大切な存在

那千26

紅に染まった夕方の空。
そのどこまでも澄んだ色から目を移して、辺りを見渡した。
さざ波が浜に打ち寄せる水音と、足にかかった水にここが現実の世界なのだと知る。
そうしてそれまでの出来事を振り返っていると、歩み寄る人に気がついた。

「こんなところにいたのか」
「……那岐」
「千尋は……いつだって僕に迷惑かけすぎなんだ」

いきなりの小言に、けれどもその声は震えていて、黄泉の国で自分を呼ぶ那岐の声を思い出した。

「あんな勝手はもう、させない。二度とあんな思いはごめんだ」

震える指先と声。強く抱き寄せる腕がどれだけ那岐を心配させていたかを伝えていて、ごめんねとその背に手を伸ばした。
あたたかい。
伝わるぬくもりが嬉しくて、幸せで、ああ私は那岐を失わずにすんだのだと安堵する。

「失いたくない……そう思うほど、離れていくようでずっと怖かった。つなぎとめようと力を尽くすことさえ誰かに、何かにあざ笑われているようで」
「那岐……」
「でも、もう終わりだ。僕の中の呪いを、全部、千尋が断ち切ってくれたから。迷いも、恐れもすべて消えて今、僕の中に残っているのは、ただ、大切だ、という気持ちだけ」

ギュッと閉じられた瞳から今にも涙がこぼれそうで頬に手を伸ばすと、薄く開いて。柔らかな笑みが向けられた。

「私も、那岐が大切だよ。那岐のことを大切に思ってる」
「だったら、もうあんな勝手はごめんだ。もう二度と、あんな思いはしたくない」
「うん、ごめん。でも、私だって那岐が一人で禍日神に対峙していた時、同じだったんだよ」

そう言うとギュッと抱き寄せる腕に力が入って、ごめんと小さく謝ってくれた。

「那岐、ずっと一緒にいようね」
「それって……」
「うん?」
「……いい。どうせ千尋のことだから、深く考えてないんだろうから」
「なっ……! どうして那岐はすぐにそういうことを……っ」
「ほら、帰るよ。いつまでもこんなところにいたら風邪をひくだろ」

まだ満潮ではないが、足首ほどまでは濡れてしまっていて、那岐はまとわりつく砂を煩わしそうに払うと歩き出した。
もちろん、その手は離れない。

「いつまで膨れてるつもり? 皆にそんな顔を見せるの?」
「那岐のせいじゃない」
「どうして僕とずっと一緒にいたいのか、千尋が分からないのが悪い」
「分かるよ!」
「だったら、どうして?」

重ねて問われて、考え込む。
それはまるで朱雀に問われた時のようで、けれども那岐はその先を求めているから。

「――好き、だから」
「え?」
「だから、那岐が好きだから、ずっと一緒にいたいの」

自分の中の答えを言葉にすると、那岐の顔が赤く染まる。
恥ずかしいやつ、と聞こえたけど、やっぱり手は離れなかったから、笑ってその手を握り返した。

20191114
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