平家の神子

知盛5、戦場で輝く花

「みんなーご飯だよー」

女房と共に昼餉を運んできた望美に、作業をしていた将臣たち男衆が集まってくる。
倶利伽羅峠で惨敗した平家は、清盛の策に膨れ上がっていた叛意に押され、都から追い出される形で逃げ出した。
幼い帝を連れ出し京を逃れ、最初に逃げ落ちた九州では厄介者として追われ、 何日も船で漂い、着るものはおろか、食べるものにさえ困る毎日。 慣れない手つきで魚を獲ったり、野草を食べ食いつないだり……それは今まで貴族として華々しい暮らしをしていた平家の者にとっては地獄の日々だった。
知盛の領国だった長門国の目代・紀伊刑部大夫道資から船を献上され、四国へ渡った平家は阿波の民部紀重能のはからいで屋島に御所を急造した。
ようやく地に足をつけることができる生活、しかし食べるためには糧を得なければならず、将臣は率先してクワを持ち、田畑を耕した。 他の者たちも最初こそ戸惑っていたが、そうせねば食っていけないのだと悟り、将臣と共に田畑に立つようになった。

「神子殿にまでこのような雑事を……」
「気にしないで。将臣くんだってこうして働いてるんだから」

重盛の再来・還内府と仰ぐ将臣に、龍神の神子である望美。 本来ならばこのようなことをさせていい者ではなかったが、誰より本人たちが率先して動いていた。

「あれ? 知盛は?」
「あいつならそのへんの木陰で寝てるんじゃねぇか?」
「全くもう……みんなが働いてるって言うのに。ちょっと探してくるね」
「おう。頼んだぜ、許嫁殿」
「それ、余計だから!」

持ってきた昼餉を将臣に押しつけると、舌を出して知盛を探しに出る。

「いた……」

将臣たちのいる場所のほど近い木の下で眠る知盛に、呆れながら近寄るとその隣りに腰を下ろした。

(知盛ってやっぱり顔はいいんだよね)

鋭い刃物のような雰囲気を纏う知盛だが、木漏れ日に映し出された寝顔はそれらはなりを潜め、その端正さが際立っていた。

「斬らないのか……?」
「と、知盛っ? 起きてたの?」

寝ているとばかり思っていた知盛が瞼を開けたことに、覗きこんでいた望美は慌てて身を離す。

「足元を忍ばせてくるから、神子殿は俺の首を落としに来たのだと思ったぜ」
「何言ってるの? そんなことするはずないよ」
「なぜだ?」
「貴重な戦力を失っていいことななんてないもの」
「戦力……ね」

ただでさえ、倶利伽羅峠で平家は多くの仲間を失った。そのうえ、辛い都落ちの最中に身を儚むものも多く、兵力増加に清盛が怨霊を使い始めたのが気がかりだった。 望美の言葉に、立ち上がった知盛は突然剣を抜き斬りかかった。

「わっ……! いきなり何するの!?」
「俺には見せてくれないのか?」
「何の話?」
「還内府殿に見せる幼馴染の顔や、他の者に見せる柔らかに笑う顔。のびやかなお嬢さんの顔以外に……お前は隠してるんだろう?」

都落ちの途中で目にした、望美の神子以外の顔。それは知盛を煽るものだった。
キンッ!キンッ!
剣を斬り結ぶ音があたりに響き渡る。

「……時間切れ、か」
「お前ら何やってんだ」
「……っ、将臣くん」

面白くなさげに剣をしまう知盛に、望美も剣を下ろしほっと息を吐く。

「お前ら変わり者すぎ。普通デートに剣はねぇだろ」
「デート……って、そんなわけ……わっ!」

将臣の言い回しに望美が反論しようと口を開きかけると、ぐいっと引き寄せられた。

「こうすれば満足か?」
「ちょ……っ!」
「それぐらいにしてやれよ。お前と違ってこいつは色事には不慣れなんだからな」
「ふん……」

興味を失ったように腕を緩めた知盛に、望美は真っ赤な顔で将臣に走り寄る。

「飯食ったら軍議を開くから、おまえも来いよ?」
「だるいな……」
「散々寝てただろ?」
「兄上は口やかましいな……」
「なーにが兄上だ。お前の方が年上だろ」

知盛の兄で亡き重盛に似ていることから還内府と呼ばれ始めた将臣は、肩をすくめると望美を促し皆の元へと戻っていった。

* *

「神子殿、寒くはありませんか?」
「大丈夫です。ありがとう、重衝さん」

冬が近づく十一月。
平家追討の動きに、知盛と重衝は軍を率いて室山に陣を構えていた。

「どうせすぐに熱くなるさ……」
「さらっと不穏なこと言わないでよ」
「ククッ……」
「兄上、神子様をお願いしますよ」

今回の戦の要となるのが、平家の中心を担う知盛と、神子と呼ばれている望美。 福原を離れることが叶わない将臣や経正は、この室山の戦いに望美が出ることを反対したが、当の望美が自ら赴くことを望んだのだ。

「見せてくれるんだろう……?」

望美と共に戦場に立つのはこれが初めて。
普段の朗らかな女とは違う顔を見せるこの瞬間をずっと、知盛は望んでいた。
戦場でこそ輝くのが望美だと、知盛は思っていた。

「……いいよ」

毅然と見返す翡翠に宿るのは、揺るぎない決意。
その瞳が知盛を昂揚させる。


行家が攻め入ると、平家軍は策通り五段構えに布陣していた軍を開いて、中心へと招き入れた。

「殿……何かおかしいのでは……?」
「これは……平家の策か!」

気づいた時には時遅し。 知盛と望美の存在に気を取られ、知らず奥深くに乗り込んでいた行家を、重衝や家長率いる四陣が取り囲んだ。

「行家を捕えろ!」

知盛の指示に平家の武士が一斉に行家に向かっていくが、そこは一騎当千の将。 圧倒的不利の中、それでも次々に切り捨て逃走を図る行家に望美が立ち塞がる。

「そなたが『平家の神子』か?」
「そうだよ。行家、あなたを逃がすわけにはいかない」

怒号と金属がぶつかり合う音が響く中、間合いを計りながら一度、二度と剣を合わせる。
重い剣。その力強い剣筋に、望美がクッと顔を歪める。

「く……っ」
「女の身でここまでの剣をふるうとは恐ろしいものよ。だが……」

一瞬の隙、剣を弾かれた望美に行家の刀が振り下ろされる。 ―――瞬間。

「お前を傷つけていいのは……俺だけ……だろう?」

庇い立つ知盛から一刀を借り受けると、望美は再び行家に向き直った。

「そんな無防備な姿を見せては……誰に襲われるか知らないぜ……?」
「ありがとう」

短く礼を述べながら、その目は行家から離さない。 その姿に、ぞくりと身が震える。

「お前は剣をふるっている時が一番美しいな……」

京の守護者たる龍神の陽の半身に選ばれし清き神子。
人ならざるものを稀なる力で清め、救う。 けれども『巫女』のように社の奥深くに籠り、安寧を祈るのではなく、剣を取って自ら戦場に立ち道を開く――それが望美だった。

再び斬り結ぶ瞬間を伺う望美たちの間に流れてきた矢。
その一瞬の隙をついて、行家が乱れる戦場に姿を隠す。

「……逃げたか」
「のんきに言ってる場合じゃないでしょ!」
「この混乱した戦場から行家を探せると思うのか……?」

排他的で、そのくせ誰よりも冷静に見ている知盛の言葉に、望美は仕方なく後を追うことを断念した。 室山の戦いは平家が勝ちをあげたのだった。

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