平家の神子

知盛7、熊野

室山、三草山と勝利をおさめた望美は、協力を求めて将臣や譲らと熊野にやってきていた。

「神子、大丈夫? 疲れていない?」
「うん、大丈夫だよ」
「白龍こそよく頑張るな」
「うん」
「けど、本当に険しい道だな」

現代とは違う徒歩での移動。 舗装された道路ではなく踏みならされて自然にできたもののため、この暑さの中長時間歩くのはかなり辛いものだった。

「日差しも強いし、そろそろ一休みしようか」
「ん……? そこの樹の上にいる奴!いったい何者だ!?」

木陰で身を休めようとした瞬間、何者かの気配を感じた譲が声を上げる。
一瞬にして走った緊張に、しかし木から下りた少年を見るや望美は駆け寄った。

「ヒノエくん!」
「久しぶりだね、神子姫様。相変わらず麗しいね」
(そっか、熊野はヒノエくんの故郷なんだよね)

雨乞いの儀で会ったヒノエとの思いがけない再会に喜んでいると、白龍がとてとてと歩み寄ってきた。

「ヒノエ、あなたも八葉だよ」
「えっ、俺?」
「うん、火の気をまとう離の八卦の八葉。ヒノエは、天の朱雀だね」

八葉――それは白龍の神子を守るべく宝玉に選ばれた存在。
平家に三人、源氏に三人。
今はいないリズヴァーン、そしてヒノエは望美の八葉だった。

「おいおい、八葉ってあれだよな。龍神の神子を守るっていう……ちょっとまずいな、それ」
「八葉になるのはいやなの?」
「気は進まないね。俺は無償の奉仕っての向いてないし。可愛い姫君との旅は魅力的だけどね」

渋るヒノエに眉を下げると、にやりとヒノエが微笑んだ。

「だけど、そうだな……しばらく熊野にいるんだろう? それなら俺の方から会いにくるよ。互いに知り合う時間ってのも必要だろ? また会いに来るのを許してくれるかい?」
「うん。いつでも会いに来て」
「そう、よかった。じゃあね」
「あっ!」
「心配ない。木の上に飛んだんだ」

現れた時と同様に、唐突に姿を消したヒノエに、慣れているらしい敦盛がさらりと答える。

「そういえば敦盛さんは幼馴染なんですよね」
「神子はヒノエを知っていたのだな」
「うん。前に会ったことがあるんです」
「神子と八葉は引き合うよ」
「ああ、それでですね」

白龍の言葉に、譲が納得する。
熊野川にやってきた一行は、氾濫している川に出くわした。

(そっか、この運命でもやっぱり現れるんだ……)

リズヴァーンに以前言われた通り、変わらない運命を前にして望美の顔がわずかに曇った。

「神子、気をつけて。気の流れ、偏っている。陰の気、満ちている」
「うん」

警告する白龍に頷きながら、それでも川を氾濫させている怨霊を倒さなければ渡れないだろうと、望美が覗きこんだ瞬間。

「きゃっ!」

突然足を引かれたかと思うと、ずるずると川の中へと引き込まれる。

「先輩、手を……っ!」

譲が手を掴もうとするが、それを邪魔するように引きずり込む力が強くなる。

「神子、すまない。私につかまっていてくれっ」
「敦盛さん!?」
「八葉も来たか……くくくっ、同じことよ。共に川底に沈むがいい!」
「無駄だ。お前が水気を力とする怨霊であるように、私もまた――水の気の八葉。神子を傷つけさせはしない」
「グアアアァァッ! 我が縄張りでこれほど動けるとは……貴様、ただの人間では――」

身動きのとりずらい水の中で怨霊を退け望美を救う敦盛に、すかさず将臣と譲が駆け寄り、二人を川の中から引き上げる。

「逃げたか」
「これからどうする? 怨霊は逃げたようだが、川がこのままじゃ渡れそうもねえよな」
「陰の気……怨霊の力、まだ、ここにあるよ」
「やっぱりあの怨霊を封印しないとダメなんだ」
「一度勝浦に行ってはどうだろうか」
「そうですね。……っくしゅん!」
「その前に着替える必要があるな」
「先輩、これで身体を拭いてください。風邪をひきますよ」
「ありがとう、譲くん」
「クッ……神子殿はここで皆に着替える様を見せるのがお好みか?」

陣羽織を脱ぎかけていた望美は、知盛の言葉に慌てて木陰へ身を隠した。

 * *

「ふぅ……気持ちいいなぁ」

勝浦に行くのは明日にして近場の温泉宿に立ち寄った望美は、一人広い湯船で足をのばした。

「そういえば、前はこの熊野で知盛に会ったんだよね……」

前の時空では、九郎たち源氏と共にやってきた熊野。
そこで望美は、同じく熊野に協力を求めにやってきていた知盛に偶然出会った。 あの時は平家を守りたいと願いながら、共に行動することができなかったが……。

「今度はもう離れない。私は『平家の神子』として一門を守るって決めたんだから」

呟き、天井を見上げる。 前はただ流されるだけだったが、それでは運命を覆すことはできないから。 瞼の裏に浮かんだ紅の記憶を胸に前に進む。

「早くあの怨霊を封印して、別当に会わないとね」

前の時空と同じく源平どちらにも手を貸さず、中立を守っている熊野。
しかし、この時空でも中立を保つかはわからない。
協力を得られればそれにこしたことはないが、少なくとも源氏と手を結ぶことだけは防がなければらなかった。

隣の男湯にいた知盛は、聞こえてきた望美の呟きにクッと唇をつり上げた。
邸の奥深くで崇められていることを望まず、自ら剣をもって平家の存続を願うもの。
知盛は己の一門の行き先を特に気にすることはなかった。
滅びゆくというのならそれもまた流れの中のことなのだろうと、ただ思う。
だが、貪欲に求め、進む望美を見るのは面白かった。

「お前は本当に俺を楽しませてくれる……」

翡翠の瞳に宿っているであろう光に、ぞくりと身体の奥が熱くなるのを感じた。

 * *

逃げた怨霊を探して勝浦へとやってきた望美たちは、思いがけない人物と再会した。

「奇遇よの。広い熊野の地でそなたらと会えるとは」
「後白河院!?」
「そなたらも熊野詣か? しかし難儀であるな。せっかくの熊野詣を川に阻まれるとは」

のんきに熊野詣を楽しむ後白河院に、望美はその後ろに控える女房の姿に驚く。 それは昨日、熊野川で逃がした怨霊の化けた姿だった。

(どうしよう……怨霊が法皇様に取り入ってるなんて……。これじゃ手を出せないよ)
「法皇様。私、潮の香りはあまり好きではありませんの。早く先へ参りましょう」
「おお、そうであったか」

望美から逃げるように法皇を促す怨霊に、しかしその場で手を出すことも出来ず、仕方なく見送った。

「行ってしまいましたね……」
「いつ人を襲うかわからないし、このまま放っておくわけにはいかないよ」
「法皇の前であいつの本性を暴くしかないな」
「でもどうやって暴くの? あの怨霊については、川を穢していること以外わからないんだよ」
「しばらくは那智大社に滞在すると言っていましたね。お招きも頂いたことですし、会いに行ってみてはどうでしょうか。何か弱点らしきものを掴めるかもしれません」

譲の提案に頷くと、勝浦に宿をとって翌日改めて法皇を訪ねることになった。

 * *

「……どうした神子殿? おかしな顔をして」
「知盛って貴族なんだな~って改めて感心してたの」

那智大社で名を聞かれた時、『望美』で通じるのか迷っていると、横から進み出て清盛の歌を詠んで見せた知盛。 普段は怠惰な印象の強い知盛だが、時折垣間見るそうしたふるまいは驚くものがあった。

「それにしてものんきなものだな。お付きの連中もすっかりくつろいでるぜ」
「クッ、運上人とはああいう生き物。出世と保身に忙しいのさ。己が身に火の粉が降りかからぬ限り……福原でも、屋島でも……どこで戦があろうと気にも留めぬだろうな」

確かに後白河院たちの様子は戦の心配などまるでしておらず、望美は複雑な思いを抱く。

「あれだけ後白河院にべったりだと、近づくのも難しい。どうやって正体を暴くか……って、知盛?」

一人進みゆく知盛に、将臣と望美は慌ててその後を追う。

「そなたは……」
「お久しぶりでございますね、院」
「これは中納言。旅先でそなたに会えるとは何より。春には還内府が京を訪れてくれたが、そなたと会うのはいつ以来かのう」
「一年……ほどでしょうかな」
「長らくともに過ごしたそなたら一門が去って、余も淋しい思いをしておる。あの頃、宮中でそなたらを華と称えておったのも懐かしい」
「私こそ、院のお姿を再び拝見すること、かなわぬと思っておりました。これも熊野の権現の効験と感じ入る次第にございます。 我ら一門、みな院の御世のもとで育ったものばかり。皆、院に再び見えること、切に願っております。深き忠義にはいささかのゆるぎもございませぬゆえ」
「そなたらの忠節を疑ったことなど露ほどもないぞ」
「さようでございますか」

二人の遣り取りに、将臣と望美は内心で舌打つ。きっと知盛も同じことを思っているだろう。

「法皇様、そちらの公達は……?」
「今でこそ京を離れておるが、中納言平知盛卿、その人よ」
「まあ、公卿様でしたか。お会いできてうれしゅうございます」

法皇のように媚を売る怨霊に、知盛はするりと剣を抜くと、躊躇うことなく切りつけた。

「ひ、ひえぇえぇっ! ご、御前で何を!?」
「知盛!?」
「ったく……こんなこったろうと思ったぜ」
「期待どおりで、よかったろう?」

切られた怨霊が女房姿から本来の姿へ変わるのに、将臣と望美も法皇の前に飛び出した。

「法皇様! さがっていてください。あの女の人は怨霊が化けていたんです」
「白龍の神子……? わかった、あとは任せたぞ」
「譲くんは法皇様を守ってあげて」
「わかりました。先輩、気をつけてください!」

法皇を逃し怨霊に向き合うと、譲に頷き身構える。
相手は水属性。白龍は相克、敦盛は同属…それならば。

「さて、どうする……神子殿。封印のお手伝いをご所望なら……この太刀をふるうが?」
「うん、お願い!」

知盛の申し出に素直に頷くと、その肩に手が添えられる。

「来いよ……」

呟きと共に知盛の金気と望美の花弁の気が交じり合い、高まっていく。

「痛みに酔え……紅蓮光斬」

前に掲げた剣から発した強大な力が、怨霊の身を切り裂いた。

「グ……アァアァ……ッ!!」
「ほら、こっちにもいるぜ」

絶叫をあげる怨霊に、すかさず追撃を加える将臣を見て、弱ったことを確認すると五行の流れを感じる。

「めぐれ、天の声。響け、地の声!かのものを封ぜよ!」

光が怨霊を包み、天へと帰す様を見届けると、ふうっと剣を鞘に納めた。

「院、御前で……失礼をいたしました」
「かまわぬ。世の身を案じてのことであったのだろう。そなたらに助けられたな、知盛、還内府。そして白龍の神子殿」
「俺たちは急ぐのでこの辺で失礼します」
「御前を失礼いたします」

とっとと立ち去る二人を追いかけた望美は、後白河院から離れた場所で不思議そうに問うた。

「何を急いでるの?」
「あの狸に引き止められると面倒だと思ってな……」

以前、雨乞いの儀でも望美に興味を持っていた後白河院のこと、白龍の神子としての力を見てさらにその興味はわいたように思われた。

「それに、可愛がってた女の正体が怨霊で、目の前で封印されたってのに平然としてやがる。食えないやつだぜ……あれは」
「確かに……もっと慌てふためいてもよさそうなものなのにね」

春に会った時も同じ感想を抱いていた将臣に、望美も先程の遣り取りを思い出し眉を寄せた。

「まあ、法皇様のことはいいとして……これで熊野川を渡れるようになったね」
「あの怨霊が原因ならな」

ここに来た目的は、熊野の手を借りること。それがかなわなくとも、最低限中立を確約しなければならなかった。

「勇ましいね」
「ヒノエくん?」
「熊野の地を荒らす怨霊を封印してくれた神子姫様に、熊野の民を代表してお礼を言わせてもらうよ。これから神子姫様は本宮に行くのかい?」
「うん。別当に会いに行くの」
「そう。なら、ついておいで」
「え?」
「改めて……熊野別当・藤原堪増として神子姫様一行を歓迎するよ」

片目をぱちりとつむり笑うヒノエに、望美はあっけにとられその姿を見た。

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