あまあま

弁望98

大学に進学してから、望美はよく弁慶のマンションを訪れるようになっていた。
弁慶とは大学が違うため、合鍵を貰っている望美は掃除をしたり食事を作ったりと、弁慶がこの
世界にいる幸せをかみ締めているのだが。

「弁慶さんって基本的にはきちんとしてるんだけどね~」

一室に積み重ねられた本の山に、望美はため息をつく。
洗濯物や食器の片付けなど、他の物はきちんと片付けられていて、望美がやることは何も残されていない感じなのだが、読書家で勉強熱心なだけに夜通し書物を読み耽るという悪癖はいまだに健在のようで、書斎にしている部屋の床には所狭しと本が並べられていた。

「まだ使う本だと勝手に片付けると困るんだろうし……う~ん」
本棚にしまおうか、そのままにすべきかしばし
悩んで後者を選択。

「じゃあ、食事の支度をしようっと!」
料理は不得意だったが、疲れて帰ってきた弁慶のために何かしたくて、譲から料理を教わっては
チャレンジしていた。
しかし人間、得手不得手はあって。

「お魚焦げてる~!! あ、お味噌汁!!」
慣れない料理を同時進行でやったために、魚は
半面こげこげ、お味噌汁は煮だち過ぎてまるで魔女のスープのようにぐつぐつ泡をふいていた。

「はぁ……」
深いため息をつき、諦めて出前でも取ろうと焦がした魚をゴミ箱に捨てようとしたところで、背後から伸びた手に止められる。

「べ、弁慶さん!?」

「ただいま。せっかく作ってくれたのに、どうして捨ててしまうんですか?」

「だ、だって、こんなに焦げてちゃ美味しくないだろうし、お腹壊しちゃうと困るし……」

「大丈夫ですよ」

望美の手からフライパンごと半焦げの魚を奪うと、綺麗に焦げた皮と身を分けてほぐす。
そして冷蔵庫から青菜を取り出し細かく刻んで
さっと炒めると、先ほどの魚と混ぜ合わせた。

「こうするとご飯にとてもよく合うんですよ」
「すごい! もう食べられないと思ったのに!」
感動している望美に微笑んで口づける。

「ちょっと着替えてきますね」
「あ、じゃあ私はご飯よそって準備しておきます!」

ご飯を炊くことだけはマスターした望美は、エプロン姿でいそいそと茶碗や皿を取り出す。
その姿はとても可愛らしくて、ずっと見ていたい衝動に駆られるのを堪えて着替える。
スーツからブラウスにGパンという簡素な洋服に着替えてリビングへ行くと、望美がよそってくれたご飯と先ほどの青菜と魚の佃煮、味噌汁に漬物が並べられていた。

「いつもありがとうございます」
今まで料理などしたこともない望美が、自分の
ために必死で習って作ってくれることが嬉しくて、弁慶の顔に自然と笑みが浮かぶ。

「でも、やっぱり今日も失敗しちゃって……」

しゅんとうなだれる望美。
元来あまり食へのこだわりはなく、生きるために最低限の栄養さえ取れれば別にいいと思っているので、望美が気にしている料理の腕前も実はあまり気にはならなかった。
しかしありのままに伝えても、それはそれで傷つけてしまうであろうから、弁慶はにっこり微笑みだけを返す。

「全然大丈夫ですよ? お魚だってちゃんと食べれますし、お味噌汁だって美味しいですよ」

嬉しそうに食べてくれる弁慶に、望美もお味噌汁を飲んでみる。
習ったばかりの頃のようにしょっぱすぎることはなくなったが、やはり煮込みすぎて食材の味は
消え失せていて、とても譲のように美味しいと絶賛できるものではない。
あえて言うなら“まあ、食べられる”と言う代物だ。

「弁慶さんは優しすぎます」
情けなくて、ちょっと拗ねた口調になってしまう。

「僕は望美さんが僕のために作ってくれる、そのことだけで十分幸せなんですよ」
微笑まれて、それでも自分への憤りはどうしても消せない。
でも、ここで落ち込んでいてはせっかくの2人きりの時間が無駄になると思い直す。

「次はもっと上手に作れるように頑張りますね」
「次もまた作ってくれるのですね。楽しみにしています」
望美の宣言を優しく受け止めてくれる弁慶に、ようやく笑顔が戻る。

「でも、弁慶さんは本当に何でも上手ですよね。さっきのお魚もこんなに美味しい佃煮にしちゃうし」
弁慶が即席で作ってくれた青菜と焼き魚をあえたものは、それだけで食が進むものだった。

「調べ物に夢中で食べるのも億劫な時には重宝するんですよ。ご飯とこれさえあれば、あっという間ですから」

「確かにこれがあればご飯だけでも十分美味しいけど、でもちゃんとご飯は食べなきゃダメですよ?」

釘を刺されて弁慶が苦笑する。
夢中になると食事をする間も惜しんでしまうので、望美はいつも心配しているのである。

「大丈夫ですよ。月に1度、こうして望美さんが美味しい手料理をふるまってくれますからね」

「美味しいかは微妙ですけど……でも、栄養たっぷりな料理をいっぱい譲くんに習っておきますね!」

1冊のノートを取り出して微笑む望美に、弁慶も笑みを返す。
それは譲から教わりながら書き込んだ、望美の
特製レシピ帳だった。

「でも、そんなに栄養をつけられては、しっかりと運動もしないといけませんね」
「え?」
いつの間にやら食べ終えた弁慶に背後から抱きしめられ、望美が慌てる。

「わ、私、まだ食べ終わってないし、片付けもしなきゃいけないし……」

「僕はもっと甘いものを食べたいのですが」

「あ! ケーキ買ってきましたよ! ご飯の後に食べようと思って」

弁慶が望んでいることが分かりながらも、望美は必死に矛先をそらす。
なぜなら、弁慶に抱かれてしまうとあっという間に朝になってしまうからだった。

「僕は君より甘いものは他に知りませんが」
「……!」
止めとばかりに耳元で囁かれて脱力。
諦めて箸を置くと、頬を赤らめて弁慶に向き
直る。

「……手加減してくださいね?」
「それはどうでしょう? 月に一度の、朝までの逢瀬ですからね」
ひょいっと抱きかかえて望美を寝室へ運びながら、弁慶は胸の中でそれが無理であることを詫びた。
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