平家の神子

知盛9、一ノ谷戦

望美が将臣たちと熊野を訪れて間もなく、一通の書状が届けられた。
それは源氏との和議を申し入れる院宣。

「源氏の使者として立ったのは、北条政子殿のようですね」
「北条政子殿といえば、頼朝殿の御正室。自ら敵地に赴くなど、なかなか出来ることではありませんよ」
「北条は元々平氏の血筋。争うのを避けたいという気持ちがあるのだろう」

春に京に赴き、後白河院に働きかけた和議。
それがようやく叶うことに二位ノ尼や経正は喜ぶが、望美は顔を曇らせた。

「先輩?」
「この和議は……」

望んでいた和議。
源氏と和議を結んで戦を終わらせる……それが望美の願いだった。 だが――。

「――和議は福原で……か。負けたわけでもないのに、正室自ら敵地に出向いて……クッ、親切なことだ」
「なればこそ、こちらも礼を尽くしてお迎えすべきでしょう」
「和議の条件は三種の神器の返還。返す神器がないんだ……成ると思うほうがどうかしている」

経正達が望むように和議が進めばいい。
けれど、この和議が踏みにじられる未来を望美は見ていた。

「成すんだよ、絶対に」
「本気か……? お前はもう少し利口だと思ったんだがな……。源氏とは最後まで戦うしかない……だろ?」

嘲る知盛を見返して、本気であると訴える。

「ここまで進めた話を諦めたくないよ」
「クッ……好きにするがいいさ……」
「でも防備もおろそかにする気はないぜ。万が一は考えねえとな」
「俺は防備の方にしか興味はないぜ?」

笑みを浮かべ去っていく知盛に、望美は決意を宿し、その先を見据えた。
あの時と同じく、源氏が和議を踏みにじるのならば。

「受けざるえないようにする」

 * *

高らかに上がった戦を知らせる音に、知盛はにやりと口の端をつりあげた。

「和議は成らず、か」
「そのようですね」

予想通り、和議は成らなかったことを悟ると、知盛は重衝と共に迎撃態勢を整えだした。 傍らには、陣羽織を纏った紫苑の髪の神子。

「神子殿は後方へお下がりください」
「私も戦うよ」

重衝の言葉を振り切り前を見据える望美に、知盛がクッと笑みを浮かべる。

「また獣の姿が見られるな……」

以前目にした剣を振るう姿を思い出し、知盛は高ぶる己を感じた。

(あの時と同じなら……この生田に来るのはきっと……)

記憶を呼び起こすと、現れたのは以前と同じく源氏の軍奉行・景時。
奇襲をかけるつもりだったのだろうが、用意していた逆茂木の堅固な守りに苦戦をしていた。 序盤は互いに矢を射かけ、そして――。

「やあっ!」

斬りかかってきた源氏の兵の刀の威力を流し、逆に切り伏せる。
肉を切る感触に顔を歪めながら、それでも望美は剣を振るう。 源氏が和議を受け入れないのならば、受け入れざるえない状況を作らなければならないのだから。

「後ろから鬨の声が!」
「後続部隊が分断されました!」
「転進! 転進!」

後方部隊を断たれ、混乱する源氏に追い打ちをかけようとした瞬間、銃の音が響き渡った。

「景時さん……!」
「俺の名前、知ってるんだ。君が『平家の神子』かな?」

兵の間から進み出る景時に、望美は油断なく身構える。

「出来れば引いて欲しいんだけど……って、やっぱり無理だよね」

剣を構える望美に嘆息すると、銃口を彼女に向けた。 ――瞬間。

「…………ッ!」

キンッと金属音が辺りに響き、知盛が二人の間に割って入る。

「知盛……!」
「ようやく……骨のありそうな奴のおでましか……」
「平知盛殿か」

間合いを測る知盛に、景時はすばやく呪を唱える。
と、払い落した銃弾から発動した術が知盛を包みこんだ。

「クッ、目くらましの術か……」
「正面から戦って勝てる相手じゃないからね」
「知盛!」

再び銃を構える景時に、望美が知盛の後ろから踊り出ようとした瞬間、ブンッと刀が振り下ろされた。
――ガキ……ンッ!

「……………っ!!」

甲高い音が辺りに響き、知盛にかけられた陰陽術が砕け散る。
すかさず懐へと飛び込んだ知盛は、景時の喉元に刀を突き付けた。

「知盛待って! 斬っちゃダメだよ!!」

不快気に片眉をあげる知盛に、望美は強い意志を宿した瞳でまっすぐ景時を見る。

「あなたには頼朝への伝言役になってもらうよ」
「……伝言役?」
「今度こそ本当に和議を結んでもらう」

真偽を図るように見上げる景時に、慌てた兵が駆け寄ってくる。

「か、梶原様! 福原に出向かれていた政子様が平家に……!」
「なんだって?」
「一ノ谷を攻めていた九郎殿の部隊も奇襲に失敗、撤退しているとのことです」
「私達の望みは和議の成立。彼女に手を出すつもりはないよ」
「………受け入れるしかなさそうだね」

政子は頼朝にとって何より大切な存在。 福原攻めの援軍として別行動をとっていた九郎達が現れないことも報告に誤りがないということだろう。 自軍の不利を悟った景時は銃を下ろす。

「終わり……か」
「おめでとうございます、神子様」

笑みを浮かべ称える重衝に、望美は首を振って鎌倉の方角を見る。

「終わりじゃないよ。おめでとうは和議を結んでからだよ」
「面白い……女だ……」

策の成功に、しかし喜びを出さず先を見据える強い瞳に、知盛はクッと口の端をつりあげた。

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