幸せな歌を聴かせて

土千16

桜が、舞う。
はらり、はらり。

「歳三さん?」

風に揺られて、舞う桜。
その向こうで微笑むひとの姿が隠れて。
見えなくなったその姿に、どうしようもなく不安になって駆けていくのに、それを邪魔するように次から次へと桜が舞い落ちて。

「いや……っ…………!!!」
届かぬ手に、千鶴は声にならない悲鳴を上げた。

 * *

「………………っ!」
ハッと目を開けると、辺りに広がるのは暗闇。
夢の残滓にとらわれて一瞬現状に戸惑うが、徐々に意識が覚醒する。

「……夢………」

脳裏に浮かぶ薄紅の世界に、ぎゅっと掛布を握る。
今は秋。桜など咲いてはいない。
だからあれは夢なのだと、自分に強く言い聞かせて、宥めるように早鐘を打つ胸に手を添えた。
千鶴の見た夢……それは心の奥底にある不安が見せたもの。
けれどもそんな日は永遠に来なければいいと、そう願い必死に目を背けてきた。

「……千鶴? 起きてるのか?」
呼びかけにハッと顔をあげると、襖が開き土方が顔を出す。

「歳三さん……」
「体調はどうだ?」

喉に感じた違和感をつい放置していたら風邪をひいてしまい、土方に移さないようにとここ数日寝室を別にしていたのである。

「熱はねえみたいだな……」
「咳だけですから大丈夫です」

かすれ、乾いた喉は夢のせい。
風邪の咳もほぼ出なくなった。
額に手を置く土方に微笑むと、そのぬくもりに安堵する。

「水を持ってくるからちょっと待ってろ」
「それでしたら私が行きます」
「病人はおとなしく寝てろ」

乱暴な物言いと逆の優しげな瞳に、千鶴は小さく頷きおとなしく従う。
程なくして戻ってきた土方から湯呑を受け取り口をつけると、悪夢にひきつった喉を、冷たい水が心地よく潤した。

「ありがとうございます」
「何か悪い夢でも見たのか」
「え?」
「顔が強張ってる」
「…………っ」
指摘に息をのみ込むと、大きな掌が肩を引き寄せた。

「俺はここにいる」
優しく紡がれた言葉。
それは千鶴の胸に巣食う不安を見抜いてのものだった。

「はい。歳三さんはここにいます」
頬に触れる広い胸。
身を包む強く暖かなぬくもり。
それは今、確かに彼がそばにいるのだと知らしめるもの。

「じゃあ寝るぞ。夜明けまでまだあるからな」

「はい……って歳三さん? どうして私の布団をめくってるんですか?」

「一緒に寝るからに決まってるだろうが」

「一緒にって……だめです! 歳三さんに風邪が移ってしまいます! ……きゃあ!」

慌てて土方を起こそうとするも、逆に手を掴まれ引き寄せられ、その腕の中へと転げ落ちた。

「お前の風邪にやられるほどやわじゃねえんだよ」

「過信は禁物です。風邪だってこじらせると大きな病を引き起こすんですよ」

「だったら四の五の言ってねえで大人しく寝やがれ」

「だから……っ」

まったく緩まぬ腕にため息をつくと、千鶴は抵抗を諦めた。

「お前がそばに居ねえと落ち着かないんだよ」
「ふふ。歳三さん、子供みたいです」
「あ? こんなでけえなりした子供がいるか」

歪んだ眉に微笑んで、そっとその胸に寄り添う。
とくん、とくん。
規則正しく刻まれる鼓動。
その命の響きに、ゆっくりと眠りに誘われる。

「千鶴……?」
「歳三さん………ずっ……と……」

途切れた言葉に続く寝息に、土方は優しく髪を梳く。
千鶴に言った言葉は冗談ではない。
ここ数日間床を別にした違和感に唖然とした。
千鶴のぬくもりが隣りにあることは、土方にとって当たり前になっていたのである。

「てめえこそ子供じゃねえか。まったく、安心して寝てやがる」
強張っていた頬は緩み、穏やかに眠る千鶴の髪を梳くと、その額に唇を落とす。

「……ぬくもりを求めてるのはお前だけじゃねえんだよ」

巣食う不安に震えるのなら抱きしめたい。
悪夢に怯えたのなら拭い去りたい。
微笑み、そのぬくもりを伝えて。

「目が覚めたら今日の分まで相手してもらわねえとな」

風邪を移すからと、必要最低限の接触しか許されなかった数日に募った不満を口にすると、指に髪を絡めて弄ぶ。
さらさら、と上質の絹糸のように滑らかで美しい黒髪が、指の間をすり抜け布団にこぼれ落ちる。
初めて会った時、千鶴は男装をしていたが女であることはすぐにわかった。
それでも、その年にしては幼い身体つき故に、かろうじて男だけの新選組に置くことができたのだが。

「今じゃ無理だな」
女性特有の丸みを帯びた身体。
何より、その柔らかな表情は女でしかなかった。

「もう少し肉を食わせねえとな」

千鶴のコンプレックスであるやや小ぶりな胸に目を落とし苦笑すると、久方ぶりのぬくもりを抱き寄せ目をつむる。
翌日から、あれやこれやと栄養価の高いものばかり食べさせられて、目を丸くする千鶴の姿が見られた。
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