡に写った自分の姿が照れ臭くも嬉しい。
私にももちろん、人並みにウェディングドレスへの憧れはあった。
「失礼します。支度が済んだと聞いたの……で……」
軽いノックに続いて扉の開いた音に振り返ると、桃介さんが入り口で固まっている姿が目に入った。
「桃介さん?」
彼の珍しい反応にどうしたのかと小首を傾げて、ハッとある可能性に気づく。
(やっぱり似合ってなかった?)
「あ、あの、ごめんなさい。やっぱり衣装負けしてますよね」
しょんぼり肩を落とすと、平静を取り戻した桃介さんが歩みより、違いますよと手を取る。
「あなたがあまりにも綺麗で言葉を失ってました。本当に綺麗です。こんなに綺麗なあなたは私だけのものにしたい。他の方々へ見せたくなくなりました」
「そ、それは困ります」
「ええ。ですが、これが偽らざる私の本音です」
まっすぐ見つめて微笑む桃介さんはいつも以上に甘くて、私は頬を赤らめると視線を手に落とす。
白い手袋の上に飾られた薬指に光るリングは、ドレスと共に桃介さんが用意してくれたもので、マリッジリングは西洋の習慣で今の明治では馴染みがないので、贈られた時には感動したものだった。
「これはいい習慣ですね。堂々とあなたは私のものだと示せるのですから」
「私も、嬉しいです」
ウェディングドレスもマリッジリングも女の子の憧れで、よもやどちらも叶えられるとは思わなかったし、何よりこの甘い束縛は私を幸せにしてくれた。
「さあ、行きましょう。音二郎くんが首を長くして待っているでしょう」
「はい」
差し出された手を取って、白のタキシードを着た彼の隣に並ぶ。
一度は離れてしまった温もりを再び得られた奇跡。
まるでマジックのようにこの明治の世界にやって来て、運命の出逢いを経て今日、桃介さんと新しい道を歩みだす。
見上げた空には真昼の欠けた月が浮かんでいて、見ていると何故だか胸が騒いだ。
(月……あの月を眺めて帰る日を数えていたことがあったよね)
どうしてこの明治の世界に来たのかも、それから一度現代に戻れたのかもわからないけれど、そういえば桃介さんと一度別れた日も再会した日も、赤い満月の夜だったと思い返す。
「芽衣さん? どうかしましたか?」
「……いえ、何でもないんです。ただ月を見てると胸が騒ぐ気がして……」
自分でも朧気な感覚を伝えると、きゅっと彼の掌にのせた指先を握られて、見上げた桃介さんの瞳が不安定に揺れているのに気づいて足を止める。
「桃介さん?」
「あなたをもう月へ帰すことは出来ません。たとえかぐや姫のように月から使者がやって来ても、私はあなたを渡しません」
それは一度、彼の手を払って現代に戻ってしまった私への不安で、そんな顔をさせたかった訳じゃなくてそっと頬に手を伸ばす。
「私が行くのは桃介さんの側だけです。他のどこにも行きません」
そう、それは私が望んだこと。取り戻した記憶より、家族より、彼の側にいたいと願ったから。
誓いをたてるようにその頬に口づけると、移った紅に慌てて懐紙を手に取るが、その手を取られて。
「紅はこの後もう一度直してもらえますか? あなたに触れることを我慢できそうにないので」
そんな呟きと共に重なった温もりに、その背に腕を伸ばすと「愛してます」と囁いた。
20190308