移り行く時をずっとあなたと

ヒノ望31

新熊野神社の神事に二人で参加してから早一年。
再びやってきた秋に、しかしヒノエは毎日忙しなく仕事に追われていた。
昨年は京の秋を堪能したから、今度こそは熊野の秋を……そう思っているのに、問題は次から次へと湧いて日帰りすることさえかなわぬ現状に、苛立たしげに息を吐いた。

「若?」
「……なんでもない」

目聡くヒノエの変化に気づいた腹心である副頭領に、ひらひらと手を振り頭を切り替える。
この場に留められているのはヒノエだけではない。
彼らにもまた、家族があるのだから。
今ヒノエにできることは、一刻も早く片付け、
望美のもとに帰ること――。

一方の望美はと言えば、女房と共に行っていた衣替えでとある衣を手にしていた。

「見事なお衣ですわね。さすがは別当様。ここまで鮮やかな紅はそうそうお手に入るものではありませんわ」
「そうなの?」

纏う衣にも身分がかかわってくるこの世界で、何度も紅で染め上げる韓紅の衣は大変貴重なものだと教えられ、改めてヒノエが自分に向ける愛情の深さを実感する。
この世界に残り、ヒノエのもとに嫁いで。
けれども大変な彼の傍で自分は役に立ててはいないのでは? と、そんな思いに揺れ動いていた望美に、ヒノエが贈ってくれたのがこの韓紅の衣だった。

「ヒノエ君は今日帰る予定だったよね?」
「はい。ようやく新宮でのもめ事も片付いたと、先頃連絡がございました」
「だったら……」

望美の思いつきに女房は耳を傾けると、承知致しましたと部屋を去っていく。

「私も支度をしなくちゃ」
疲れているヒノエに望美ができること。
彼が喜ぶこと。
それを考えた望美は、彼を出迎えるべく支度を始めた。

* *

「おかえりなさいませ」
出迎えた女房達に、しかしヒノエはそこにいるはずの姿がないことにきょろりと目を動かした。

「望美は?」
「奥方様はお部屋にてお待ちでございます」

一日ぶりの再会を急くヒノエは、足早に望美が待つという北の対へ歩いていく。
御簾を上げて入ると、一瞬息をのんだ。
そこにいたのは、鮮やかな紅の衣に身を包んだ麗しき天女。
傾く陽の橙色の光が差し込む部屋の中、すっと立ち上がった望美は嬉しそうにヒノエのもとへとやってきた。

「おかえりなさい。今回も大変だったんだね」
「お前のねぎらいと麗しい姿に、疲れも吹き飛んだよ」

彼女が纏っているのは、ヒノエが京で贈った韓紅の衣。
その手に導かれ、壺庭の見える位置に移動すると、次々と料理が運ばれてきた。

「葉が赤く染まって綺麗だったから、今日はここで紅葉の宴をしようと思って」
望美の言葉に目を見開くと、ふっと口元を緩め彼女を見る。

「……気を使わせたね」
望美に秋を見せようと思っていたヒノエの心中を思いやってだろう、今宵の宴にううんと横に振られる頭。

「熊野の秋を、ヒノエ君と感じたかったから。それに、一度だけなんてもったいないでしょ?」

「そんなに気に入ってくれたのなら、もっと贈ればよかったね」

「そんなにいっぱい贈られたら、しまえなくなっちゃうよ」

「ふふ、お前は本当に欲がないね」

衣をしまえないなどということはないのだから、これは望美の控えめな性格ゆえの言葉。
共に旅していたころから、望美はあまり贈り物を受け取ろうとはしなかった。

「ねえ、ヒノエ君。時間はいっぱいあるよ」
「え?」
「冬も春も夏も、次の秋もめぐる季節を一緒に過ごしていこう」

もしも今年、紅葉を楽しむことができなくともその次の年がある。
その次の年がダメなら、その次の次の年もある。
そうやってずっと二人の時間は重なっているから焦ることはないのだと、そう告げる望美を抱き寄せて、思いの丈を唇で伝える。

「俺の奥方は最高の女だね。何よりの口説き文句だ」

「だって最高の夫をもってるもの。最高の女にならなくちゃ」

「それは光栄だね」

ふふ、と微笑みあうと目を閉じて、再度唇を重ねあう。
大切なのは今ここにある温もり。
それを互いに感じあい、思いをかみしめた。
Index Menu ←Back Next→