平家の神子

知盛10、闇の中の真意

和議のため、清盛らと共に京へやってきた望美は、一人邸を抜け空を眺めていた。

「明日和議が結ばれれば戦は終わる……」

和議を再度進められる現状を作ってようやく得られたヒノエの協力に、二度目の和議交渉は京の神泉苑で行われることが決まった。
炎に包まれ全てを失い、一人時空を超えたあの日から、ずっと平家が生き残る道を模索してきた。 定められた運命だったとしても、それでも覆したかったから。
都を追われ、幾日も海を漂った日々。
病に倒れるもの、希望を失い自ら命を絶つもの。
必死にもがき、戦い、そうしてようやく和議の道を得た。

「明日で……」
「――終わったら……お前はどうするつもりだ?」

突然の問いかけに驚き振り返ると、闇の中から姿を現したのは知盛。

「知盛……」
「熊野を動かし、源氏を動かし、和議を成した後……お前はどうする?」
「私は……帰るよ」

望美はこの世界の者ではない。
帰るべき世界が……待っている人がいるのだから。

「帰さない……といったらどうする?」
「知盛?」

鯉口を切る音が響き、刀が翻る。

「!? ……どういうこと?」
「言葉よりも…この方がわかるだろう?」

容赦なく振るわれる剣戟。
その剣を受けながら、知盛が何を伝えたいのかを必死に考える。
戦いを好む知盛……ただ単純に望美との戦いを望んでいるというのだろうか?

(ちがう……)

その瞳に浮かんでいるのは好奇な光ではなく。

(求めてる?)

そう……それは求める欲。

(どうして? 剣の相手に面白いから? 神子が役立つから?)

浮かぶ答えに、しかしそれは違うと首を振る。
神子だからではなく、ただ……望美を、と。
交わす剣が何よりも雄弁に伝えていた。

「あ………っ!?」

突然自由が利かなくなった身体に、手から剣が滑り落ちる。

「どうだ……? 身を縛された気分は」
「どういう……つもり……?」
「己を刻みつけて逃げるのはずるいだろう……?」

近づいてくる知盛に、しかし目をそらすことも出来ずにその姿を見つめる。

「刻まれたのなら刻み返すものだろう……」
「意味が……わからない……よ」
「クッ……無垢なふりで男を誑かすのが趣味なのか……?」
「だから……っ!」

一方的に不満を突き付けられ、望美はキッと知盛を見上げた。

「お前は……刻んだのさ」

歌や衣をただ競うだけの怠惰な日々。 人が平穏と呼ぶそれらは、しかし知盛にとっては毒に侵されていくようなものだった。
そんな知盛の前に現れた少女。
誰よりも清らかなはずの神子は、しかし剣を持ち、貪欲に求め、欲し、望むものを奪い取ろうとしていた。 戦場での命のやりとり……唯一感情を揺さぶるそれに劣らぬほど、その瞳は知盛を惹きつけるものだった。

「許嫁を置いて天へ帰る……とは、ずいぶん不実だとは思わないか?」
「それは……方便だって言ったじゃない」
「……さて?」

とぼける様が恨めしく、見えない知盛の真意に望美が苛立つ。

「遠まわしに言うのはやめて、はっきり言って! 私が帰ることが不満なの?」
「帰りたいなら……帰ればいいさ」
「だったら……っ!」
「だが……」

怒りを帯びた言葉を遮ると、望美の頤を指であげる。

「一人で逃がすつもりはない……と言ったら?」
「え?」

触れる、唇。
視界に映る銀色。
息苦しさに、初めて口づけをされていることに気がつく。

「どうして……?」
「さあ……な。だが嫌じゃないだろう……?」

突然キスした理由を問うと、綺麗に笑う知盛。

「知盛は女としての私には興味なかったでしょ?」
『お前は剣をふるっている時が一番美しいな……』

それはかつて戦場で知盛が告げた言葉。 戦女神……そう呼ばれていた、剣を持って戦う望美にのみ価値を見い出していたはず。

「男も女も関係ない……俺を飽きさせないのはお前だけだからな」

退屈な毎日の中で、『生きている』という実感を与えるもの。
その最たるものは戦場だった。
けれど、他者に興味を抱くことがなかった知盛を強烈に惹きつけたもの。
それは貪欲に求める獣の瞳を持った望美だった。

「うそ……」
「言葉では信じられないか? ならば……」

再び合わせた唇に、ぎゅ、っと望美の手が知盛の服を掴む。 それはただ押し寄せる波に耐えようと、目の前にある知盛の服を掴んだにすぎないのだろう。
女の唇を甘いと、そう感じたのは初めてだった。
平家の中でもとりわけ目を引く容姿を持っていた知盛に言い寄る女は数知れずいた。 戯れにその誘いに乗ることもあったが、ただ無感動に過ぎ去る時に知盛が再び同じ女と情を交わすことはなかった。
けれど、望美だけが違う。
何度でも味わいたいと、そう思えた。
永遠にも、一瞬にも思えた時――。
唇を離した瞬間よろめいた身体を抱きとめ、その華奢さを改めて感じた。
戦場で剣をふるう姿が想像できぬほど、その手は細く、知盛が押さえつければ抗えぬほど弱い。 それでも、誰よりも勇ましく戦う望美を知盛は知っていた。

「……どう……して?」
「わからないなら……それでいいさ」
「…………っ!」

気持ちの見えない口づけ。
それが悔しくて、悲しくて。
知盛を振り払って身を翻す。

「術が解けたか……」

見えなくなった背中に、先程望美が見上げていた空へと視線を移す。
闇夜に浮かぶのは十六夜の月。

『……どう……して?』

知盛の行動の意がわからず、戸惑い揺れていた瞳。

「どう……伝えろと?」

うわべを飾る言葉など知盛は持ち合わせていない。
だからこそ、剣を合わせたのだ。
京の平和を取り戻した神子は……天へと帰る。
そして、戦が終われば知盛が刀を振るうことも……なくなる。

「わからぬというなら……刻んでやろう……」

望美が知盛にしたように。
クッと笑むと、望美が駆けて行ったのと同じ方へと歩き出した。

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