平家の神子

知盛2、中納言

「ねえ、知盛……」
「なんだ」
「私……本当にこんなとこ来ちゃっていいの?」

気まずそうに辺りを見渡す望美。
知盛に連れられやってきたのは、清涼殿と呼ばれる内裏の中にある帝の居住区。
本来ならば、宮中に勤めているわけでもない望美がいられるような場所ではないのだが、安徳帝の強い要望で来ることになったのだ。

「文句なら重衝と経正に言え……。あいつらがお前の噂を帝にお聞かせしたのだからな……」
「うぅ……」

怨霊を封印する力を持つ龍神の神子が平家に舞い降りたと、噂が立ち始めたのは昨年のこと。 それを聞きつけた帝に問われた重衝と経正が、ここぞとばかりに華やかに伝えてくれたせいで、今回宮中に来ることになってしまったのである。
初めての十二単に、しかし見た目の美麗さに反するその重さにふらりとよろめく。

「く……っ。馬子にも衣装……か」
「悪かったわね! 私だってこんな重い衣装、着たくないよ! ……わっ!!」

知盛の嘲笑にキッと顔を上げた途端、裾を踏んで転びかけるが、隣りを歩く知盛に支えられ転倒を免れた。 瞬間、響き渡った黄色い悲鳴。

「えっ? なにっ!?」

全身に突き刺さる、羨望と殺気の混ざった視線。 続く廊下に連なる御簾の気配に、しかし知盛は意にも返さず、望美の手をとりそのまま歩いていく。

「あの方はどなたなの? 中納言様がお手をとられるなんて……っ」
「あれよ。帝が御呼ばれになられたとかいう……」
「きーっ! 羨ましいっ!」

こそこそ、こそこそ。
御簾の裏から聞こえてくるのは、知盛への憧れと望美への嫉妬。

「……人気あるんだ」
「知らんな」
「知らんな……って」

興味がないとばかりのそっけなさに、改めて知盛を見た。
すっと通った鼻筋。切れ長の瞳。華やかな衣によく映える銀の髪。 そういえば知盛は重衝と並んで女性の羨望の的なのだと、敦盛が言っていたのを思い出す。

「俺に見惚れてるのか……?」
「そ、そんなことないっ」

こちらに向けられた紫水晶の瞳に、慌てて視線をそらすと、握ったままだった手を解こうとする。 が、なぜか知盛の指は緩まず。

「……ちょっと。放してよ」
「また転ばれたら面倒だ」
「もう大丈夫だから!……きゃっ!」
「…………これでも大丈夫だと?」
「う……っ」

言った傍から躓いてしまい、望美は真っ赤な顔で俯いた。
そうして女性たちの嫉妬を浴びながら辿りついた部屋では、小さな帝が目をキラキラさせながら出迎えた。

「神子どのは剣をふるうというが本当か?」
「え?」
「怨霊を封印することもできるのだろう?やってみせてくれ!」
「あ、あの……」

唐突な質問攻撃にたじろぐと、隣りの知盛が助け船を出す。

「恐れながら帝……そのように矢継ぎ早に申されては、神子殿もお困りのご様子……」
「そうか?」
「それに帯刀の舎人でもない者が御前で刀を抜くことはできません」
「なんだ。つまらぬな」

さすがに今日は剣を持ち合わせておらず、望美は乾いた笑みを浮かべた。

「神子どのは龍神にえらばれたのだろう? 龍神とはどれぐらい大きいのだ?」
「えっと……私の傍にいた白龍は、知盛ぐらいでした」
「なんと! 京を守護するという龍神はそんなものなのか?」

驚きをあらわにする幼い帝に、望美は困ったように知盛を見た。

「……神子は異界より参られた方。こちらの言葉もまだわからぬ点も多いようです」
「そうなのか?」
「は、はい」
「む~……なら、神子どのは蹴鞠は好きか?」
「蹴鞠?」
「帝、神子様に蹴鞠はご無理ですわ」
「これもダメなのか? では中納言、相手してくれ!」
「……承知しました」

コロコロと話を変える安徳帝に、知盛が従い庭に出る。

「はぁ……素敵だわ……」

女房達がうっとりと眺める先にいるのは、安徳帝の相手をしている知盛。

「蹴鞠の達人と謳われた藤原成通様の再来と言われる腕前ですもの。中納言様にかなうお方など、この宮中にはおりませんわ」
「先の宴で舞われた姿も素敵でしたわ。文武共に長けて……ああ、あんなお方に愛を囁きかけられたらもう……っ」
「一夜限りでもお相手していただけたら……」

ひそひそ、ひそひそ。
かわされ続ける噂話に、しかし望美はぼうっと知盛に見惚れていた。
剣を振りまわすことが好きな危ない男だと、そう思っていた知盛の意外な一面。
優美な立ち居振る舞いは宮中のどの者にも劣らず、嗜みの一つだという蹴鞠も、幼い帝とこれほど長く続けられる腕前。 それらは望美が知らなかった知盛の貴族の姿だった。

「中納言はやはりうまいな!」
「ありがとうございます」
「次は貝合わせをするぞ! これなら神子殿にもわかるだろう」
「貝合わせ?」

初めての平安時代の遊びに首を傾げながら、望美は知盛と共に雅な遊びに興じた。

* *

「ふう~」
「お疲れのようだな……」
「知盛はこれが毎日なんでしょ? 貴族って大変なんだね」

一日、宮中で安徳帝の相手をしていた望美は、牛車の中でため息をつく。
平家は武家の出ながら官位を賜り出仕している者も多く、知盛もその一人だった。

「あそこは退屈だ。……参内しても歌や衣の重ねを競うだけ。後は……噂話。毒を浴びてゆるゆると眠りにつくようなものだ」
「じゃあ、他に何か楽しい時はあるの? 知盛が生きてるって思えるような」
「そうだな。あえて言うなら……死が……見えた時だ」
「え?」
「死ぬと思ったその時は……俺は生きているだろう?」

ぬるま湯につかったような退屈な毎日の中、楽しみを見い出したのは以仁王追討の時。 戦場で命のやり取りをする、その瞬間こそ自分が望んでいたものだと、その時知盛は知ったのだ。

「……聞かなきゃよかった」
「ご期待に添えなかったのは申し訳ないが……真面目に答えてやったんだ。そう……怒るなよ」

意外な一面にせっかく感心しかけたのに……とため息をつく。
牛車の中、揺れに乗じてその身を引き寄せると、あっけなく転がってきた望美。
宮中にいる女のように、着飾り御簾の奥で噂話に花を咲かせるのではなく、戦場に駆け剣をふるう稀なる女。

「お前ならわかるだろう……?」

敵を前にした瞬間の昂揚。

「わからないっ! ……っていうか、耳元でしゃべらないでって言ったでしょ!」

彼岸を知る翡翠の瞳。
それが眩く輝く瞬間を、知盛は知っていた。
顔を赤らめながら、逃れようと暴れる望美を抱き寄せて、吐息を感じるほど口を寄せる。

「お前は華やかな衣を着て、邸におさまってるような女じゃない。そうだろう……?」

戦場でこそ輝く華……それが望美。

「私は生きてることを感じたくて戦ってるわけじゃない。だから知盛とは違う」

望美が戦うのは、平家を滅亡の運命から救うため。
強い意思を秘めた瞳は貪欲にそれを望んでいた。

「本当に……惜しいな」

敵であったならば、この瞳を真っ向から受け、剣を受けられるというのに。
そう……一人の獣と。
牛車の中、顔を背ける望美の横顔を、知盛はじっと見つめ続けた。

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