月夜の宴

ヒノ望13

仕事を終え、戻ったヒノエを笑顔の望美が迎える。

「おかえりなさい、ヒノエくん」

「ただいま。お前の笑顔を見ると、今日一日の疲れが全て吹き飛んでしまうね」

「も、もう。すぐそういうこと言うんだから……」

顔を赤らめる望美に、ヒノエがふふっと笑う。
夕餉と湯浴みを済ませ、濡れ縁に座っていたヒノエが、不意に望美を手招いた。

「な~に? ヒノエくん」
「今日は最高に美しい月だぜ。一緒に月夜の宴を楽しもう、望月の君」
満月という意味を名に持つ望美を、隣りへと誘う。

「それ、この前のお祭の時に買ったワイン?」
「ああ。グラスの輝きが月をより一層美しく見せると思って、ね」

グラスを2つ掲げて片目を瞑るヒノエに、望美が笑顔で寄り添う。
透き通ったグラスに紅い液体が注がれていくのはどこか神秘的で、望美は見惚れた。

「ほら」
「ありがとう」
手渡されたガラスの感触が懐かしくて、自然と口元に笑みが浮かぶ。

「飲んでごらん。これはお前でも大丈夫なはずだよ?」
「うん」
ヒノエの勧めに頷き、そっとグラスを傾ける。

「あ、ほんとに甘い!」
「ふふ……だろ?」
驚く望美に、ヒノエが口の端をあげた。

「ワインってこんなに甘かったんだね」

「お前の世界にもあったんじゃないのかい?」

「あるけど飲んだことはなかったから」

「どうしてだい?」

「私のいた世界では、20歳までは成人したとみなされなくて、お酒は飲んじゃダメだったの」

「へぇ……」

色々と慣習が違うことは知っていたが、それで望美は酒が飲めなかったのだと納得する。

「ここでは誰もお前を咎める者はいないから安心していいよ。それ、気に入ったんだろ?」
「うん! ありがとう、ヒノエくん」

新たに注がれたワインに、望美が満面の笑みでグラスを傾ける。
そうして2杯目のワインが空になった頃、異変は起きた。

「これってほんと~に美味し~ね~」
頬を上気させてうっとりした瞳で話す望美に、
ヒノエが驚いたように彼女を見る。

「望美?」
「ヒノエくん、だ~いすき!」
グラスを持ったままヒノエに抱きついてきた望美に、さりげなくグラスを奪い抱きとめる。

「それは光栄だね。俺もお前が好きだよ」
「私ね~、本当にほんと~にヒノエくんが好きなんだよ~?」

童女のように無垢に微笑むと、すりすりと胸に顔を寄せる。

「まるで猫みたいだね」
くすっと笑みを浮かべて髪を撫でるヒノエに、望美が頬を膨らませる。

「猫じゃない~! ヒノエくんの奥さんだも~ん!」
「そう……お前は俺の最愛の奥方だよ」

顎を掴んでちゅっと口づけると、望美がもっととねだる。
その姿に苦笑しながら、ついばむような口づけを繰り返す。

「えへへ……」
唇を離すと望美は嬉しそうに微笑み、ぽすんと
ヒノエの胸にとびこむ。

「ご満足頂けたかな? 姫君?」
「うん!」

本当はもっと熱い口づけをかわしたいところだが、酔って素直に甘えてくる望美が可愛くて、
彼女の望み通りに叶える。

「他にお願い事はあるかい?」
問われ一瞬考え込むが、ぱあっと顔を輝かせるとヒノエから離れ座る。
そうして自分の足をぽんぽんとたたき、ヒノエを促す。

「ヒノエくん、ここに寝て!」
ニコニコ無邪気に促す望美に、乞われるままに膝枕される。

「私ね、ヒノエくんの寝顔を見てみたかったんだ」

紅の髪を撫でながら、歌うように望美が言う。
もともと朝が弱いうえに、夜はヒノエが無理をさせるから、望美はヒノエよりも前に起きたことがないのである。

「俺の寝顔なんか興味があるのかい?」
「だって一度も見たことないんだもん。それに、ヒノエくんにはいっぱい休んで欲しいし」

源氏に手を貸し、熊野を空けていたことで、帰ってからのヒノエの忙しさは尋常じゃなかった。
ヒノエをただ見守ることしか出来ない自分が、望美はとても歯がゆかった。

「何か私に手伝えることはない? 少しでもヒノエくんの力になりたいよ」
顔を曇らす望美に、ヒノエは腕を伸ばして頬を撫でる。

「お前はもう、十分に俺を支えてくれてるよ。
お前が居るから安心して邸を空けられるし、お前の笑顔が何よりも活力になる」

「私、少しでも役に立ててる?」

「ああ、十分すぎるぐらいだよ」

ヒノエの言葉に、笑顔が花開く。

「ヒノエくんが少しでも安らげるように、いつでも笑って迎えるね! いっぱい勉強して誇れる奥方になる!!」

「誇れる奥方もいいけど……甘いお前も欲しいな」

耳元で囁くと、きょとんとした望美が、おもむろに戸棚によっていく。
膝枕のなくなったヒノエが不思議そうに望美の行動を見守っていると、目当てのものを見つけた望美がにこりと微笑んだ。
望美の手にあるのは、昨日ヒノエが渡した唐菓子。
それを口に放ると、パタパタと走りヒノエに口づける。

「……甘い?」
小首を傾げ窺う望美に、ヒノエが肩を揺らす。

「く……くっく……やっぱりお前は最高だね」
「え? え?」
なぜ笑われているのかが分からず、望美が瞳を白黒させる。

「そんなものなんかなくても、お前は十分甘いんだよ?」

抱き寄せ上向かせると、ヒノエはそっと唇を落とした。
いつもよりも無邪気で可愛い、愛しい望月の君に。
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