「………あれ?」
弁慶の部屋を訪れていた望美は、ふと感じたものを確かめるように弁慶にすり寄った。
「望美さん?」
「……もしかしてお香ですか?」
いつも感じる薬草とは別の香りに見上げると、ああ、と弁慶が頷く。
「ええ。普段は調合の妨げにならないようにあまり使いませんが、この香は好きなんです」
「なんの香りですか?」
「紫陽花です」
弁慶の言葉に改めて嗅いでみる。
ほのかに感じる香りは少しくせがあり、弁慶らしい選択だと微笑んだ。
「紫陽花ってそういえば嗅いだことないかも」
雨の中、彩りを添える姿はよく目にしていたが、そういえば紫陽花の花の香を嗅いだ記憶はなく。
考え込んでいると、ふっと腕の中へと抱き寄せられた。
「べ、弁慶さんっ」
「ふふ、僕の香を確かめてみたいのでしょ? それなら近くに来なくてはわかりませんよ」
顔を赤らめながらも素直に頷くと、九郎や敦盛の香との違いに気づく。
「このお香、ほんのりと香るんですね」
「ええ。衣に焚きつけるのではなく、塗り香を
使っているんです」
「塗り香?」
「これです」
小さな容器の蓋を開けると、確かに弁慶と同じ
香りがした。
「お香にもいろんな種類があるんですね」
「君も使ってみますか?」
「え?」
「これが気に入ったのならどうぞ」
「でも、弁慶さんのがなくなっちゃいますよ」
「僕はいつでも作れますから」
そう言って手渡された塗り香に、望美は笑顔で礼を言う。
「ありがとうございます! 良かったら今度、
作り方を教えてもらえますか?」
「ええ、喜んで」
頷くと、喜ぶ望美に微笑んで、そっと掌ごと塗り香を包む。
「塗り香は貴族が衣に焚きしめ、香りを楽しむのと違って清めの意味があるんです」
「清め……ですか?」
「ええ」
そうして蓋を開けて塗り香を少し指ですくうと、望美の掌の薬指の付け根に塗る。
「これを掌に広げるように塗るんです」
「耳や首もとじゃないんですか?」
「君の世界ではそういうふうにつけるんですか?」
「うーん。私はつけたことがないからよくわからないんですけど、確かそうだったと思います」
全体につけてしまうと香りが強すぎるので、空に噴きつけてその下をくぐったり、耳や首もとに軽くつけるのがコツだと母に聞いたことがあった。
まあそれは香水の話なので、お香とは根本的に違うのだろうけど。
「耳や首もとでもかまいませんよ。君の好きに使ってください」
「ありがとうございます。じゃあ、早速……」
蓋を開け、少量手に取るとそっと首もとへ香を塗る。
「ふふ、ほんのり香ってなんだか素敵ですね」
「君に喜んでもらえて嬉しいですよ」
無邪気に喜ぶ望美に、弁慶は苦笑を浮かべる。
男女が香を同じくするのは、想い通わせ合うのと同じ。
その意味を知らず、弁慶と同じ香をつけて望美は喜んでいた。
「君には清めなど必要ありませんでしたね」
誰よりも清らかで美しい……神子。
彼女にとって塗り香は、身を飾るもので十分だろう。
「譲くんが呼んでいますね」
「あ、本当だ」
遠くから聞こえる声に立ち上がると、弁慶を振り返り微笑む。
「今日は白龍のリクエストで蜂蜜プリンを作るって言ってましたよ」
「それはいいですね。譲くんの作るものはどれも美味しいですから」
「多めにあるはずだから、今日は弁慶さんも食べてくださいね?」
以前白龍に譲ったことを指しているのだろうと微笑むと、立ち上がって彼女の後を追う。
二人纏う紫陽花の香。
そのことを思いのほか喜んでいる自分に気づいて、弁慶はそっと苦笑した。