さよならの前に、ここで

ヒノ望42

ヒノエの誕生日を知って、一番初めに浮かんだのは驚きだった。
4月1日……それはエイプリルフール。
フランスが起源だとされているが、望美達の国では一般的に『嘘の日』という認識をされている日。
つまり、この日に限ってのみ嘘をついても良いのだ。

「エイプリルフールが誕生日なんて、なんだか
ヒノエくんらしいよね」

出逢った頃からこれでもかというぐらい、甘言を囁いてきたヒノエ。
しかしそれは、ほとんどがただの言葉遊び……誰にでも降り注ぐ心を伴わないものだった。
もちろん、今ヒノエが自分に囁く言葉をそうだとは思わない。
愛しいと抱き寄せる腕も真実だろう。
だから――。

「こんにちは、姫君」
「来てくれたんだね、ヒノエくん」
「もちろん。お前のお願いを叶えるのが、俺の喜びだからね」

ぱちりと片目を瞑ってみせるヒノエに、ふふっと微笑む。
ヒノエの誕生日である今日、4月1日に来て欲しいと願ったのは望美だった。

迷宮を解いたヒノエは、他の仲間と共に自分の世界へと帰っていった。
しかしそれは、二人の永遠の別れとはならなかった。
どこから手に入れたのか、逆鱗を手にしたヒノエは、それを使って二つの世界を行き来していたからだ。
珈琲を用意し、自分には砂糖とミルクを、ヒノエにはブラックで手渡す。

「で? 姫君がこの日を指定してくれたのはどうしてかな?」

「わかってるくせに……お誕生日おめでとう、
ヒノエくん」

「ふふ、ありがとう。お前の笑顔が一番の贈り物だね」

「ちゃんとしたプレゼントもあるよ。気に入ってもらえると嬉しいけど」

綺麗にラッピングされた小さな箱を差し出すと、ヒノエが嬉しそうに目を細めた。

「お前が選んでくれたものを、気に入らないわけがないだろ? 開けてもいいかい?」
望美が頷くのを見てから包装を解くと、中から出てきたネックレスを手に取った。

「ヒノエくんならもっといいのをいっぱい持ってると思うんだけど……」

「お前が俺を想って選んでくれたものに、勝るものなんてありはしないさ。ありがとう」

首元で揺れる、翼をモチーフにしたペンダントヘッドに触れて、ヒノエが微笑む。

「ヒノエくんの誕生日を祝えるのもこれが最後だから、喜んでもらえて良かったよ」
「え……?」
さらりと告げられた言葉に、ヒノエは瞳を見開いた。

「望美?」

「ヒノエくんにはヒノエくんの故郷があって、私には私の故郷があって。どちらかしか選べないのなら……お別れでしょ?」

ヒノエはこの世界ではない別の時空の人間で、別当として愛すべき故郷・熊野を守るという役目があった。それは望美と天秤にかけられるようなものではない。
それでも、どちらをもとヒノエは望んだ。
それはこのうえもない傲岸な願い。
この世界を選べないヒノエには、望美に熊野を選ばせるより他になかったから。

「……それがお前の出した結論かい?」
絞り出した声は、自分でも驚くほどにかすれていた。
本来ならば出逢うことなどなかった二人が出逢った奇跡。
その奇跡を失いたくなくて、頭を下げてまで逆鱗を手に入れた。
――望美の心を捕らえるために。
しかし、彼女の口から出た言葉は『別離』だった。

「だから決めたの」
「そう……」

淡々と交わす会話の中で、辺りの景色が急速に色あせていく。
いつもは鈴を転がすような可愛らしい望美の声も、今日ばかりは耳に冷酷に響いた。
出逢った時の喜びに満ちた空気は消え失せ、つきつけられた別れの現実に、ヒノエは打ちのめされた。
――続く言葉を耳にするまでは。

「だからお別れするよ――この世界と」

紡がれた言葉に、ヒノエは呆然と顔をあげた。
知らず落ちていた視線を戻し、混乱する頭を必死にまとめて望美を見る。

「今までありがとう。忙しいのに何度も時空を越えて会いにきてくれて……1年も待ってくれて。でも、もう決めたから。連れて行って、熊野へ――ヒノエくんの傍へ」

ふわりと舞い降りてきた身体を、ヒノエは信じられない思いで受け止めた。
鼻腔に届く、花とは違う甘い香り。
胸の中のぬくもりは、凍った心をたちまち溶かしていった。

「いいのかい? ――嘘、なんて言わせないぜ。海賊は一度手にしたお宝を手放すなんてないからね」

「エイプリルフールは正午まで。だから、今のは全部真実だよ」

時計を指差し、望美が微笑む。
昨年、自分の生まれた日を望美の世界ではそう呼ぶのだと、ヒノエはその日の意味を教えられていた。
耳にした瞬間は、この日限りの他愛もない偽りなのだと、そうあって欲しいと願った別離。
しかしそれは、二人の永遠の別離ではなく、彼女がくれたかけがえのない真実だった。

「一生忘れられない、最高の誕生日プレゼントだね」
胸元で揺れるペンダントヘッドは、大きな翼に寄り添うように小さな翼が重なったもの。
それはまるで、比翼連理の鳥をあらわしているかのようだった。

「これからヒノエくんの誕生日は、毎年一番に
お祝いするね。ヒノエくんの傍でずっと」

永遠を告げる唇に、誓いを贈る。
望んだものは、熊野とお前。
叶えたのは、奇跡じゃなくてお前。
俺を選んでくれた、お前の想い。

「俺も誓うよ。お前が手放した世界の全てになる、と」
誓約を言の葉にして、もう一度唇に誓いを捧げる。
自分がこの世に生まれ落ちたこの日に、最高の贈り物をくれた愛しい女性……望美に永遠なる愛を。
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