枯れ果てた涙の代わりに

知盛10

突然目の前に現れて、わけの分からないことを口にする。
奇妙な女――それが最初の印象。
会ったことなどないはずなのに知盛を知っていると言い、睦言を囁くのではなく自身に存在を刻みつけることを欲する。
官位につられて寄ってくる女とは毛色が違う望美に、わずかばかりの興味は持った。
けれども宮中で戯れに女と情を交わすようなものを望んではいない。
だからただそれだけの女なら、足を止めるつもりもなかった。

けれども彼女は剣を抜いた。
言葉をいくら交わしても意味はない。
名前を知らなくてもいい、ただ自分の剣だけでも忘れさせないと、まっすぐに知盛を見つめ求めてきた。
その貪欲な瞳が興を引いた。
源氏の神子の噂は耳にしていたが、大抵話は大きくなりがちなもの――だが、剣を抜いた望美はその例と違うらしいと、知盛は同じく剣を抜き、彼女を知ることを望んだ。

源氏と平家の争いを憂い、和議を望んだ優しい神子。
けれども知盛の目の前に立つ彼女は、ただ彼を欲する獣の瞳を持つ生身の女だった。
切り結んで、遊技ではない命を遣り取りする剣技に昂る想い。
それでも、切り捨ててしまえば終わる関係は、何より貪欲な彼女によって許されなかった。
突然縛された身体は、彼が得意とする術と同じ。
よもや相手に使われるとは思わず驚くが、一夜限りで終わらせるつもりはないと言い切る望美に捕らわれた。

彼岸を見る目が面白くなく、誘うと傍に寄ってきた女の手を引いて、その瞳に自身を映させる。
幾多の知盛を望美は知っていても、自分は彼女を知らない。
それでも、何も知らない自分を求めると言うのなら。

「俺が、欲しいか?」

「欲しいよ」

即座に返ってきた欲望に抱いた想いは嫉妬。
目の前の女が求めた自分はどんなものだったのか?
出会い、殺してきた知盛に、時空を越えて『知盛』を求めてきたというのなら。

「お前を……見せてみろよ。もっと……俺にお前を感じさせてくれ」

刻むというのなら刻めばいい。
同じ欲を、知盛も抱いた瞬間だった。

* *

潮騒だけが辺りに響く。
まだ海水浴をするには早く、ましてや日も暮れてくれば海に留まるものは知盛と望美以外にいなくなっていた。
先程までの賑やかな様子とは異なり、海を眺める望美の瞳はあの日見た彼女と同じもので、苛立ちにその顔に指を伸ばして振り向かせると、驚いた表情で知盛を見る。

「知盛?」

「誰を見ている……お前の傍にいる『知盛』は俺だろう?」

「……うん。そうだね」

今にも泣き崩れそうな表情に苛立つのは、望美が思い浮かべている男が自分ではないから。
彼女と剣を合わせ、死んでいった『知盛』。
望美を縛るその存在は、例え自身と同じものだと言われても知盛は知盛でしかなく、満足できるはずもない。

「刻み足りないというのならいくらでも刻んでやるさ。お前の知盛は俺、だとな……」

潮騒が死した『知盛』を思い出させるというのならその耳を塞ぎ、水面がその心を波立たせるのなら映るのは自分だけでいい。
そう行動で示して唇を重ねれば、段々と意識が彼だけに向くのを感じて、戯れに重ねるようなやわらかな口づけを貪るような熱いものに変えて、彼女を捕らえる。
望美を縛る『知盛』は自分だけで十分であり、それ以外を認めるつもりはない。
自分の全てを望んだのなら、知盛も望美の全てを望むのは当然だと自身を刻みつけ離すと、熱を帯びたその瞳に先程の憂いの色はなく、ただ知盛を欲する姿に満足する。

縛したのは望美。
けれどもただ縛されるなど許しはしない。
恋情なんて生易しいものではなく、望美も知盛も相手に求めるものはその全て。

「お前は俺だけを見ていればいい……亡霊などにくれてやるつもりはないからな」

知盛の言葉に揺れる瞳を掌で覆って唇を重ねれば、後はただ彼を求める声だけが辺りを支配した。

20180923
【お題:恋したくなるお題様
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