健やかなるときも、病めるときも

ヒノ望48

ヒノエが望美の逆鱗を使って二つの世界を行き来するようになって1年余り。
望美は高校卒業を間近に控えていた。
熊野別当として忙しいヒノエが望美に会うため、まめにこちらの世界に通ってくれることに喜びを感じながらも、申し訳ないと思う気持ちが拭えずにいた。
ヒノエが望んでいることを、望美は知っていたから。
望美が自らの意思でヒノエの世界、ヒノエの元へ行くこと。
それがヒノエの願いなのだと。

「はぁ……」

浜辺に座ってため息。
望美だって本当はずっとヒノエと一緒にいたかった。
一時も離れていたくないほど、ヒノエのことが好きだった。
それでも、彼の手を取るということは自分の生まれ育ったこの世界との決別。
ヒノエが熊野を故郷として大切に思うように、望美にとってもここはかけがえのない故郷だった。

「ヒノエくん……」
「お呼びかい?」
ぽつりと漏らした呟きに、思いがけず返事が返る。
驚き振り返ると、そこにいるのは紅の髪の愛しき男性。

「えっ? ヒノエくん!? いつこっちに来たの?」

「つい今しがた、だよ。姫君が呼んでる気がしてね」

ぱちんと瞑られた片目に、望美が戸惑いを浮かべる。

「俺の姫君は何を憂えているのかな?」
「えっと……」
問われ、しかし口にすることが出来ずにそのままつぐんでしまう。
そんな望美に、ヒノエは何も言わずに隣に腰かける。

「俺のこと、かい?」

胸のうちを見透かされ、望美が俯く。
確かにヒノエのことではあるが、どうしたいかがまだ自分でも決められずにいたのである。

「ねぇ、望美。お前の国では、男は18女は16になったら結婚できるんだろ?」
「え? う、うん」
唐突な問いに、望美が戸惑いながら頷く。

「じゃあ、ようやくお前の両親にも挨拶にいけるかな」
ヒノエの口にした言葉に、望美が瞳を見開く。

「一度ちゃんと挨拶したいと思ってたんだよ。
お前の大切な両親に、ね」
「で、でも……」

望美とて将来を誓い合ったヒノエを、いつか両親に紹介したいとは思っていた。
しかしヒノエは別の世界から来た人で。
望美が異世界で“龍神の神子”として戦場を駆け回っていたなど、当然知るはずもない両親に、どう紹介すればいいのか思いつかなかった。

「ありのままを話すよ。そして請うんだ。お前を俺に下さい……ってね」
「ヒノエくん」
向けられた真剣な紅の双眸に言葉を失う。
そこにあるのは、望美を恋い、求める想い。
共にと望む、共通の想いだった。

「私だってヒノエくんとずっと一緒にいたいよ……。でも……」
「決められないんだろ?」

優しく問われ、こくんと頷く。
ヒノエのことが大好きで。
彼以外を好きになることなど考えられないぐらい、ヒノエだけを求めていた。
だけど振り切れない、故郷への、両親への、友人への想い。

「私ね、本当にヒノエくんのことが好きだよ。
だけど、この世界も好きなの……大切なの」
ヒノエへの想いと、故郷への想いに天秤が揺れ動く。
ヒノエに愛され、自分も彼を愛し、それはとても幸福で。
だけど、自分を育むこの世界も望美にとっては大切なものだった。

「わかってるよ」

切なげな笑みに、つきんと胸が痛む。
どうして彼を選べないのだろう?
どうしたら彼の元に飛び込んでいけるの?

「結婚式、あげようか」
「え?」
「もちろん、こっちでね。お前の両親と、友達も呼んでさ」
ヒノエの言葉に、望美が呆然と彼を見つめる。

「お前が俺の元に来たいって、そう心から望むまで待つよ。だけど、お前を愛し――妻にと望む気持ちは本当だから。
だから、その想いをお前の大切な両親や友人に誓おうと思うんだけど――どうかい?」
見つめられ、望美の瞳が涙で潤む。
飛び込むと抱きしめてくれる腕に、涙が溢れる。

「うん……私もヒノエくんのお嫁さんになりたい……」
濡れた瞼に、そして唇に口づけられる。
踏み出せなかった一歩が今、開けた瞬間だった――。


ドアの音に、望美はそちらを振り返った。
「綺麗だよ、望美」
「ありがとう、ヒノエくん」
額に口づけられ、望美がふわりと微笑む。
あれから数日後、ヒノエは言葉通り望美の両親に挨拶に来てくれた。
始めは戸惑っていた両親も、二人の真剣な様子にやがて首を縦に振った。
望美を頼む――と、寂しげに告げる父に、ヒノエがしっかりと頷き。
そんな二人の様子を、望美は母と共に涙を溢れさせながら見つめていた。
それから二人で雑誌を見たり、結婚式場を見て回ったり、結婚式に向けての準備を進め、今日この日を迎えた。

「どうしたんだい? ぼうっとして」
「まだちょっと信じられなくて。私、本当にヒノエくんのお嫁さんになるんだな~って」

自分のウェディングドレスを見つめながら呟く望美に、ヒノエが苦笑する。

「嫌だった?」
「そんなわけないの、ヒノエくんが一番知ってるくせに……」
拗ねた瞳で見つめると、額に再び口づけが降ってくる。

「でも本当に洋式で良かったの?」
「ああ。和装は熊野で俺が見立てて姫君を着飾るからね。それに……こっちの婚礼衣装をまとったお前を見てみたかったんだ」

滑らかな絹の白いドレスにヴェールを飾り、紅を引いた望美は、今まで見たどの姿よりも美しかった。

「神様よりも先にお前に誓うよ。この世で一番、幸福な花嫁にする……って」
「私はもう一番幸福な花嫁だよ」
手の甲に口づけるヒノエに、望美が花開くような輝く笑顔を見せる。

「唇に出来ないのが残念かな。せっかくの紅を取ったら怒られそうだしね」
「もぅ……ヒノエくんは相変わらずだね」

普段と変わりないヒノエに、今度は望美が苦笑する。
真っ白なタキシードに身を包んだヒノエは、鮮やかな紅を好む彼を普段とは違う彩で飾っていた。

「ヒノエくんは白も似合うんだね」

「惚れ直したかい?」

「もぅ……」

「もっとも、俺よりもずっと姫君の方が似合ってるけどね」

「……なんだか今日はいつも以上にキスしてない?」

普段も何かにつけ、頬や額に口づけるヒノエではあるが、今日は普段にも増してされてる気がした。

「こんなに麗しいお前を目の前にしたら、口づけずにはいられないだろ?」

ぱちんと片目を瞑って、再び額に口づける。
コンコンっと控えめなノックの音に、ヒノエが望美に手を差し出した。

「さぁ、時間だぜ。天女の花の顔を見せてやろう」
口の端をつりあげるヒノエに、望美は微笑んでその手を取った。

* *

厳かな声が教会に響き渡るのを、望美は静かな気持ちで聞いていた。
隣に立つ白い衣を身にまとったヒノエの存在が、望美に安心を与えていた。
腕を絡ませ、唇をキッと結び、緊張した面持ちでヒノエの元にエスコートしてきた父と。
望美のウェディングドレス姿に喜び、涙を流した母と。
沢山の拍手と言祝ぎを与えてくれた友人に見守られ、結婚式が進んでいく。

「健やかなるときも、病めるときも、共に在ることを誓いますか?」
「はい」
神父の問いかけに、望美ははっきりと頷く。
手袋を外して、ヒノエが銀の輪を望美の左手薬指に通す。

「望美、お前に永遠の愛を誓うよ」
「私も……ヒノエくんを一生愛してる」

互いに誓いを交わし、今日初めて口づける。
沢山の祝福の中で、望美の瞳から喜びの涙が零れ落ちた。
空からは二人を祝福するかのように、季節外れの風花が舞っていた。
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