「お姉ちゃん、何してるの?」
「祟くん」
一人キッチンで悩んでいたゆきは、そうだと手にしたものを差し出した。
「チョコ?」
「うん。祟くん、味見してくれる?」
「ん~……チョコにしては甘味が足りないかな」
素直な感想を口にして、手にしたチョコの意味に気づき頬を膨らませる。
「……これ、もしかして瞬兄にあげるチョコ?」
「うん。これでもまだ甘いかな?」
「ちぇ~。なんだ、僕にじゃないんだ」
二人が想い通わせ合ったことは知っていたが正直面白くなく、祟は拗ねたように頭の後ろで手を組んだ。
「もちろん祟くんのもあるよ。はい」
「わぁい♪」
別の箱に取り分けられたチョコに機嫌を直すと、嬉しそうにつまむ。
「うん、僕はやっぱり甘い方が好きだな」
「やっぱり別の物の方がいいかな……」
甘いものが苦手な瞬のために、できるだけ甘くないチョコをと模索していたが、ゆき自身甘いものが好きなためにどうしてもビターすぎるものは美味しく感じられず困っていた。
「お姉ちゃんがあげれば、どんなのだって瞬兄なら喜ぶと思うけど?」
「うん……でも、本当に喜んでもらえる方がいいから」
瞬ならたとえ美味しくなくてもありがとうともらってくれるだろうけれど、それはゆきが嫌で。
「いっそ和菓子にしちゃえば?」
「和菓子?」
「そ。この前、ハート形のどら焼きが人気だってテレビで言ってたよ」
「そんなのもあるんだ。ありがとう、祟くん」
お礼を言いながら再びゆきは考え込んでしまう。
ゆきがチョコを作っていた理由……それは間近に迫ったバレンタイン。
外国暮らしが長かったゆきは、日本ではバレンタインに女性が男性にチョコを贈るのだと初めて知った。
留学先ではゆきは貰う側で、いつも沢山花を貰って帰ってくると瞬は顔をしかめていた。
「別にチョコじゃなくてもいいんじゃない? チョコを贈るなんてお菓子メーカーが自分の製品売るためにこじつけただけなんだしさ」
祟の言う通り、バレンタインはチョコを贈らなければいけないという決まりはない。
けれど菓子類以外だと誕生日に贈るものと変わらない気がして、ゆきはどうしても甘い菓子にこだわっていた。
「チョコじゃなくてもおかしくないかな?」
「全然。嫌いなものをあげるより、よっぽどいいと思うけど?」
「うん……そうだね。ありがとう、祟くん。相談に乗ってくれて」
「どういたしまして。僕、アーモンドが入ってるのがいいな。バレンタイン当日のはそうしてね」
「うん、わかった」
箱の中のを全て食べた祟は、ちゃっかり要望を伝え去っていく。
「なんとか瞬兄が食べられるお菓子を作れないかな」
お煎餅はなんだか色気がない気がして、けれど他に甘くない物も浮かばずにゆきは困ったように小さく息を吐いた。
「ゆき? 何をしてるんですか?」
「あ……おかえりなさい。瞬兄」
「これはどうしたんですか?」
「うん……」
瞬にあげるためのチョコを作っていたとは言えず曖昧に濁す……が。
「バレンタインのチョコですか?」
すんなり当てられてしまい、素直に頷く。
「瞬兄、チョコはあまり好きじゃないよね?」
「俺はあなたがくれるのならば……」
「それじゃダメ」
予想通りの答えを口にする瞬に首を振ると、八の字に眉を下げる。
「チョコなど日本の菓子メーカーがこじつけただけです。あなたは外国暮らしが長かったのですから、別にバレンタインなど気にしなくても……」
「ふふ、祟くんと同じこと言ってる。兄弟だね」
微笑むと、瞬が複雑な表情を浮かべた。
「バレンタインは女の子が大好きな人に想いを伝える日だもの。私も瞬兄に贈りたい」
「ゆき……」
素直な想いを言葉にすると、口元を手で覆って俯く瞬。
「瞬兄?」
「それなら……一番甘いものを俺に下さい」
「一番甘いもの? でも瞬兄、甘いもの苦手じゃ……」
「菓子ではありません」
瞬の言いたいことがわからず首を傾げると、目尻を朱に染めた瞬がそっと耳元で囁く。
「俺にとって一番甘いものは……あなたです、ゆき」
「私?」
「はい」
瞬の言葉に瞳を瞬くと、再び考え込んでしまう。
「甘いものが私で、だったら瞬兄が欲しいのは……私?」
「…………はい」
瞬や都ががっちりガードしていたためか、年より幼いゆきは瞬の言った意味が理解できなかった。
けれどさすがに説明するのは気恥ずかしく、瞬もそれ以上言葉にはしなかった。
* *
そうして迎えたバレンタイン当日。
瞬はゆきに連れられ、とある教会にいた。
「ゆき? ここで何を……」
「ちょっと待っててね」
手にしていたバッグをあさると、中から薄いレースの布を取りだす。
「それはまさか……」
「似合うかな?」
レースをかぶり、照れくさそうに微笑むゆき。
それは花嫁を模したものだった。
「健やかな時も病める時もあなたを愛し、助け、生涯変わらず愛し続ける事を誓います。……大好き」
ゆきが誓いの言葉を言い終えた瞬間、抱き寄せていた。
「瞬兄?」
「本当に俺でいいのですか?」
「瞬兄がいいの」
きっぱりと言い切るゆきに、震える腕できつく抱き寄せその髪に顔を埋める。
始めから諦めていた未来。
消えるはずの存在だった自分を救い、あまつさえ共に歩く権利を与えてくれる、誰よりも貴く……愛しい神子。
「俺はまだあなたを娶るだけの力を得ていません。ですが、あなたを乞い求める気持ちは変わらない。だから今ここで誓います。永久にあなたを愛する――と」
今捧げられる全てを差し出して、あたたかな唇に幸せの約束を誓った。
「そういえばゆきは何をあげたんだ?」
二人の邪魔をしないように前日にゆきにチョコを贈っていた都が問うと、ゆきは頬をほんのりと染めて微笑んだ。
「私」
「…………は?」
「私がいいって瞬兄が言うから……私を贈ったの」
思いがけない返答に絶句していた都は、ふるふると身を震わすと音をたてて立ち上がった。
「都?」
「……瞬はどこだ?」
「瞬兄なら朝から出かけてるよ」
「くそ……っ!」
忌々しげに舌打つ都に、ゆきはわけがわからず首を傾げる。
「あいつ……私の天使を……っ!」
アンドロイドだの言われるぐらい、冷たく当たってたくせに……!
ブツブツ、ブツブツ。
延々と続く恋敵への恨みごとに、ゆきはただ目をパチパチと瞬く。
「都、どうして怒ってるの?」
「当たり前だろ? あいつが私の天使を……っ」
その先を言葉にするのは自分のダメージが大きくて、ギリギリと歯ぎしりする。
「瞬兄は何もしてないよ」
「ああ。言葉巧みに純粋なお前を頷かせたんだろ?」
「そうじゃなくて……私が瞬兄とちゃんと約束したかったの」
「約束?」
何やら食い違いを感じて見つめると、ふわりとゆきが微笑む。
「瞬兄は自分の未来がないって、ずっとそう思ってたから。だから、この先もずっと一緒だよって、そう伝えたかったの」
「そうして感極まったあいつが手を出したわけか……」
「手?」
「……痛くなかったか?」
問う都の方が辛そうな顔をしていて、ゆきは不思議そうに小首を傾げた。
「痛い? どうして?」
「どうして……って。……ちょっと待て。もしかして違うのか?」
「何が違うの?」
「――なあ、ゆき。バレンタインの日、瞬と何したんだ?」
「教会に行って……二人だけの結婚式をしたの」
「結婚式!?」
「瞬兄にバレンタインは何がいい? って聞いたら私だって。だからどうやったら私を贈ることになるのか考えたの」
「それで『結婚式』か」
ゆきの話にようやく事の顛末を理解した都はほっと肩を撫でおろすと、にやりと笑った。
「でもそれって、瞬が欲しがったものと違うんじゃないか?」
「え?」
「あいつはバレンタインに一番甘いものをくれって言ったんだろ?」
「うん。一番甘いものは私だって」
それはとても遠巻きな艶めいた誘いなのだろうが、純粋なゆきは核心をついてゆき自身……その未来を捧げたのだ。
瞬にとってはそれも嬉しい誤算だろうが、本来の目論見が崩れたことを密かに都は喜ぶ。
「それにしても、あいつがそんなことを言うとはね」
愚かなまでの不器用さで散々ゆきに冷たく当たっていた瞬だったが、未来が変わったことでその想いを秘める必要がなくなったのだろう。
「……都。私、瞬兄の希望叶えられなかったのかな?」
都の言葉に自分の贈ったものは望むものとは違ったのかと、ゆきが顔を曇らせる。
そんなゆきに真実を教えることは簡単だけど、そんな敵に塩を送るような真似をするつもりはなく。
にこりと微笑むと、慰めるようにその頭を撫でる。
「そんなことないって。瞬、喜んでたんだろ?」
「……うん」
それでも瞬の性格なら、たとえそれが好ましいものでなくともゆきからならば喜ぶとわかっているのだろう。
下がったままの眉に、都はそっと話をそらす。
「それよりいいのか? それ、帰ってくるまでに作るんじゃないのか?」
「あ、そうだった。都、今何時?」
「11時半。十分間に合うだろ?」
「うん。帰るのは1時って言ってたから」
甘いものが苦手な瞬のために、誕生日のケーキはクリームのものではなくチーズケーキ。
なので、後はオーブンで焼いて皿に盛り付けるだけなのだ。
「片付け手伝うから、焼いてる間にお茶しよう。ほら」
「あ、それ、前に美味しそうって言ってたクッキー?」
「そ。昨日買ってきたんだ」
「ありがとう、都」
喜ぶゆきに満足げに微笑むと、並んでキッチンで片付けをする。
瞬のために焼いているケーキの片付けなど本当は面白くはないけれど。
「ま、誕生日ぐらい大目に見てやるよ」
本当はゆきが幸せならそれでいいのだから。
そう思い、今この一時を大切にする都だった。