未知の痛み

敦望1

落ち着ける場所を求めて宿の中を歩いていた敦盛は、中庭で剣を振るう望美の姿に目を留めた。
うだるような暑さの中、一心に剣を振るい続ける彼女の額には、汗の粒がいくつも浮かび上がっていた。
それでも拭いもせずに振るい続ける姿は、どこか鬼気迫るものがあり、敦盛はその場を離れられずに、気遣わしげに彼女を見守っていた。

どれぐらいの時間がたったのだろう――ようやく剣を下ろした望美の身体が、ぐらりと傾ぐ。
慌て駆け寄り受け止めると、彼女の意識はなく、その身体はかなりの熱を持っていた。
抱きかかえて急ぎ弁慶の部屋へと駆け込むがそこに望む姿はなく、断わりなく望美の部屋に入るのも躊躇われて、仕方なしに敦盛は自身の部屋へと運び込んだ。
御簾を開け放って室内の風通しをよくし、井戸で汲んだ水をタオルに含ませ、吹き出る汗を拭う。
本来ならば首元をはだけ、少しでも体内の熱を逃がす方がよいのだが、女人にそのような真似が出来ようもなく、敦盛は扇で風を送りながら看病を続けた。

「ん……敦盛さん……?」
ぼんやりと見開かれた翡翠の瞳に、ホッと胸を撫で下ろすと柔らかく微笑みかけた。

「体調はどうだろうか。気持ちが悪かったりはしないだろうか?」
「う……ん……ちょっと身体がだるい、かな」
自身に気をやってそう呟く望美に、敦盛はそっと額に手をのばした。

「敦盛さん?」

「神子、あなたという存在はただ一人だけだ。だからどうか御身を大切にして欲しい」

「………」

敦盛の静かな嘆願に、望美は俯くときゅっと唇を噛む。
気遣ってくれるのは嬉しい。
けれども、どうしても譲れない願いが望美にはあった。
脳裏に浮かぶ、紅蓮の炎。
全てを失い、ただ一人救われたあの虚無感、行き場のない悲しみ、憤り。
あの運命を変えたくて、禁忌の力に手を伸ばした。
それは望美の勝手な願い。
彼女の望む未来を得るために、他者の運命を歪める浅ましさ……それでも望美は渇望するのだ。
どうか生きて欲しい、と。
黙り込んでしまった望美に、敦盛は何か不快を与えてしまったのではと狼狽する。
と、不意に顔を上げた望美がにこりと微笑んだ。

「心配してくれてありがとう、敦盛さん」
「いや、私は……」
「大丈夫ですよ。今日はちょっと失敗しちゃったけど、今度から気をつけますね」

そうして笑顔でそれ以上の追求を拒絶する望美に、敦盛は口をつぐむと腰を上げる。

「敦盛さん?」
「弁慶殿を呼んでこよう。そろそろ戻ったかもしれない」
「ま、待って下さい!」
ぎゅっと袖をつかまれ、敦盛は困惑げに望美を見つめた。

「もう少しだけ……傍にいてもらえませんか」

か細い声はわずかに震え、力強い翡翠の瞳は切なく揺らいでいた。
いつにない望美の儚い姿に、敦盛は座り直すと手ぬぐいを絞って、そっと額にのせた。

「私でよければあなたの傍に控えよう」

そう微笑みかけると、安心したように瞼が閉じる。
袖を掴む指の強さが、望美の抱える苦悩を表しているようで、敦盛は幼子を宥めるように紫苑の髪を優しく撫でる。
何が彼女を追い詰めているのか。
悲しませるのか。
苦しみを取り除いてやる事の出来ない自分に歯がゆさを感じながら、せめてもと敦盛は望美の眠りを見守り続けた。
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