可愛いひと

アーネスト2

「え? アーネストの国では大掃除をしないの?」
「正確にはしないのではなく、この国のように大晦日にはやらないんです」

理由の一つは、日本のように1月を一年の始まりと考えるのではなく、4月を始まりと考えるところ。
また、ヨーロッパの冬は日本よりもずっと寒く、暗いためでもあった。

「そうなんだ」

「はい。でも【郷に入っては郷に従え】ですからね。今日はあなたに付き合いますよ、ゆき」

「ありがとう」

エプロンをして三角巾をかぶって、いざ掃除……とはりきるが。

「アーネストのお家はどこも綺麗だね」
「そうですか?」
「うん」

確かにいつ来ても綺麗だとは思っていたが、まさか棚や家具類にもホコリがないとは思わず、ゆきは手にしていた雑巾で仕方なしに手近な物を拭いていく。

「ああ、ゆき。そこは水拭きではなく、から拭きでお願いします」

「水拭きだとダメなの?」

「から拭きの方がホコリを綺麗にとれるんですよ」

「そうなんだ」

アーネストに指南されながら掃除をすること一時間、あっという間に掃除は終わってしまった。

「お疲れ様です、ゆき」
「ありがとう、アーネスト」

エプロンを外してテーブルにつくと、温かい紅茶とスコーンが並べられる。
優雅にセッティングされたアフタヌーン・ティーに、ゆきは改めてアーネストに感心する。

「お料理も出来て、お掃除も出来て……アーネストはすごいね」

「外交官は通訳以外にも公使のお世話をしなくてはいけませんからね。仕事柄覚えざるをえなかっただけです」

「ううん。ここまできちんと出来るのは、やっぱりアーネストだからだと思う」

ゆきの賞賛にほんのり頬を染めると、それを誤魔化すようにアーネストが紅茶を口に運ぶ。


「美味しい……このスコーン、ジャムととってもあうね」

「それはこの前買い物に出かけた時に買ったんです。紅茶に入れても美味しいんですよ」

「本当? 今度やってみたいな」

「もちろん、いつでもどうぞ」
嬉しそうにスコーンを食べるゆきに微笑むと、指を伸ばして口の端を拭う。

「ジャムがついてますよ? my princess」
「あ……ありがとう」
「ゆき? 顔が真っ赤ですよ?」
「……アーネストの意地悪」
「ふふ、私は別に本当のことを言っただけですよ?」
微笑むアーネストに、ゆきは顔を赤らめながら紙ナプキンで口元を拭う。


「でも、なんだか新鮮」

「なにがですか?」

「前はいつも手袋をしていたでしょ? だから、こんなふうに指で拭ってもらうことなんてなかったから」

「……っ、そう、ですね」

「アーネスト?」

「Sigh……you are a hard man to satisfy,
あなたはそうやって無邪気に私を翻弄します」

ゆきをからかっているつもりが、いつの間にかアーネストの方が恥ずかしい思いをさせられる。 それは今までにもあったことで、ふうとため息を吐くときょとんと見上げる彼女を見る。

ずっと、手袋越しにしか感じていなかったゆきの体温を意識しただけで、自分はこんなにも鼓動が跳ね上がるのに、ゆきはといえば素肌で触れあうことを無邪気に喜ぶのだ。

「あなたが望むのなら毎日でも拭ってあげますよ? my princess」

「……毎日そんなだらしない食べ方はしないもの」

「では今日はそれほどスコーンとジャムがお気に召したということですね」

「……アーネストの意地悪」

「それはお互い様です」

上目づかいに睨む可愛い様に、アーネストは小さく息を吐いた。
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